【1】はじめに
最初に、大雨により広島で被害に遭われた方にお見舞いを申しあげます。
それにしても天候不順が続き、もはや老体で体温調整機能が崩壊した私にとっては、急に涼しくなると体調に異常を来たすことがたびたびである。エアコンをつけると寒さに打ち震え体調不良になり、エアコンを消すと暑さで体調不良になる。つまり、どっちに転んでも体調不良ということになろう(こう書いておいて、原稿の遅れの理由としよう・・・)。
実は、ネット上にも書かれているが、少し気になることがある。それは、寺尾聰さんが徳川家康を演じているのであるが、少し右目の様子がヘンなのだ。これは演技として、敢えてああいう感じにしているのであろうか? それとも寺尾さんの目は、もともとあんなんだったけ??? 謎である(私のブログにも同様の質問をいただいた)。
前回、荒木村重(役・田中哲司)が登場したらどうしようと書いたが、それは杞憂に終わったようだ。むろん、油断はできないが・・・。
閑話休題。
今回もまた、突っ込みどころ満載でおもしろかった!
【2】官兵衛中心史観とホームドラマ
これまで何度も指摘したように、官兵衛がドラマの主人公であるため、何もかもが官兵衛を中心に回っている。一連の中国計略や四国征伐(長宗我部征伐)もそうであったが、九州征伐(島津征伐)もすべてが官兵衛に委ねられているようである。この点は、いささか違和感があるところだ。
ドラマのとおり九州征伐の発端は、豊後・大友宗麟(役・上條恒彦)と島津義久(役・永澤俊矢)との戦いである。当初、九州北部にどんどん勢力を拡大した大友氏であったが、徐々に弱体化が進むと、天正13年(1585)における島津氏との戦いで厳しい状況に追い込まれた。
天正13年10月、宗麟の依頼を受けた豊臣秀吉(役・竹中直人)は、大友氏と島津氏に対して停戦命令を下した。しかし、肝心の島津氏は詭弁(きべん)を弄(ろう)しつつ、ついには停戦要求に応じなかった。天正14年4月、再び宗麟は大坂城の秀吉のもとを訪れ、改めて助力を乞うた。宗麟の要請を受けた秀吉は、同年7月に島津氏の討伐を決意したのである。
同年七月、官兵衛と宮木宗賦は、早速九州へと向った。「黒田家文書」によると、官兵衛の役割は軍目付(いくさめつけ)であり、軍勢の主力は毛利氏(輝元、小早川隆景、吉川元春)である。官兵衛が力を発揮したのは、合戦の事前準備であった。九州北部の領主層を味方に引き入れるために工作し、味方になった領主の支配する村から人質を徴集した(「広崎文書」)。官兵衛がもっとも得意とする手法である。
何となく官兵衛がすべてを差配し、あたかも全軍を率いている位置付け(軍師?)のようになっているが、実際は軍目付という役割が与えられていたのである。あくまで主力は、毛利軍であった。
それにしても、女性陣のホームドラマ化は、目を覆わんばかりである。おね(役・黒木瞳)と光(役・中谷美紀)は、もはやママ友全開である。それどころか、茶々(役・二階堂ふみ)や糸(役・高畑充希)も加わって、めちゃめちゃになった感がある。まあ、いいかそれくらい・・・。
【3】さらば、元春!
今回で吉川元春(役・吉見一豊)が最後の出演であった。ここまで影が薄かったように感じたが、最後はびしっと決めてくれた。ちなみに元春はドラマでも演じていたように、無類の教養人であるのは事実である。息子の元長も同じである(すぐ死んじゃうけど)。
ところが、官兵衛(役・岡田准一)の言動がいただけない。元春は官兵衛に備中高松城でハメられたことを遺恨とし、たび重なる出陣要請に応じなかった(実は、病気でもあった)。説得に来た官兵衛は、「命の使い道を考えられよ!」と説得する。すべては、天下平定のためだとか。ああ、なんか臭いんだよなあ、セリフが。普通はこんなこと言わないよ・・・。
たとえば、ブラック企業に勤務する従業員が「残業時間が多すぎる(しかも残業代が出ない)。このままじゃ働きすぎで死んでしまうよ!」と有給休暇を申し出たとき、社長が「命の使い道を考えられよ! すべては会社の業績アップのためだ!」と説得することがあるだろうか(何だか意味不明だね?)。
結局、無理がたたった元春は死んでしまった。何となく官兵衛がカッコイイように描かれているが、よく考えてみると、元春を殺したのは官兵衛じゃないの!? 普通だったら、「よく休んで、元気になったら出陣してください」とか気を利かさないと。かえって官兵衛のブラックな側面を見てしまったのは、私だけなのだろうか???
ちなみに蜂須賀小六(役・ピエール瀧)も死んじゃったけど、豊臣秀吉が馬乗りになって叫んでいたね。あれもオーバー・アクションで臭い。
なんでもそうだが、普通が一番なのよ。
【4】最後に
ホームドラマ化と過剰な演出・オーバー・アクションが、何となくマズイと感じている。そう思うのは、私だけであろうか???
なんと今週の視聴率は、13.0%まで急落した! これはネット上で話題にもなっていたが、やはり裏番組の問題でもあったのだろうか???
がんばれ「軍師官兵衛」!
※8月7日に拙著『謎とき東北の関ヶ原 上杉景勝と伊達政宗』(光文社新書)が刊行されましたのでご案内いたします。
〔参考文献〕
渡邊大門『黒田官兵衛 作られた軍師像』講談社現代新書
渡邊大門『黒田官兵衛・長政の野望――もう一つの関ヶ原』角川選書
渡邊大門『誰も書かなかった 黒田官兵衛の謎』中経の文庫
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