1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/02/27(火) 18:56:08.43 ID:adnx1zyx0
紀尾井坂の変さえなければ明治政府は藩閥化しなくて成功してたのに惜しすぎる








137: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/19(金) 15:08:25.71 ID:ia+GNm490
せめて大久保が10年は長生きしてたなら東北地方の発展度は今とは別物になってたかもしれん。
おそらく国内の産業育成やインフラ整備を最優先させたのが東北地方。

138: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/19(金) 15:09:48.83 ID:rQ5t3/Ef0
三島通庸の強引な手法は東北人の反発を招くだけだったわな。

153: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/20(土) 04:42:35.85 ID:aNtVQFLn0
>>138
まだ大久保の方が東北人の扱いを理解してたという

170: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/06(月) 15:19:49.46 ID:Osf/PX3U0
>>153
西郷さんもじゃね?
やっぱ植民地支配(薩摩の琉球支配)の経験て色々な知見をもたらすんじゃね?

140: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/19(金) 20:14:52.39 ID:T+CoI1kP0
大久保が生きてたら、憲法も議会もまだ早いとか言って遅れそうだよね
ただ当時イギリス型の政治を理念としてたから良く分からんよね

142: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/19(金) 21:15:56.22 ID:MDB8D+T/0
>>140
大久保は伊藤と同じくビスマルクにもろ影響されてるし、憲法や議会政治には漸進主義をとっただろう。
廃藩置県や秩禄処分は富国強兵のためには必要不可欠だったから、断固とした大ナタを振るったが、議会政治は別に英国型でなくてもよいわけだし、伊藤のようなドイツ型を選択した可能性が高い。

154: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/20(土) 12:45:38.53 ID:NsV5S4+f0
>>140
大久保の「まだ早い」は「具体的な準備をして環境整えるから待て」の意味だからな
当時の国民はそもそも話し合いで政を行うとはどういうことかすらイメージできていないから、行政の最小単位の区戸長を民選にし、彼らが住民の意見をすくい上げて地方議会で議論し共同自治する制度を確立するところから始めるべきという意見
大久保は三条に意見書出した後で殺されちゃったけど、翌年に民選の地方議会の制度はできる

178: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/18(土) 14:49:00.41 ID:pj6jGGE/0
大久保がビスマルクに心酔してたとかいう史料的裏付けのない話が、なんで広まったか調べたら、司馬の影響が大きいみたいだな
(その前からそういう説はあったけど)
実際にはビスマルクに会う前より会った後の方がテンション下がってるという

180: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/18(土) 19:57:13.53 ID:WNaP0Wnn0
大久保とビスマルクの関係にネットでも普通の検索できるが。
大久保のヒゲはビスマルクの真似だとか。
だいたい、大久保がビスマルクに心酔して変なのか?

182: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/19(日) 07:54:40.14 ID:9qNXpcO+0
>>180
ネットで検索して出るのは司馬が広めた風説だよ
1873年に大久保がビスマルクに会った時、ビスマルクにはまだ口ヒゲしかないし、大久保はもう頬ヒゲを生やしてた

183: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/19(日) 10:33:38.68 ID:16XkMadx0
>>182
とりわけ大久保利通はビスマルクに強い感銘を受け、「新興国家ヲ経営スルニハ、ビスマルク侯ノ如クアルベシ。我、大イニウナズク」と書いている。また西郷隆盛や西徳二郎などに宛てた手紙の中でもビスマルクのことを「大先生」と呼んでいる
勝田政治『“政事家”大久保利通―近代日本の設計者』

184: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/19(日) 11:32:27.83 ID:9qNXpcO+0
>>183
その本持ってるけど、そんなこと一切書いてないぞ
手紙の文章も、大久保がビスマルクとの面会後に出したものと違う
勝田政治はむしろ、大久保がドイツを手本にした国家を作ろうとしたという「常識」をもう一度見直してみよう、という立場
その本の2年後に書いた「大久保利通とビスマルク」って論文が国士舘大学サイトからダウンロードできるから、読んでみ

181: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/19(日) 03:32:16.77 ID:vStvdz9P0
19世紀後半の世界で黄金期を築き上げてたのがドイツだから、鎖国から抜け出して西洋世界に触れたばかりの日本人がドイツに魅了されきってしまったのは仕方ない面もある

186: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/19(日) 12:02:15.22 ID:s8pB0zW40
最初はさほど気にしてなかったがドイツに渡り大久保だけでなく伊藤も木戸もすっかりドイツに染まって帰国したのが真相だろう
ましてアメリカよりドイツは参考になるしな

194: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/20(月) 08:29:56.45 ID:7b8uhJlS0
今現在、幕末専門の学者の支持の多いのは、この人の意見だな↓

瀧井一博
「史料を読み直してみると、果たして大久保がどれほどビスマルクに入れ込んでいたのかよく分からないところがある。(中略)大久保がビスマルクに触れている手紙は、よく読めば、ドイツ滞在が時間切れとなったため満足のいく成果に乏しく、ビスマルクと面会できたことくらいだ、という趣旨である。大久保を『日本のビスマルク』と呼ぶことは再考の余地があると言える。」

勝田政治の「大久保利通とビスマルク」もほぼ同じ見解

226: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/06/01(土) 21:30:33.37 ID:gb3vYSBd0
>>194
大久保はアメリカに一番衝撃を受けだけど伝統重視の日本人には合わないし、島国で貧しい日本がアメリカみたいに投資、再投資しまくっている状況が違い過ぎてお手本にするには合わないっていう見解だったからね

そこで資源は少ないし少し前まではヨーロッパでは弱小連合国家に過ぎなかったドイツは何をどうやったのか?という事に興味があったと思われる
心酔と興味を持っているのとは全く意味が違うのに言葉をすり替えたり帰国後の大久保の殖産興業政策への力の入れようを見てもドイツを目指したというよりは将来的な経済成長のために必要なインフラ整備を重視したとか考えられないと思うわ

197: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/21(火) 03:05:00.97 ID:RS9jWz4j0
勝田は大久保はイギリス贔屓にしたがってる

200: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/22(水) 15:36:00.87 ID:14J90IMJ0
>>197
と言うより、ドイツ贔屓って決めつけて書いたのは毛利敏彦のみ
この人、江藤新平の縁戚だから、大久保がビスマルクを真似して独裁者になり、江藤を陥れたってストーリーにしたがった
それを司馬が小説に採用して一般に広まった
実際に大久保の書いたものは、合う前に期待して褒めてるわりに、会った後はそれほどでもない

201: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/22(水) 17:00:32.65 ID:+Dm6qtVn0
心酔したかどうかはわからないが、弱小だったドイツを強国にした優秀な宰相なんだから尊敬はするだろう

逆に、ビスマルクは大久保をどう思ったのかの方が興味ある
大久保あんさつの時とか、一国の宰相がころされたんだから各国が追悼文を寄せるはずなんだがそれに触れた記述を見たことがない
極東の弱小国家だから無視されたのかな
ただの宰相ではなく欧米歴訪して中国にも行って当時の首脳と面会してるのに

213: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/29(水) 07:52:26.94 ID:MoP3NkqL0
大久保は国の政体は「土地風俗人情時勢」に従って自然に決まるもので、どこかの国のやり方をそのまま持ってきてもうまく行かないって書いてるんだから、ネット民あるあるの「どこかの国ひとつだけを熱烈に崇拝したはずだ。それはどこか?」っていうゼロか100かの議論はナンセンス

214: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/29(水) 15:32:00.04 ID:5wgKMMrL0
だが昭和初期の敗戦を見れば、いくら全盛期時代のドイツ帝国に多くの日本人が魅了されたとはいえ、何故に新政府は同じ島国のイギリスを参考にしなかったんだとは思う
イギリスを参考にしてれば昭和の敗戦は無かったわ

215: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/29(水) 16:19:49.52 ID:kGtbMiM20
国籍別お雇い外国人では英国が他を圧倒している 海軍もイギリス一辺倒
だが、英国の憲法はイギリスの歴史的経緯を経てできた不成文憲法で、これを日本に導入するのは困難
となるとセカンドチョイスで同じ君主国で、しかも日本と似た領邦国家の連合からなるドイツが挙がるのはやむ得ないのではないか
フランスは第三共和制になってしまったし、アメリカのような共和主義は適用出来ない ロシアはあまりにも遅れている 

246: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/06/22(土) 04:23:17.97 ID:9VnLplim0
総理大臣を見たかった

251: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/06/26(水) 03:44:21.52 ID:GEhejXDm0
総理大臣にはなれんかったな

264: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/07/07(日) 04:11:15.93 ID:wHse3HlN0
大久保利通が総理大臣になってれば・・

274: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/09/12(木) 10:13:39.49 ID:s9KhJ8y60
大久保利通はもし暗殺されずに長生きしていたらどんな政治家になってたんだろう
個人的には政策的には伊藤と山県との中間あたりの位置づけにいた気がする
政党を良しとはしない、近代化のためには手段はいとわない、対外的には強硬派でなく国際協調派
伊藤、山県どちらにも睨みが効いてどちらの言い分も理解してくれるそんな政治家、元老になってた気がするな

西郷の方が西南戦争で戦死したから英雄になってるけれど、政治家のままで長生きしてたら黒田清隆的な微妙な立ち位置だったかも。武骨で情には厚いけれど時代遅れな感も少々あるから黒田に似てきそう
木戸孝允は当時の自由主義、リベラル派だから西園寺公望辺りに近い立ち位置の元老になってたかな

286: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/10/24(木) 06:25:07.36 ID:x+UYiRQ60
大久保は明治になったら岩倉と木戸しか信頼してなかったけど、木戸も大久保の手法を嫌ってはいたけど、最終的に大久保しかいないんだって認識するようになった感があるな

288: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/10/24(木) 12:02:45.16 ID:3HJJfccO0
大久保の政治家人生のハイライトは幕末・戊辰戦争期よりも明治になってから、もっと言えば明治6年政変以降であろう。
内務卿時代の大久保は有能で大きな業績を残した人物であることは疑いないが、それが出来たのは議会も野党もマスコミも無い時代だったからこそであって、これが30年後だったならああいう剛腕を振るえたかどうかは疑問だ。柔軟さでは伊藤、権謀術数では原敬に負ける。
 そう考えたとき、大久保の評価は過大評価なのかもしれない。

290: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/10/25(金) 08:21:53.19 ID:Bx3L18jA0
大政奉還こそ大久保の真骨頂。
土佐、長州は徳川幕府を廃絶までせず縮小存続させる方向で動いてたみたいだが、大久保、岩倉の最強コンビが徳川幕府の痕跡を近代史から抹殺させることに成功した

293: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/10/28(月) 05:58:17.79 ID:AvBzcmGh0
王政復古の離れ業

282: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/10/18(金) 06:41:24.26 ID:4U7J0l7S0
大隈重信曰く明治では第二位の政治家

297: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/11/04(月) 20:52:22.00 ID:+g3Bgh+W0
大隈さんの生家から約1キロのところに住んでる佐賀市民だが一応回想で大久保のことを偉人みたいなこと言ってる
だが中公新書によると大隈さんが佐賀戦争の江藤先生に対する過酷な仕打ちへの抗議か本当に病気だったか
4日ぐらい出仕しなかったら大久保が政府が回らないからと大隈さんを見舞ったらしい

大隈さんは鉄道開設で大久保と西郷から反対されてるし上記のようなことを言われて心底芋侍の知性教養のなさを感じていたと思う

298: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/11/05(火) 06:39:19.41 ID:q3YPYKCk0
大久保は何もない不毛の郡山を開発して見事に地方都市に変えたのだけ偉人だと思うよ
都市開発だけは天才的だったのは事実
もちろん罪も深いがな

299: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/11/05(火) 08:34:19.18 ID:T2PkD96X0
罪深いどころじゃねーよ 江藤先生の即決処刑は木戸も陰謀仲間の岩倉すらも反対していた
元政府高官の首を晒すなんて常軌を逸している 欧米列強はこの仕打ちをどう思っていたのかね?
陰謀しか能のない大久保がメッタ切りにされて殺されたのはこれこそ因果応報

300: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/11/05(火) 17:41:23.14 ID:VzBoIrRx0
江藤って周囲が止めるのに勝手に佐賀に帰ってあろうことか乱のリーダーになっちゃって、戦のさなかに下の者たちを置いて上の連中だけで逃げて自分たちが助かりたい一心で、薩摩にも反乱を起こしてくれと西郷と久光に頼みに行った
江藤が捕まった時点で、新政府の方には久光が蜂起するかもしれないって情報が飛び交ってて、見せしめの死刑でもして久光止めないとたいへんなことになると新政府内部は大騒ぎになってたし、薩摩の慣習だと戦いの最中に目下を置いて逃げる奴は斬首が当然

301: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/11/05(火) 18:45:10.33 ID:a2ht/A440
大隈と江藤の関係を真剣に知りたいわ
明治政府では袂を分かった様に見えるが根強い同郷意識も残っていたのか?

302: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/11/05(火) 19:20:22.62 ID:WPAccPSv0
大隈は江藤と仲良いだろうね
江藤が井上の汚職を追求した時に江藤側について井上に後まで恨まれた
非常な討論家だったみたいな事も言ってた様な
江藤は殺さず牢に入れとくべきだったろうね

303: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/11/06(水) 02:46:39.28 ID:EQ/+yR2O0
江藤は刑法をいじれる立場だったのに晒し首を廃止しなかったんだから自業自得では。

304: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/11/06(水) 02:50:46.39 ID:EQ/+yR2O0
1879(明治12)年1月4日、太政官布告第1号によって明治政府は平安時代から実施されていた「さらし首(=梟首刑)」を廃止した。

306: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/11/06(水) 20:33:49.85 ID:HqsP22Vo0
大久保は江藤や渋沢の様な実務家からはなんも知らんと評価低かったから恨んでたんでは

309: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/11/08(金) 19:19:24.09 ID:FqMOwV7x0
大久保は調整型の政治家なので大局を動き
江藤や渋沢は自分の専門分野だけ見てる
渋沢は大久保と合わなかったが、自分には到底推し量れない人物であるとは認めていた

338: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/12/04(水) 05:28:15.21 ID:HZt7aZcT0
政治家じゃねえだろ
根っからの権謀術数家

だが時代が大久保の権謀を求めていた

341: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/12/05(木) 05:30:56.09 ID:R3LHzmkL0
>>338
王政復古の大号令なんて前代未聞の離れ業は、大久保利通と岩倉具視の最凶コンビでしか無理だったわな

342: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/12/06(金) 06:09:03.20 ID:adINgxF+0
ああいうスーパーウルトラ劇場は大久保利通にしか無理だったかもしれんな。

引用元: ・初代内務卿 大久保利通