【1】はじめに

 

 「暑い。暑い」と思っていたら、17日の朝は一転して冷え込み、窓を開けていると寒いくらいであった。「涼しかったらいいじゃないか」といわれそうだが、老体には激しい気温の変化が実にこたえる。やはり、緩やかにいきたいものだ。

 

 先週、お盆休みのことを書いたが、某出版社から打ち合わせしたいとの連絡をいただいた。「お盆休みでは?」と質問すると、出版社はなかなか大型連休が取れないとのこと。交代で少しずつ休むしかないようだ(それでも長期間は難しいとのこと)。知らなかった・・・。

 

 実は、たまたまフジテレビ系列で「1リットルの涙」の再放送をしており、連日、号泣しながら見ていた。あの頃の沢尻エリカが実に懐かしい。そろそろ「軍師官兵衛」でも、号泣する場面がほしいところ。そうなると、視聴率もガツンと上がるかもしれない。

 

 閑話休題。

 

 今回もまた、突っ込みどころ満載でおもしろかった!

 

 

 

【2】また村重か。

 

 テレビをつけて、しばらくすると道薫(荒木村重、役・田中哲司、以下「村重」)登場。「何だよ。また村重かよ」と辟易としたが、案外、村重の話はいけたんじゃないかと思った。

 

 村重は秀吉と茶々(役・二階堂ふみ)たちの前で、織田信長(役・江口洋介)と戦ったことについて、求めに応じ語り出した。いわゆる「御伽衆」という役割だ。このシチュエーションは、もちろん架空のものと思えるが、それを匂わせる史実はある。

 

 村重が茶人として復活し、羽柴(豊臣)秀吉(役・竹中直人)のもとに出入りしていたことは、先にも書いたとおりである。『宗及茶湯日記』天正11年12月18日条などを見ると、秀吉は「夜話(咄)」をしているが、その際に千利休(役・伊武雅刀)らとともに村重の名前を見ることができる。つまり、村重が秀吉の話(咄)相手であったのは事実だった。

 

 ところで、天正12年(1584)8月の『イエズス会日本年報』には、注目すべき記事がある。秀吉と村重が茶の湯の席で同席したとき、秀吉は高山右近(役・生田斗真)について語り、その類稀な才知や善良さを褒め称えた。しかし、村重にとって右近は、裏切った憎き相手である。村重が答えるには、事実はそうではなく、秀吉が賞賛しているのは本心ではないと言った。

 

 すると、秀吉は怒り狂い、村重に京都から出て行くように命じた。追放だ。村重は人を介して、秀吉に赦免を乞うたが、ついに許されなかったという。そして、村重は秀吉を軽蔑する発言をし、それがおね(役・黒木瞳)の耳に入り、厳しく譴責された。村重は殺されることを恐れて、再婚した妻と都を去り、このとき出家したというのである。

 

 おそらくドラマでは、この話を援用して描いたのであろう。普通に考えると、ドラマのように家臣らを集めて村重の話を聞くとは考えにくい。いずれにしても、村重は京都を追放されるのであるが、そこに自らの生き方で苦しみぬく村重の姿がうまく描かれており、なかなか良かったように思う。田中哲司の演技は鬼気迫るものがあった。茶々の演技もなかなかのものであった。

 

 ちなみに、幼少時(8歳)の岩佐又兵衛が登場していたが、後藤又兵衛(役・塚本高史)と同じく、幼名が「又兵衛」ではおかしい(本来は○○丸とか)。当時、紙は貴重でもあったので、スケッチブックのようにして、紙を持ち歩いて絵を書いているのも腑に落ちないところである。又兵衛は村重の子供であると明言していたが、そうではないという説もある。

 

 ナレーションによると、翌年に村重は死んだと言っていたので、もう以後は登場しないと思う(亡霊として出てきたりして)。それにしても製作した人は、よほど村重が好きだったんだなあと思った。

 

 

 

【3】嫌われた官兵衛

 

 それにしても、官兵衛(役・岡田准一)は相も変わらず秀吉から嫌われている。しかし、秀吉は官兵衛が使える男なので、軍事は官兵衛、政治は石田三成(役・田中圭)と使い分けているようだ。誤解のないように言えば、別に官兵衛は秀吉の軍事顧問でもなんでもないので、大袈裟に過ぎるであろう。ドラマだからね。仕方ないよ。

 

 それにしても不可解なのは、官兵衛が四国征伐における恩賞を辞退したということ。官兵衛自身も「恩賞などいりませぬ」という首をかしげる発言。今でいうなら、「昇給も賞与もいりませぬ」に等しいであろう。そんなアホな人間なんていないからね。

 

 こうして慎ましい人間に描いてしまうと、関ヶ原合戦(1600年)で「切り取り自由」を徳川家康(役・寺尾聰)に要求したことと整合性が取れるのだろうか? 勝手に心配してしまう・・・。ほかにそれらしい理由を創作したほうがよかったのでは?

 

 余談ではあるが、竹中直人が演じる秀吉は少々軽薄な印象を受けてしまう。右手を突き出して、「心配後無用」とか「天下惣無事」など発言するのは、演技としてかなり安っぽい。やめたほうがよい。

 

 

 

【4】最後に

 

 とはいいながらも、いよいよ次週から九州征伐に入るようで、ようやく畿内から中国方面をウロウロする話は終わりを告げそうだ。以後も大いに期待したい。

 

 今週の視聴率は、16.7%! 横ばい状態が続く・・・。

 

 がんばれ「軍師官兵衛」!

 

 ※8月7日に拙著『謎とき東北の関ヶ原 上杉景勝と伊達政宗』(光文社新書)が刊行されましたのでご案内いたします。

 

 

 

〔参考文献〕

渡邊大門『黒田官兵衛 作られた軍師像』講談社現代新書

渡邊大門『黒田官兵衛・長政の野望――もう一つの関ヶ原』角川選書

渡邊大門『誰も書かなかった 黒田官兵衛の謎』中経の文庫

 

 

 




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