西郷の苦悩


 今回は廃藩置県後、岩倉遣欧使節団が出発する明治4年(1871)11月あたりから、西郷が明治天皇の行幸に従い鹿児島へ帰省する翌5年6月までが描かれる。

 このままだと、急がなければ西南の役までたどり着けないからだろうか。なにやら目まぐるしく、ひたすら年表を説明するように、どんどん話が進んでゆく。


 一番の問題は、西郷が明治という新時代の何に戸惑い、苦悩しているのかが、よく分からないことだ。近代化に戸惑い、西洋化を憎み、腐敗を憎むといったこのあたりの西郷の思いは、たとえば『南洲翁遺訓』などを読むと伝わって来るものがあるのだが、そのあたりをじっくり描く暇が無いのだろう。


 明治維新を描くならば、ここが作り手にとって最大の腕の見せ所かも知れない。西郷は討幕戦争までは、旧政権を破壊するヒーローだった。しかし以後は、よく言えば、明治維新によって日本から失われてゆく様々な価値観の代弁者のような存在になってゆく。


 西郷役の俳優は相変わらず熱演で、いつも苦しそうな顔をして、時に寂しげにつくり笑いをする。だが、それ以前の台本が西郷の苦悩を理解していないから(あるいは描き込めていないから)、当然観る側にはその痛みがいまひとつ伝わって来ないのが残念だ。

 

テロと権力者


 史実では明治4年に上京した西郷は、東京日本橋人形町あたりに2633坪を占める、広大な屋敷に住んでいた。もとの、姫路藩邸である。そこには書生15人、下男7人が住んでいたという。猟犬も何頭か飼っていた。もっとも、あまりにも広大な屋敷なので、持て余した西郷は屋敷内の長屋で起居していたそうである。


 前回も書いたが、ドラマでは政府参議である西郷は、東京の貧乏長屋に住んでおり、そこで庶民の新政府に対する怨嗟の声を聞く。現代で言うなら、総理大臣がSPも付けず、四畳半一間の風呂・トイレ無しのアパートに住んで、隣人から政府批判を聞くような話だ。

 あるいは西郷の潔さ、決意を示すために、このような目茶苦茶な設定にしたとすれば、面白い。


 現代でも権力者が、これだけ潔ければ無差別テロも減るはずである。たしかに武士の時代の権力者は、権力を持てば持つほど警護をわざと手薄にするという美学の持ち主が多かった。権力者が警護を厚くするのは、みっともないこととされた(その感覚は、現代でも時代劇などに残っている)。


 たとえば万延元年(1860)3月3日、桜田門外で大老井伊直弼が呆気なく暗殺されたのも、警護の人数が少なかったからである。権力者は、それだけ堂々としていたし、いつでも生命を投げ出す覚悟だった。明治はじめ、大村益次郎、広沢真臣、大久保利通といった政府高官が次々と暗殺されたが、その原因は警護の手薄さにあった。


 そうした政治家とテロリストとの間に生まれる緊張感が、明治維新の原動力のひとつだったと、僕は思っている(そのうちテロにつき、一冊書く予定です)。


 しかし、特に戦後、政治家からそうした決意が消えてゆく。

 総理大臣の岸信介が昭和35年(1960)7月14日、東京の首相官邸で右翼の壮士に刃物で刺され、大騒ぎして護衛の者に担がれて逃げる姿など、僕には権力者の醜態に見えて仕方ない(あるいは失禁していたとも。その時の写真は、ネットで見れます。その方のお孫さんが、やたらとテロを恐れるのも理解出来る気がします)。


 テロを賛美するわけでは決してない(これは重々言っておく)。権力者一人をターゲットにしたテロと、無差別テロとは違う。しかし、やたらとテロ(言論も含む場合もあり)を恐れる現代の政治家が「テロに屈するな」「テロ撲滅」を声高に唱え、「テロリスト」を極悪非道扱いして、ひたすら警護を厳重にしている姿は、ちょっと首をかしげざるを得ない。


 無差別テロが起こる背景のひとつは、そこにあるわけで、史実の井伊や大久保、そしてドラマの西郷などを見習って、権力者が丸裸になれば、罪もない一般市民が巻き込まれることも少なくなると思うのだが……。


 繰り返し言うが、僕はテロを賛美するわけでも、推奨するわけでもない。

 ドラマの西郷のあまりにも無防備な姿に、そのような現代の権力者(しかも明治維新をやたら賛美する)への痛烈な皮肉が込められているとすれば、面白いと思った次第である。

<了>

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