今日出会った曲「「ダンスのように抱き寄せたい:松任谷由実」
「人は老いる。悲しいほど。そしてどうしても若いときには理解できないなにかがある。というか、この世界にはまだ何かがあるのだろうか。」
この先何年生きながらえるのか分らないが、思いがけない世界が開けるのではないかと希望に満ちている。
若い頃に抱いた将来の希望や夢は、私の何歳くらいのことを思ってそう願ったのだろうか。
若い頃願ったといえば、自分にあった一生の仕事を見つけてそれで生きて行くのだと奔走し、そして、挫折して悩んだ時、女は良い女房になって子どもを生んで母になり、旦那さんとは一生仲良く生きていかれるような人生が一番幸せかもしれないと思ったことがあった。女の性にとっては、一番それが素直な生き方ではないのかと信じていた時があった。いや、今でもそう信じている。「男は男になって行く。女は磨いて女になる」ということをどこかで信じて、それを貫く生き方があるのなら、私がやってみよう。そう思ってきた。
考え方に違いがあり、見ている方向が違うと話に接点がないというのは悲しいが、どうにもならない。そこに尊敬も生まれない。見ている方向を示すことに疲れる。見ているのは現実ではなく、今いる時点よりほんの少し先だというだけ。そこが展望できないことの無意味に日々埋もれ、光のさすことはなかった。
今日出会った曲「「ダンスのように抱き寄せたい:松任谷由実」(参照)から、彼女は素敵な女性になったと感じた。素敵な曲だ。
老いの中にいる彼女が、これからの心の居場所を掴んだようだ。曲は、心の置き場所が決まった嬉しさに満ち溢れているうようだ。これまで抵抗し続けて否定していた老いや死への恐怖や、自分の知っている若かりし頃の容姿からの変貌や落胆、それらをそのまま受け入れることができたのではないだろうか。優しく素直な表現からそのように感じた。
途中、変調になりイントロが入っている。ここで歌が盛り上がるのではなく、前半の詩を振り返りながらしんみりとした感情が漂い、落ち着くことができた。また、後半の、しかも最後の部分でシンコペーションの技法を使った部分がある。ここがこの歌の盛り上がりであり、これからの人生のスタートに、静かな力強さと決意が織り込まれているようだ。
ダンスのように抱き寄せたい 作詞:Yumi Matsutoya 作曲:Yumi Matsutoya
心 に耳をあてて
途切れそうな声を じっときいてるの
あなたがどこにいても
戻れる場所は ここにあるよと
ああ 口にはしなくても きっとわかるから
ダンスのように もう踊れない
錆びたぜんまい 止まってゆくけれども
やさしいうでを 離さない
ずっと踊るの このまま
小雨のスクリーンには
いくつもの笑顔 重なってぼやける
二度と帰らぬ日々よ
見送ることしか できない列車よ
ああ 傘もささず探す 誰もいないホーム
ダンスのように 抱き寄せたい
どんなに疲れ みじめに見えてもいい
あなたとなら それでいい
ずっと踊るの このまま
風の影が過ぎる 窓の中に浮かぶ
失くさないで 失くさないで 大切なもの
ダンスのように もう踊れない
誰もがいつか 気づいてしまうけれども
あなたとなら それでいい
あなたに会えてよかった
ダンスのように 抱き寄せたい
どんなに時が 移り変わっていっても
やさしいうでを 離さないずっと踊ろう あなたと
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コメント
ダンスのように抱き寄せたい で検索してたどり着きました。
日本の恋とユーミンと を聴いていてイイ歌だなと思っていました。
上のような感想は書けませんが感覚的に気に入った歌です。
よくそこまでわかるなあと感心して読んでしまいました。
素敵な文章をありがとうございました。
それでは。
投稿: 鈴木 千里 | 2013-10-05 22:24
歌詞や唄から読みとく文章に感動しました。
ありがとうございます。
投稿: | 2014-01-12 01:11