極東ブログ「フリジア帽はミトラ教の帽子」に感動した
「フリジア帽はミトラ教の帽子」では、またしても深く掘り下げてくれたものだと感動した(参照)。極東ブログのこの一連の話は、吉祥寺のラブホのシンボルであった女神像から始まっているが(参照)、昨日までで一応の紐解きは終わったものと思っていた。が、フリジア帽は何のシンボルかという部分が表面の認識で終わっていた。そこへ、ダメ押しがやってきたという感触だ。しかも、大変興味深い事実があったことを知ってしまった。歴史を辿るというのはものすごい労力を必要とするものだと思っていたが、ここまで来るともう既に抜けられないのだと観念した。掘り下げても掘り下げても足りなさがどんどん見つかるという感じがしてきた。今日の話題は、フランスの女神マリアンヌが被っていたフリジア帽がミトラ教の帽子だという話だ。この話のきっかけの部分が面白い。まずはここから。
フリジア帽(Phrygian cap)の起源は、名前のとおりフリギア(Phrygia)、つまり現在のトルコである古代アナトリアの内陸の王国に由来する。ギリシア神話のミダス王(Midas)がフリギア人だったと言われる。
他に、トロイ戦争といえば、トロイ王子パリスとスパルタ王妃ヘレンの禁じられた恋の物語だが、このパリスが西洋の美術史ではフリジア帽を被っている。典型的なのが、1788年のジャック=ルイ・ダヴィッドによる「パリスとヘレン」(参照)である。
いきなり不倫関係の話で何ですが、トロイ戦争がなぜここで出てきたのかなと不思議に思ったが、どうも、この絵が描かれた時期とマリアンヌにフリジア帽をかぶせた時期と同じだというのだ。だから何?って?
特に、このフリジア帽が赤いのはまさに当時のフランスを物語っているだろう。おそらく、自由=理性というのは、こうした不倫=自由な恋愛、を意味してもいたのだろう。というか、どうも、西洋における理性というのは恋愛感情を指しているのではないだろうか。普通に考えれば恋愛感情は狂気に近く理性の対極のようだが、この時代の理性は、神の秩序としての結婚から、性欲を解放する動因だったのでないか。
これってすごいことじゃないのかな。不倫関係の男性の方が素っ裸であるにもかかわらず、お帽子だけはちゃんと被っているということに「主張」があるからだというのは読める。でも、それが「自由=理性」は、「不倫=自由な恋愛」という開放を意味するとは驚いた。200年以上前の時代のこととは思えないが、よくよく考えると、これは人が縛られないで生きることへの道でもあるし、否定できない。むしろ、肯定的に思う部分だ。
それにしてもトロイ戦争で有名なのは、パリスに奪われたヘレンを奪い返すためにアキレウス(アキレス腱の言われ)が参戦した話の方が、どちらかというと有名ではないかと思った。この機会だからと思いいろいろな絵を見るにつけ、気になるのがフリジア帽だ。確かに皆被っている。
私は、ミトラ教というのがいまいちよく分っていないので先を読み進める前に少し調べてみた(参照)。
古代ギリシャ・ローマにおいてはミトラースと呼ばれ、太陽神・英雄神として崇められた。ミタンニ人もミトラ教を崇敬した[2]。
ローマ帝国時代には軍人を中心に広範に普及し、キリスト教とローマの国教の地位を争ったほどであった。しかし、キリスト教の勝利、すなわちローマ帝国がキリスト教を国教にすると共に弾圧され、忘却された。
ここまでの話ではまだ、フリジア帽がミトラ教の帽子とまでは言い切れない。この先がまた面白い展開だ。
ローマ、ミトラ、フリジア帽といえばサトゥルヌス祭が連想される。
えっ!まったく連想しないョ。土曜日のお祭りってわけじゃなく、奴隷開放がシンボルになったこと自体が不思議の領域だ。しかも、冬至の祭りのつながりで後のクリスマスとなったということらしい。ここまでは「ふーん」というか、そんなことと何が関係あるの?くらいな程度だったが、サンタクロースのお帽子が結びついた時点でコーヒーを噴いた。そして、最後にこう続く。
西洋キリスト教はギリシア・ローマを経てミトラ教を含み込むことで、その内部に、反キリスト教的な要素のダイナミズムを保持し、そのダイナミズムが近代におけるキリスト教支配への反抗として飛び出したのが、異教的シンボルとしてのフリジア帽だったのではないだろうか。
凄い!凄い考察だと思った。キリスト教と一言で言っても確かにいろいろな流れを組んでいる。わずかな抵抗としてフリジア帽がそのシンボルのように残っているというのは、もの寂しい。
また、200年という時を越えて、昔の絵が私達に教えてくれるものには感慨深いものがる。この一連のエントリーで、歴史が本当に面白いと感じた。これは、私にとって初めてのことだ。
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