遠隔操作ウイルスによる犯罪予告事件で新しい動きがあった。
 「真犯人」を名乗る人物が、いくつかの報道機関や弁護士に当てて、自殺を示唆したともとれるメールを送付してきたというのだ。

 メールが送られたのは13日の夜。間もなく、メールを受け取った人々の反応がツイッターに放流された。

 新聞各紙は、翌朝の朝刊で、早速、このメールを記事化した。なかでも、毎日新聞は「自殺予告メール」という言葉をヘッドラインに使って、比較的大きな扱いで記事を配信した。

 犯人からのメールは、文面を読む限り、たしかに自殺を示唆している。そういう意味では、「自殺予告メール」という見出しは間違いではなかったのかもしれない。

 でも、私はなんだか釈然としなかった。

 犯人からのメッセージに正直に反応するのは、犯人のルールに沿ってゲームを進めることで、それは、とりもなおさず、犯人の側のシナリオに付き合うことを意味しているように思えたからだ。

 この種の「劇場型」と呼ばれる犯罪は、犯人が単独で犯罪を成就しているのではない。

 主役が犯人であることはその通りなのだとしても、劇場を提供しているのは、新聞やテレビをはじめとするマスメディアだ。

 ということは、マスコミは、興行主の役割を果たしている。半分ぐらいは、犯罪の展開にかかわっている。チケットを売ってもいる。

 であるのならば、メディア各社は、「劇場型犯罪」などという他人ごとめいた名称は引っ込めて、「メディア共犯型犯罪」と、実態に即した呼び名で事件を扱うべきなんではなかろうか。

 「脅迫状」や「犯行声明」を伴うメッセージ先行型の犯罪は、メディアを巻き込むことを前提にストーリーを進行させている。逆に言えば、メディアが黙殺すれば、犯行のシナリオが途中で頓挫することもあり得るわけで、そういう意味からしても、報道機関は犯人の挑発に安易に乗るべきではない。

 が、彼らは、ほぼ必ず犯人のゲームに乗る。
 怪人二十面相やルパンIII世の時代(←まあ、フィクションですが)からまるで変わっていない。マスメディアは、予告される事件や、事後報告される犯行声明に目が無い。なぜなら、それらは非常に良く売れるネタであり、また、あたりまえの話だが、とても劇的だからだ。

 さいわい、今回の自殺示唆小芝居メールについての続報は、衆院解散の大波に飲まれてフェイドアウトする流れにある。

 けっこうななりゆきだと思う。
 各社の社会部の皆さんには、ぜひこのままネグレクトしてくださることをお願いしておきたい。

 車庫の中にある列車をまるごとペンキで塗りたくるタイプの愉快犯なども、メディアが報道をしなければ、グラフィティを描くそもそもの動機をツブすことができるテのものだ。

 彼らの犯罪は、メディアが報道して世間に知らしめることで、完結を見ることになっている。

「やるじゃん」
「サイコーにクールだYO」

 などと、描いた者も、それを称揚するクルーのお兄さん方も、メディアの報道をおおいに当てにしている。

 とすれば、この種の事件を大々的に報道しているメディアは、共犯者といっても過言ではないのである。
 報道することによって、模倣犯に警告を与えられる、と?
 逆だと思います。
 模倣犯は、ニュースを呼吸することで生まれる。
 彼らは、目立ちたいのだ。 

 朝刊に載った記事によれば、メールには

「ミスしました。ゲームは私の負けのようです。捕まるのが厭(いや)なので今から自殺します」
「さようなら。また来世――」

 などと記載されていたという。
 なるほど。文面を虚心に読めば、たしかに自殺予告メールに見える。

 しかしながら、添付された写真を見ると、私は、このメールを真に受ける気持ちにはなれない。
 写真は、首吊り用の輪に見せかけたLANケーブルの真ん中に、萌えフィギュアを配置したものだ。ケーブルとフィギュアの下には新聞紙。これは、神奈川新聞なのだそうだ。

 実にバカにした絵柄だ。

 多少とも2ちゃんねるに出入りしたことのある人間なら、「回線切ってLANケーブルで首吊って来い」「LANケーブルで首吊って氏んで来ます」という常套句を思い浮かべないわけにはいかない。ということはつまり、この定番のおふざけ謝罪パターンを踏んでいる以上、これは、揶揄ないしは挑発と見るのが妥当なわけだ。

 少なくとも私は、真面目には受け取らない。
 私がデスクならこんなたわけたメールは闇に葬る。
 こんなものにノせられるのは、恥辱以外のナニモノでもない。

 ちなみに言えば、この「氏んで来ます」には、いくつかのパターンがある。掲示板の性質にもよるし時代や時期にもよるが、それぞれ、その時々に流れている話題にふさわしい「氏に方」が選ばれる。

「言い過ぎました。懸垂百回して氏んできます」
「すんまそん。勘違いでした。非常勤で1コマ分氏んできます」

 そもそも、「詩んでくる」「氏んで来る」という言い方が、マトモな意味で言う「死」とは別モノであることを暗示している。本物の「死」であれば、「死」んだあとに、もう一度戻って「来る」ことなどできるはずがない。

 メッセージはそれが書かれた世界の文脈で読み解かないと正しく解釈できない。警察も、新聞社の先生方も、そういう意味では、ネット内のオタクの皆さんに比べて、読解力において劣っていると言わざるを得ない。

 が、要点は、メッセージを読み解くところにはない。
 というよりも、この局面で、謎解きに熱を上げるのは、敵の思う壺だ。

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