2010-08-14

極東ブログ「なぜ月遅れ盆なのか?」これね、ずっと不思議だったこと

 お盆は何故八月中旬なのか?と、以前気になって調べたことがあった。極東ブログにもあるが、なかなかこれといった答えが出てこなかった。どうしても知っていないと困るということでもなったのでそのままになっていたが、きっかけは、この田舎に来て、この土地の習慣として知っていないと困ると思ったことが起こったからだ。当時はNetはなかったので、図書館で調べたりしたのが懐かしいとさえ感じる。
 読み進めるうちに、その答えにあたる部分が偶然にも中盤の下りにあって、何年ぶりだろうか胸のつかえが下りた(参照)。
 私は東京近郊の、昔、ベッドタウンと呼ばれた地域に、九州の長崎から移り住んできた言わば移民だった。九州出身の両親だが、父の仕事の都合で九州を離れる一大決心でもあったのだと思う。私は当時5歳くらいで幼稚園児だった。以前書いたが、両親ともに偶然結婚前は満州(現在の中国)に長く暮らしたため、殆ど日本のしきたりや風習などには頓着しない。そのお陰をもって、私自身もまったくそのしきたりのような儀式の型にはまっていない。だが、いい歳をしてそんなことも知らないの?と、知らないと恥ずかしいこともあるのが田舎の特徴でもある。
 さて、何が極東ブログで分ったか?それは、お盆の帰省の理由だ。彼の両親が信州人であるため、お盆には親類縁者がこぞって実家へ集まったと言う話だ。また、出稼ぎや集団就職などで都会で働く人々が、盆暮れ正月の休みに帰省するという、現在では「帰省ラッシュ」と言われている人々の動きにつながっているこということだ。これを知って初めて、くだらない遠慮をして昔損していたのだと思った。そのことはさておき、そして、お盆に田舎に帰ってきた若者達は、旧友との再会にクラス会を催すことが多い。家族ぐるみの帰省では、13日にお坊様を迎えて仏壇の位牌にお経を唱えてもらい、先祖に家に帰ってきてもらうため迎え火といって、白樺の木の皮を玄関先で焼く。15日にはその霊に戻ってもらうために送り火をする。家中はなんとなく賑わい、人の声がどの家からも聞こえて田舎のお盆の風情を感じる。
 私は、お盆とは、先祖の霊を一年に一度供養し、そのために集まった親類縁者とのつながりを確認するためのように思っていた。何故お盆は八月なのか?と、疑問に思ったことはなかった。まず、帰省という時期が、ここで設けられている先祖の供養の時期と一緒になっているものだと思っていた。いや、これが間違えだと言うのではない。このように移り変わってきたという背景に、一種の皇民化政策のようなものだったという、明治以降の変革がきっかけだったことは知らなかった。そして、明治以降というのはそれほど大昔のことでもないことにも驚いた。私の両親の親、つまり、私の祖父母の時代のことだ。だからだと思う、満州に移り住み日本の風習から遠ざかり、考え方もすっかり変わってしまったため、お仏壇もなければ実家もない両親だ。先祖の供養などおおよそ関係ない新興家族であった。そこに生まれたのが私だ。その私が、この古いしきたりを守る信州の田舎に移って来たというのだから、地元の人にとってもカルチャーショックだったに違いないのだと改めて思い、変に納得した。
 一番困ったのは、嫁としてはいつ実家に帰ったら良いのかという問題だった。まず、自分から帰りたいなどとは言えない。姑も、帰ってもいいよとは言わない。実家に帰るのにそれ相応の理由が見つからないうちは帰れないと思っていた。これがくだらない遠慮で損をした話だ。私の実家には先祖の供養をするような儀式はなのだし・・・でも、世間では、帰省は盆暮れ正月だ。私にも盆暮れ正月があってもいいんじゃないのか?と、悶々としていた若かりし頃を思い出した。
 文句を言いたいのではないが、新旧の暦が皇民化政策の一環だったとするといい迷惑という嫌いもある。紛らわしいことこのうえない。一々新旧の暦と照らし合わせたり、地域差の温度も考慮しなくてはならない羽目に合ってきているわけだ。
 ところで、ハッピーマンデーという、休日を月曜に返上するという動きのため、本来その記念日とされてきた曜日の記憶が微妙に薄らいできた。これにもなんとなく寂しさがある。その上、新旧暦の催し事に加えてこの変則的な祭日が絡んでくるというのは、ますます計画が立てにくくなった。マッタク。え、何が?って、遊ぶ計画のことだ。

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