技術的にはできることが実現できない140年間の鉄道の歴史のシンボルが満員電車だと、鉄道コンサルタントの阿部等氏は指摘する。その最大の原因は安い運賃。技術開発や設備投資に回す資金を確保できなかった。『満員電車がなくなる日』の著者でライトレール社長の阿部氏に日本の鉄道の問題点と将来を語ってもらったインタビューの後編をお届けする。(聞き手は小板橋 太郎)
阿部 等(あべ・ひとし)
 1961年8月30日生まれ。東京都出身。東京大学工学部都市工学科大学院修士修了。 JR東日本に第1期生として入社して17年間勤務し、鉄道事業の多分野の実務と研究開発に従事。その後、交通問題の解決をミッションに(株)ライトレールを起業。交通や鉄道に関わるコンサルティング・研究開発に従事。将来は鉄道経営を希望している。(写真:都築雅人、以下同)

鉄道をダメにしてきた原因は何ですか?

阿部:鉄道のイノベーションを妨げているものが何なのかが、『満員電車がなくなる日』で最も言いたかったことです。

 満員電車の歴史を振り返りました。満員電車の歴史は、実は運賃抑制の歴史でした。140年前の鉄道開業以来、常に「鉄道の運賃は安くせよ」という社会的プレッシャーに負け続け、結果的に技術開発や設備投資をする資金を確保できなかったのです。

 今も同じ状況です。やろうと思えばできることができないのは、早い話、お金が回らないからです。技術的にはできることができない、心ある多くの人が無念の思いを抱いてきた140年間の鉄道の歴史のシンボルが、言ってみれば満員電車なんです。


モータリゼーションのせいではない

国家のインフラは広くあまねく安く、というユニバーサルサービスの思想でしょうか?

阿部:と言うより、むしろポピュリズム(大衆迎合主義)です。国鉄もそうだったし、JRになっても本質は変らず、私鉄もそうです。

日本の鉄道の運賃が特に安いのでしょうか?

阿部:ポピュリズムになるのは人類共通です。どこの国でも、「鉄道やバスの運賃は安くしろ」というプレッシャーが働き、安い運賃になっています。かといって、税金の大量投入の社会的合意はまとまりません。そのために鉄道の投資やサービス改善は遅々として進みません。

 インドの首相が来日し、安倍首相が「ムンバイに新幹線や地下鉄を」と話しましたが、珍しいからニュースになるのであって、世界中どこへ行っても、鉄道より道路建設の方が圧倒的に進んでいます。中国では、年に1000キロのペースで新幹線の建設が進み、大都市では地下鉄の建設が着々と進んでいますが、道路の建設はその10倍くらいのペースです。道路にお金がより回り、鉄道は時代の進歩に置いてきぼりです。

モータリゼーションがそうしたと言われていますが。

阿部:逆です。鉄道が本来のサービスをできていないから、車に先を越されたのです。ユーザーも社会も次善の策として車を使っていると考えられないでしょうか。渋滞にまみれようが、ガソリンを浪費してCO2を排出しようが、他に移動と運搬の手段がなければそうせざるを得ません。低運賃政策がその元凶なのです。鉄道がそれから脱却できれば、今は誰も想像もつかない便利で安全で省エネで環境に負荷のかからない移動と運搬を実現できる、これを実際に示すのが私の目標です。

ではどれぐらいが適正なんでしょうか?

阿部:現在の運賃は池袋―新宿5キロでJR150円、メトロ160円です。山手線、埼京線、湘南新宿ライン、副都心線を併せて1日に700往復くらいが走行し、数分で行けるという、世界でまれに見る高サービスでです。使う方は便利で助かりますが、発想を変えて150円の代りに200円、あるいは300円を集めたら、どれだけのキャッシュになるか、それを鉄道の改善に使えばどれだけ社会にプラスになるかを想像してみて下さい。

たしかに他の物価に比べると電車賃はあまり上がっていませんね

阿部:そうです。では車にはどれくらいお金が掛かるでしょうか。決して贅沢なクルマに乗らなくても、購入費、車検代、保険料、駐車場代、ガソリン代、高速代等々で、年に1台90万円くらい掛かるでしょう。年に300日使うとして1日3000円、片道1500円です。サンデードライバーで50日しか使わなければ1日1万8000円、片道9000円です。

 鉄道で片道500円とか1000円だと、ずいぶん高いと感じますが、車と比べたら低額です。車は、使う時にはガソリン代と高速代と行き先の駐車場代(経済学ではOut of Pocket Moneyと称します)くらいしか意識しないので割安に感じますが、実際は大変なお金が掛かっています。しかも、車ユーザーは、道路の整備・管理コストの約60%しか負担していず、通勤先の駐車場も負担していないケースが多いです。詳しい金額は『満員電車がなくなる日』に書きましたが、道路の整備・管理には車ユーザー以外が負担した税金が大量に投じられています。

クルマは好きな時に好きな所に行けます。

阿部:鉄道も好きな時に好きな所に行けるように、かけるべきコストを投ずるべきです。車に対しては国の価格統制がないから、自由な経済活動で国民の需要に応じて供給がなされ、これだけ自動車業界が発展できました。さらに、道路整備に車ユーザー以外が負担した税金も投じろという政治的プレッシャーもあり、道路インフラが発達してきました。一方、鉄道は運賃抑制により需要に応じた供給ができていないのです。

 これは日本特有のことでなく、全人類共通です。アジアの人口爆発都市でも、自動車産業発展が国家の成長につながると、自動車購入者に補助金を出したり、自動車メーカーの法人税を優遇したりしています。鉄道はその蚊帳の外に置かれています。結果としてお起きていることは、渋滞と交通事故と大気汚染と石油浪費です。

天ぷら蕎麦とかけ蕎麦が同じ価格か

しかし、いまさら鉄道の運賃を上げるというのも難しい気がします。

阿部:満員電車をそのままにして運賃だけ上げたら、暴動が起きてもおかしくありません(笑)。一律に値上げするのでなく、商品価値に応じて価格差を付けることを提案しています。この図を見てください。

ICカードをかざせば折りたたみ式の座席が降りる

 着席と立席に値段差を付けるのです。蕎麦屋に行けば、天ぷら蕎麦とかけ蕎麦は必ず違う値段です。着席は立席より商品価値が高いと同時に占有面積が広く生産コストもかかるのですから、鉄道以外の産業分野の常識では値段差を付けて当然です。

 跳ね上げ式座席にICカード読み取り機を設置し、タッチすると座席が降り、立ち上がると跳ね上がるようにします。誰がいつからいつまで着席していたかを無人で記録でき、次に改札口を通る時に課金します。

 ICカードなら、1円刻みに状況に応じて値付けできます。始発時点ではガラガラで途中から混雑する電車の場合は、着席の割増料金を次第に上げていきます。これにより利用者は確実に、着席という品質の高い望んだ商品を購入でき、鉄道会社は収益を確保できます。

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