[深夜に、追加付記しました]
今度は、200年住宅だって・・・!!!
現首相の所信の中に、200年住宅という言葉が現われた。これまでは100年住宅。イメージ倍増計画?大きいことはいいことだ?ドリームジャンボ計画?
これは現首相が会長をつとめる自民党の「住宅土地調査会」の「提言」が出所だ。
その提言は12ある。概要を羅列すると、以下の通り。
1)超長期住宅ガイドラインの策定(200年住宅のイメージの共有)、2)住宅履歴書の整備、3)分譲マンションの適切な維持管理のための新たな管理方式・権利設定方式の構築、4)リフォーム支援体制の整備・長期修繕計画等の策定およびリフォームローンの充実、5)既存住宅の性能・品質に関する情報提供の充実、6)既存住宅の取引に関する情報提供の充実、7)住替え・二地域居住の支援体制の整備と住替え支援の住宅ローンの枠組み整備、8)200年住宅(スケルトン・インフィル住宅)の建設・取得を支援する住宅ローン等の枠組み整備、9)200年住宅の資産価値を活用した新たなローン提供の仕組みの構築、10)200年住宅に係る税負担の軽減(住宅に係る税制の検討)、11)200年住宅の実現・普及に向けた先導的モデル事業の実施、12)良好なまちなみの形成・維持。
この《提言》は、最近の日本の住宅の寿命が平均30年だ、という認識から出発している。そして、建物として200年保つ住宅の構想、その取得費用と営繕費用へのローンの整備、住宅税制の優遇、等々を行えば寿命が延びる、と考えているのがこの提言の骨子。
この「提言」は、一言で言えば、現在「懐が豊か」で「裕福な住宅」に住まわれている方々の、言い換えれば一般の人びとの実体を知らない方々の、妄言に等しい。
なぜか。
なぜ最近日本の住居が低寿命になったか、についての分析がまったくなされていないからだ。一般の人びとの暮しをまったく見ていないからだ。
この点についての私の分析は、以前すでに触れた(8月10日「住宅の低寿命化はなぜ起きたか」)。
すなわち、構築物としての住宅の物理的寿命の低下は、一に、1950年以降の建築基準法をはじめとするわが国の建築法令が進めてきた木造建築の規定・仕様に最大の原因がある。
元来、住宅はもちろん木造主体の日本の建物は、構築物として寿命の長いつくりであった(わざわざ短命な建物をつくるはずがないではないか)。
そういうつくり方を否定し、黙殺し、つくれない方向に舵をとってきたのは、建築基準法をはじめとする法令であること、そしてその動きを推進してきたのは、一握りの学者と自称する人たちの群れであったことについても、しつこく何度も触れてきた。
つまり、現行の法令を撤去し元来の工法に立脚すれば、自ずと寿命の長い建物になるということ。現に、元来の工法と法令規定の工法との明々白々な落差に恐れをなしたのか、近年、元来の工法の法令への取り込みに躍起になっているではないか。
註 私は、変な形での「取り込み」を恐れる。
限界耐力計算法に安易にのるべきでない、と言うのは
それを恐れるからだ、
つまり、伝統工法が歪められるのは明白だからだ。
これもすでに触れたが、このようにして物理的寿命の低下策を進めてきた上に、さらに、高騰する固定資産税、都市計画税や相続税は、敷地の切売りを余儀なくさせ(まだ使える上物の建物をも壊すことになる)その建物を使い続けることを不可能にしている。
その結果は、敷地の細分化、敷地規模の狭隘化を否応なく進めてしまう。それでも維持できない人びとは、その土地を売り(売買するにも、現在は、地価が圧倒的に建物の価格よりも高いから、建物ではなく土地がその対象となる)、生まれ育った土地を離れてゆかざるを得なくなる。
そして、跡地を買うのは、再開発業者。再開発は、税制でも優遇される。つまり、この現行税制は何を目指しているか明々白々ではないか。
提言の言う「良好なまちなみの形成・維持」がこれでどうしてできるというのか。これは、体のいいスラムクリアランス以外の何ものでもないのである(追われた人びとは、別の場所に新たに狭隘な敷地の狭隘な住宅に住む、あるいは公営住宅で生活保護をうける、あるいはホームレスになる)。いったいどこに夢があるというのか!
それとも、スラムクリアランスを、良好なまちなみの形成と維持とでも言いたいのか?六本木ヒルズなどが良好なまちなみだと言いたいのか?恐ろしい話だ。(字句追加:10月26日3.51AM)
経済成長第一主義者は、よく、全体の経済が成長すれば、個々人にもその結果が《返ってくる》という。《返ってくる》とは聞こえがよいが、何が返ってきたか、おこぼれでも返ってきたか?
この一般の人びとを苦しめてきている地価に応じる税制(人びとを苦しめているのは住宅に係る税ではない)は、1962年に策定された「全国総合計画」通称「全総(ぜんそう)」に始まるいわば「地価の上昇をもって地域経済の隆盛」とみなす政策が進められた結果である。
なお、この全総は以後現在まで5回策定されており、一全総~五全総(1998年)と通称されている。
この策定すべてに関わっているのは池田勇人、佐藤栄作、田中角栄各内閣の「国土開発」に絶大な影響を及ぼした下河辺淳元国土庁事務次官、健在。
「全総」は1950年に制定された「国土総合開発法」に基づいている。
「一全総」で一応成功したかに見えるのは八戸、四日市などだけ、むつ・小川原は掛け声だけで終り、やむを得ず今は原発廃棄物保管場として生き延びようとしている・・・。
私は、この同じ年に制定された「建築基準法」と「国土総合開発法」こそが、 環境破壊、過密・過疎の激化、住空間破壊など、戦後の日本を傷めつけてきた元凶だと考えている。
日本の住宅の低寿命化は、常に欧米の住宅と比較される。
そのとき、常に置き忘れられるのが、彼我の敷地面積の大いなる違いについてである。
日本の狭隘な敷地面積は、彼の地の住宅の床面積もない場合さえある。こうなっている理由は先に述べた。しかし、この点について、先の「提言」は全く触れていない。
おそらく自民党調査会の委員の面々は、敷地面積100~150㎡などいう狭隘の地には暮していまい。大きな敷地で、その固定資産税・都市計画税を払える十二分な所得があり、相続に当たっても別段困らない。つまり、実感がないのだ。それは、先の国土庁事務次官自体も同じはずだ。
(なお、この全総策定者と同年代で、戦後の日本の住居の質に大きな影響を与え公営住宅の基本を決めた学者は、庶民の実感には程遠い大きな住居に暮し、庶民を見下し、彼らに暮し方を指導してやる、という態度が著しかったことを、私はよく記憶している。これについても、いずれ詳しく触れなければならない。日本の住居を「おかしくした」元凶として。)
また、提言は、盛んに各種のローンを気にした発言をしている。寿命の長い建物は普通の建物よりも、つくるのにも修繕するのにも多額の費用を要すると考え、そのためのローンを用意しようというのである。
元来の日本の工法:いわゆる伝統工法:によって建物を建てるとき、茨城県下であれば、いわゆる坪当たり単価でいうと(工費のこういう表しかたは好ましくはないのだが)、普通の材料で、現在でも、60万あれば十分に長く保てる建物をつくることができる。
つまり、現在の普通の融資制度の下で、十分に建設できる。長く保つ建物は金がかかる、というのは迷信、誤解、曲解にほかならない。
これについては、いわゆる伝統工法、私の言葉では一体化・立体化工法で仕事をしている大工さんに訊いていただければ分る話。
なぜなら、いわゆる伝統工法は、長年にわたり、日本という環境で鍛え上げられてきた工法であり、決して無駄な金をかけない工法だからだ。
法令規定の工法(耐力壁依存工法)や2×4工法とは、鍛え方がまったく違う。合板や金物が、どうやったら200年保つというのだ。
では、一体この200年住宅提言は何なのだ?
察するに、新規の住宅関連ローンの策定が主眼のように思える。提言に出てくるローンの語の回数の多さにそれが垣間見える。
そしておそらく、そのイメージは、いま世界中をさわがせている主にアメリカで行われてきたサブプライムローンだったのではないだろうか。ローンを証券化し、ハイリスクだがあわよくば濡れ手に粟のハイリターンをと期待する投資家に売り出し、儲けようという魂胆の制度。根は、何もしないで儲けようというかつての近江商人なら嘆くだろう商法。
ところが、ここに至ってそれがパンク。この提言の主の「住宅土地調査会」はどう考えるのだろうか。
たまたまあるブログで、200年住宅について、別の見解が載っていたので、そのまま以下にコピーする(誤字は訂正)。
年末までこの路線でやって
それで200年住宅(固定資産を長期的に徴収する手段)前に
不適格住宅を沢山作ります。
↓
市場に土地建物が大量に放出されたところで拾いに出る部隊が回収します。
大工、建築士など専門職を廃止させる圧力が増えます。
↓
200年住宅として税金の話がアナウンスされるようになり
みんな賃貸がいいよ、になる。
↓
海外から工業製品な住宅やノウハウを導入した方が、
単価が安くなるとアナウンスする。
↓
外国主導で土地を取得し、
建設市場には200年住宅や建物が席巻するようになる。
↓
評価固定資産が手に入り日本政府もウマー。
うがった見方だが、これまでのやり方(アメリカの輸入規制への圧力で、2×4工法や構造用パネルを導入した「実績」がある)を見ていると、十分にあり得る話。
平均で、1億円以下の人がいなかった!
他の国会議員も同じだろう。
一般の人の、つまりいわゆる庶民の感覚が分るわけがない。
こういう「不埒な提言」がなされても何の不思議はない、ということ。
そして、こういう提言があると、直ぐにそれにのっかて商売をしようとするのが一部の建築屋関係者。まったく風上に置けない。