マイケル・ジャクソンの訃報は、なんだか拍子抜けするタイミングで届けられてきた。

 私は、朝の番組を見ながら、新聞を読んでいた。
 と、軽部アナがそれまでの芸能情報を中断して、いきなり速報原稿を読み始めた。

「いま入った情報によると、マイケル・ジャクソンさんが心肺停止状態で病院に……」
「!!!」

 こういう時、スタジオは、にわかに活気づく。
 時間が止まるというよりも、逆に、止まっていた時間が動き出す感じ。

 いや、私は、放送現場の人間が、マイケルの死を歓迎していたと言っているのではない。彼らが喜び勇んで訃報を伝えていたと言いたいのでもない。

 ただ、彼らのテンションは、明らかに上昇してしていた。

 無論、スタッフやコメンテーターの中には、マイケルのファンも少なからずいるはずで、彼ら個々人の思いについていうなら、彼らもまた、一人の人間として、このニュースに心を痛めていたのだと思う。

 でも、それはそれとして、テレビの現場にいる人間は、生放送の最中に飛び込んできたビッグニュースには、やはり昂揚する。そういうものなのだ。

 リモコンを操作して、各局を渡り歩いてみると、どこも同じだ。誰もがアドレナリンの上昇を隠しきれない。

「心配ですね」

 と言いながら、顔をテカテカさせている。
 
 スーパースターの死は、悲しむとか喜ぶとかいった事情を超えて、とにかく、巨大なニュースになる。

 マイケル・ジャクソンのような存在においては、訃報さえもがヒットチャートに乗る。言い方を変えれば、生老病死を含めたすべてがニュースになる人間を、人はスーパースターと呼ぶのである。

 しばらくすると、マイケルの死は、ひとつの時代の死として扱われはじめる。
 もちろん、スーパースターが死んだからといって、時代が死ぬわけではない。

 が、比喩の上では、マイケルが体現していた時代は、突然、光を失うことになったわけで、ということは、われわれが抱いていたマイケルにかかわりのある経験や記憶もまた、マイケルの死とともに、永遠に失われたことになる。逆に考えてみると、マイケルの死とともに生じた、人々の「追憶」の総量は、とてつもない量になる。

 スターの死は、肉親の死と同じ意味を持っている。実際、行き来の少ない親戚や、それほど親しくなかった同級生の死より、崇拝しているスターや、若い頃に熱狂した芸能人の死は、私たちにとって、ずっと辛く、重い。

 というのも、スターの死は、親しかった人間の死と同じく、自分の死でもあるからだ。

 誰かが死ぬということは、その人間とともに過ごした自分の時間が意味を失うことで、それは自分自身の一部分が死ぬことにほかならない。その意味で、マイケルのようなスーパースターの死がもたらす喪失感の大きさは、何十万人分の死に相当するのである。

 そんなわけで、マイケルの死についてコメントを求められた人々のうちの幾人かは、マイケルへの思いを語るうちに、いつしか自分語りを始めていた。

 私がマイケルをはじめて見たのは……
 スリラーが大流行していた頃、僕は小学生で……
 と、彼らは、告白を始める。

 対象への言葉が、いつしか、自分自身の話に変貌してしまっている。スーパースターというのはそういう存在だ。

 スーパースターの人生は、多くの人々にとって、自分自身の投影でもある。
 あるいは、マイケルのような並はずれてポップな存在は、人々の記憶を糾合するプリズムのような役割を果たしているのかもしれない。

 「スリラー」が流行っていた頃、自分は何歳で、どういう仕事をしていて、何を悩んでいたのか。
 「ブラック・オア・ホワイト」が流れていた頃、私は何をしていて、どんな人々と行き来していたのか。
 ……ビッグヒットは、追憶のトリガーになる。

※編集注:「スリラー」は1983年、「ブラック・オア・ホワイト」は1991年です

 集団的な記憶という意味で、スーパースターは、歴史的な大事件に似ている。

 どういうことなのかというと、あさま山荘事件や、オウムによる地下鉄テロや、9.11のような大事件が、人々の記憶を固定する役割を果たしているのと同じように、マイケルのようなスーパースターは、同時代を生きた人間の記憶をシンクロさせる示準化石になっているということだ。

 大事件や大災害に直面した時、われわれは、おそらく普段より緊張していて、それゆえ、より強力な記憶力を保持している。だから、われわれは、10年前の任意の一日については、ほとんどまったく具体的な事柄を覚えていなくても、大事件のあった日や、大災害のニュースが届いた瞬間の記憶は、鮮明に思い出すことができる。
 たとえば、同世代の人間が集まった席で

「阪神大震災の時、お前どこにいた?」

 と、問いかけると、必ず具体的な答えが返ってくる。

「オレは会社に居たよ」
「だけどお前、あの地震は午前5時とかじゃなかったっけ?」
「そう。午前5時46分。そのまだ夜も明けきらない真冬のオフィスで、オレは書類の山と格闘してたのだよ。オレは。前夜から引き続きの徹夜で」
「すげえな」
「とにかく無茶苦茶に忙しくて猛烈にムカついてて、世界なんかぶっ壊れれば良いと思ってたから、地震のニュースを聞いて、もしかしてオレが起こしたのかと思ったよ」
「思い出した。オレも徹夜で原稿書いてた」
「オレは入院してた」
「オレは、豊中にいたぞ。震度6だぞ。冗談抜きで箪笥が浮いたぞ」
「……オレ、何してたんだろう。っていうか、失業中の記憶って、どうして曖昧なんだろうな」

 今回、26年ぶりにヘビーローテーションされた「ビリー・ジーン」は、あの時代を過ごした人間の一人である我々に、すっかり忘れていた時代の、思いもかけないあれこれを思い出させた。

 だから、マイケル関連のニュースは、死後一週間が経過しても、一向に衰えない。

 別れた妻のコメントや、専属の看護師の証言や、追悼コンサートや、死の真相や、遺産問題や、素っ頓狂なトリビュートイベントや、未公開なんたらといった様々な情報が漏れだして来る。半分ぐらいはゴミネタだが、それでも人々は遺体のそばを離れない。結局、それだけ需要があるということなのだ。

 「スリラー」から「バッド」ぐらいの頃、時代で言えば1980年代の中盤から終わりにかけて、マイケル・ジャクソンの勢いは、まことにすさまじかった。

 いま現在でも、ヒット曲は間断なく生まれているし、街から音楽が消えたわけでもない。
 でも、あの頃のマイケルの楽曲のような奇跡的なヒットは、もう二度と現れない。
 現れる道理が無いのだ。
 1億枚(「スリラー」の通算売り上げ枚数)というのは、それほどとてつもない数字だ。

 いまも、ヒット曲は流れている。世代別、人種別、国別、ジャンル別にそれぞれのヒットチャートがあり、人々は、自分の出自や年齢やセクシャリティーや状況に合わせて、さまざまな音楽を聴いている。

 が、「スリラー」は、世代や人種や国籍やジャンルを超えて、世界中のあらゆる人間の耳に半ば強制的に届いていた。自覚的にファンをやっていない人々の耳にも届いていたというところが、マイケルの特別なところで、もしかしたら、彼は、そういう意味では、最初で最後のメガ・スーパー・スターということになるのかもしれない。

 マイケル以前の時代にも、スーパースターはいた。

 が、ビートルズも、エルビス・プレスリーも、商業的な意味では、マイケルには及ばなかった。
 マイケルは、資本の暴力とも言える力で、ヒット曲をドライブさせた最初のスーパースターだった。

 彼の楽曲は、音声としてだけではなく、映像として全世界に流れた。それも、フィリピンやアフリカや中南米やアイスランドを含めた文字通りの全世界に向けて、だ。

 その浸透度の強力さは、やはりビートルズやエルビスの比ではない。ビートルズは、西側先進資本主義国の音楽市場を席巻したが、当時、それ以外の世界には、そもそもレコード音楽市場そのものが存在していなかった。

 また、彼らは確かにファンの人生を変えたし、ポピュラーミュージックに新しい方向性を提示したが、マイケルの場合は、ファンでない人間の感受性にさえ刻印を残している。そこが、マイケルの特別さで、つまり、マイケル・ジャクソンは、資本主義娯楽の権化だったのである。

 彼は、マスメディアの影響力が世界の隅々まで届くようになり、映像文化が爛熟した時代に現れた、はじめてのスーパースターだった。

 しかも、おそらく、最後のスーパースターになる。

 というのも、マイケル以降のスターは、彼のような巨大な存在にはならなかったからだ。

 90年代以降、メディアが成熟するとともに、聴衆の側もある意味で成熟して、分派してしまった。つまり、ポップミュージックの世界は、より細分化され、セグメント化し、メガヒットが生まれにくい状況になっているわけだ。

 かくして、21世紀のミュージックシーンは、ひたすらにタコツボ化している。

 音楽は、ダンスフロアやライブ会場に集う若者たちに向けてではなく、耳にイヤフォンを突っ込んだ無口な聴衆に向けて配信されている。善し悪しはともかく。で、われわれは、ターゲットマーケティングを経て丁寧に作られた中ヒットを、粛々と消費している。そういう意味で、音楽は、もはや世界共通の言語ではなくなっている。一回りして、元の木阿弥の共同体言語に戻った感じ。ヒップホップ方言。福音主義ポップス方言。色々な新しい言葉が生まれ、それらは相互に対話不能になっている。
 
 私は、ファンと名乗って良いほどの者ではないが、それでも、80年代をニートで過ごした人間の一人として、マイケルにはひと通りの関わりを持っている。

 88年の日本公演にも行った。
 私はそれを東京ドームのアリーナ席で見た。

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