『斬(ざん)』

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ネットでは、あえて知人という表現を使う

2006å¹´06月28æ—¥ | ãƒ–ログの話
■われ思ふ ゆえに・・・の『誰が読んでいるかわからないから。(前編)』 『(中編)』 『(後編)』

を読んで。
 IT 社会の危機管理についての警鐘を鳴らす、素晴らしい体験談のこの記事。是非多くの人に読んで欲しいと思います。

 で、ブロガーなど、Web 上で匿名(顕名)で(時には実名でも同じ)何かを表現されるかたにとって、とても重要なことが書かれていますので必読です。自分または自分の近しい人の個人情報という最もプライバシーな部分に関することですのでね。特に、
そして、私が「書く」において注意していることのひとつが、これ。こういう場面で「固有名詞を特定されないようにすること」だ。

私は身近な誰か、あるいは何事かをクローズアップして書くとき、必要と思えば徹底的に設定を変更する。場所や状況、ときには登場人物の性別も変える。さらに念を入れ、何ヶ月も経ってからようやく話題にすることもある。
けれど、「日記なのに事実をありのままに、あるいはタイムリーに書けないこと」に対するジレンマやためらいはまったくない。そこはどんな人が目にするともしれない場所なのである。あったことを寸分違わず再現することより、自分に書かれたことによって誰かが迷惑を被る可能性を下げることのほうが優先順位ははるかに上だ。
そのことを不自由に感じることはない。事象を正確に記述しなければ読み手に伝えられないことというのは、それほど多くないから。
われ思ふ ゆえに・・・:誰が読んでいるかわからないから。(後編)
 の部分に注目。

 オレはここまで慎重には考えていなかったけど、この内容に近い考えでブログに記事を書いている。だから、自分と他の人を特定できないように、極力、“友人”とか“親戚”とか“同級生”という限定される表現は用いない。全てこれらを“知人”で統一している。性別も不明にして書いている場合が多いですね。なぜかといえば、リアルばれのリスクを少なくするためです。

 友人や親戚(姪とか孫とか妹など)と特定すると、もしその姪なりが万が一自分の記事を読んだ時に気が付く場合があるからです。でも“知人”と書いてあれば、「自分の経験した事とよく似た話だなぁ」で、それ程記憶には残らないでしょう。もし気になって暫く注目されていたとしても、そうそうそーゆー身近な話題はしないようにしてるので、いずれ忘れられて、まず気付かれる事は無い。
 
 どこで、誰が読んでいるか分らないのが、ネットです。なので、細心の注意が必要なんですよ。Web やケータイでの個人情報の管理のしかたを知らない人に気付かれてしまったら、そこからほころびが生じます。自分の知らないところで、リアルばれなどの個人情報が漏洩することも有り得るのです。

 あなたは、どこまで慎重に記事を書いていますか?

[参考]
・きらきら、ぶつぶつ - 面識ある人からブログ関連の話題を振られたとき私は・・・
・わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: USBメモリを用いたソーシャル・エンジニアリング
・ITmedia エンタープライズ:あなたを狙うソーシャルエンジニアリングの脅威

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