戦闘シーンのこと
最終回は、敗走を続ける西郷軍が延岡を追われた明治10年(1876)8月半ばあたりから始まり、9月24日の城山総攻撃のクライマックスを経て、翌11年5月14日の大久保暗殺事件までが描かれる。
戦闘シーンは、やたら火薬が爆発して土煙が立ち、兵士たちは血と泥にまみれている。西郷も小銃を抱えて最前線を走り回って戦う。至近距離で戦いを追いかけているような感じが続き、観ている方はいささか疲れる。
俯瞰的な戦闘シーンを描くことは作品の規模からも、無理があるのだろう。それは、単なるカメラワークの問題では無く、西南戦争がどんな戦争だったのか、いまひとつ伝わって来ない。
もっとも、演出と音楽で盛り上げ、回想シーンを多用して、最終回らしい雰囲気を醸し出していた。まずは、作り手の方々に、一年間、お疲れさまでしたと述べておきたい。
民との関係回収出来ず
ドラマの息子菊次郎によれば、西郷は新しい時代の波に乗り切れなかった侍たちを、「抱きしめ、飲み込み、つれ去りました」と言う。
それは間違いではないのだが、あれほど「民のため、民のため」と言い続けて来た西郷が、最終回に至り「侍の最後」とか「ニッポンの誇り」とか叫んで、最後の城山の戦いに身を投じるのは、ちょっと理解に苦しむ。あの「民のため」は、どこに消えてしまったのだろうか。
この伏線を回収出来ず、ラストを単なる不平士族の反乱として描いてしまったところは、ドラマとしては失敗だったと思う。
ちなみにドラマの西郷の周囲には、「新政厚徳」と大書された旗が2旒掲げられていた。あれは確かフィクションなのだが、西南戦争当時に出された錦絵には、早くも「新政厚徳」の旗が数多く描かれている。つまり、西郷が民のため、世直しのために決起してくれたというのは、民衆が創作した最も古い西郷を題材としたフィクションなのだ。
西郷と民の間に横たわっていた溝を作り手が真剣に研究を重ね、検討して、ドラマに盛り込めば、あるいは「名作」が誕生したかも知れない。「民のため」を連呼することで西郷を「善い人」に見せ、一方の民は小汚い貧乏人で、西郷にヘコヘコしながら食料を持って来るだけでは、歴史はさっぱり見えて来ない。民の視点を象徴するのが、奄美大島の妻である愛加那のはずだったが、それが途中から完全消滅してしまった(登場回が無かったと言っているわけではない)。
これらの点と関わるのが、大久保と西郷がなぜ決裂したかという大きな問題が、ドラマなりの解釈で描き切れていなかったことである。
記憶の限りでは、岩倉使節団に加わり欧米を巡視し、帰国した大久保が、すっかり変わってしまったという印象だけで、ドラマは二人の決裂を描こうとしていた。西郷はあくまで「善い人」であり、変わらないというのがスタンスのようだが、大久保の言い分も同等に時間を費やして描かなければ(欧米における、数々の失敗体験など)、親友を切り捨てても突き進むしかなかった最終回の大久保の悲しみが、伝わって来ないのである。
西郷がヒーローに
錦絵に描かれた「新政厚徳」の旗でも分かるとおり、確かに西郷は西南戦争を起こしたことで、民の間でアンチ・ヒーローになった。
ドラマでも岩倉具視が大久保に、西郷の芝居を観に行こうと誘っていたが、西南戦争終結から半年後には、早くも劇化されている。
河竹新七(黙阿弥)が西南戦争を西郷側から描いた「西南雲晴朝東風」がそれで、西郷には市川団十郎が扮した。上演場所は東京・新富座。明治11年2月23日初日で、80日も大入りが続いたという。実名では生々しかったのか、役名は「西条高盛」になっている。この芝居は同年6月に別の劇場でも再演され、そのさい大臣、参議、大輔なども観劇したという(拙著『幕末時代劇「主役」たちの真実』講談社+α新書)。
西郷が主役の物語だから、当然政府高官たちの耳障りの良い話ばかりではなかっただろう。政府批判の路線だろうが、そのために芝居が弾圧されたという話は聞かない(江戸時代なら、一発でアウトである)。その自由さこそが、近代化のはじまりとされる「明治」という時代でなければならない。ドラマで描かれた西郷人気の高さ、芝居について語る岩倉具視のお気楽そうな顔は、実は重要な意味を持つ。
ところが、その後誕生する映画というメディアでは、西郷という題材は政府に対する反乱を肯定することにつながるとして、危険視されたことは以前書いた(政府がイチャモンをつけた事件も起こったらしい)。また、戦後は「征韓論」の問題から、これまたドラマ化するには慎重にならざるを得なくなったことも書いた。
平成27年、吉田松陰の妹を主人公にした『花燃ゆ』を観るまで、僕が大河ドラマを通しで全話観たのは昭和55年の『獅子の時代』が最後であった。三十数年ぶりに観た大河ドラマである『花燃ゆ』は、あまりにも劣化が甚だしくて驚いた。物語づくりにも、時代考証にも、呆れ返りながら、この「歴史REALWEB」の連載批評を書いたことなど思い出す(まだ読めます)。しかも週刊誌をたびたび賑わせた、製作決定に至るまでの政権絡みのきな臭くも、みっともない話の数々も含め、とても正視出来ないことがあった。
ドラマが終了してから、ずいぶん政治絡みの方たちから陰険な嫌がらせや、脅しを受けた。「ドラマを批評したことは、行政を批判したこと」との旨、エエ年をした公立の博物館長から言われたのが、なんとなく忘れられない。我々が住む国は、とうとうこれ程まで馬鹿になってしまったのか。
ここまで来ると、政権は明治維新を描く大河ドラマに、一体何を期待しているのだろうかと思えて来る。少なくとも、娯楽目的だけではなさそうだ。
だから、『西郷どん』を観る仕事を引き受けた。作品についてはさんざん書いて来たので触れないが、いつか『花燃ゆ』と共に「明治150年」についてまとめる時が来たら、論じられたらと思う。
一年間にわたりご愛読くださり、ありがとうございました。さようなら。
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