すでに、昨年12月29日の記事で紹介したが、わが国の文化財建造物を数多く調査してきた財団法人文化財建造物保存技術協会が刊行した「文化財建造物伝統技法集成」に、「日本の建物に於ける筋かい」について解説があるので再掲する。
・・・鎌倉時代には、柱間に筋違いを設け、間渡し材を密に入れ壁を塗ることが行われたが、間もなく使われなくなり、主に小屋束まわりの補強に用いるだけになる。中世以降、軒まわりに桔木を使い、桔木上に小屋束を立てる小屋組が増える。桔木には1本ごとに形状の異なる丸太が使われるため、桔木上の小屋束の寸法が決めにくく、屋根の反り・流れを決めて母屋を所定位置に仮置きし、束を1本ずつ現場合せで切断し、桔木、母屋に枘なしで釘打ちとする粗放な手法が増え、その転び止めとして筋違いが使われた。近世になり、あらかじめ地上で梁、桔木ごとに墨付を行う技術が確立、梁・桔木・母屋に枘差しで束を立て貫で固める小屋組が普通になり、筋違いの使用は減る。・・
註 同書では、「筋かい」に「筋違い」の字を用いている。
同書には、上掲の写真・図のような、きわめて特異な事例が紹介されている。
これは、「内法貫」上の小壁を「力板」や「たすき掛けの斜め材」で補強して、広い開口を維持しようとした慈照寺・東求堂(1490年ごろの建設)の東面の例で、このような方法は、他にまったく類例がないという。
註 内法の鴨居は、農家等の差鴨居ではなく造作材である(→断面図)。
同書では、この「たすき掛けの斜め材」を「筋違い」と呼んでいる。
「筋違い」は、斜めに材を使うときの総称であったようである。
現在では、この例のような使い方は「筋かい」とは呼ばないだろう。
現在の用語では、その役割、形から、「ラチス(梁)」と呼ぶのが
相当ではないだろうか。
断面図で分かるように、東求堂の足元まわりも典型的な「礎石建て+足固め」方式で、もちろん礎石の上に据え置かれているだけである。