非嫡出子の相続分について
嫡出でない子の相続分を、嫡出である子の相続分の2分の1とした民法900条4号ただし書きを違憲無効とした最高裁判決は、法的思考を苦手とする人を改めて浮かび上がらせる効果を持っているようです。
石井孝明さんというアゴラ系の「ジャーナリスト」が次のように書いています。
私は記者であり、抽象論を思考するのが苦手だ。50代のある人の現実を紹介したい。
その人はある上場企業の幹部だ。今80代の地方の中堅製造業の社長の父から、40年前に婚外子の一人の弟の存在を聞かされた。始めは複雑な気持ちだったが、共に30代になって交際を始め時おり酒を酌み交わすまでになった。ところが父の体調がよくない中で、この判決で、微妙なすきま風が兄弟の間に入り始めたという。
その人は同腹の妹がいて、妹婿が会社の経営を継いだ。しかし経営は行き詰まり、先は見えない。実入りの良かったのは過去の話で、バブルを経て保有していた土地を売り、家も抵当に入り、父が死んだら不動産への相続税も取られる。資産は、家と縮小した会社の経営権程度しかない。
この人は当初は相続を放棄して、老いた母と不動産としての家を守ろうと考えた。ところが、この判決で法改正が行われれば、それができなくなりそうという。おそらく婚外子の弟は法定相続分を請求しそうだ。「弟とのかけひきが始まって疲れる」という。
石井さんは、抽象論を思考が苦手なだけではなく、具体論を思考するのも苦手なようです。具体的な例を出しただけでは、思考したことにはならないのです。
石井さんが出した事例を具体的に考えるとどういう結論が導かれるでしょうか。
まず、「この判決で法改正が行われれば、それができなくなりそうという。おそらく婚外子の弟は法定相続分を請求しそうだ。」とありますが、最高裁が全員一致で900条4号ただし書きを違憲無効とした以上、この規定を削除する法改正を立法府が行わなかったとしても、下級審は900条4号ただし書きが違憲無効であることを前提に調停案を作成し、審判を行い、判決を下すでしょう。特定の法令について違憲無効とした最高裁判決の効力は当該事件にしか及ばないという個別効力説に立ったとしても、下級審にも違憲立法審査権があり、かつ最高裁で違憲無効判決が下されることが予定されている法令を適用した判決を下してもそれにより不利益を受ける側の当事者が上告し判決が破棄されることが予想されることを考慮すれば、この法令を適用した判決を下すことは訴訟経済に合わないからです。とりわけ、今回は、回避した1人を除く最高裁判事全員(鳩山政権誕生以前に就任した判事も、第二次安倍政権発足以降に就任した判事も含む。)が一致して900条4号ただし書きを違憲無効としたわけで、最高裁判事の任命方式をドラスティックに変えない限り、いくらやっても900条4号ただし書きを違憲無効とする判断を最高裁は下し続けることが予想されます。
また、900条4号ただし書きが違憲無効でなかったとしても、嫡出でない子には法定相続分があるので、上記具体例において、「婚外子の弟は法定相続分を請求」することは十分に予想されます。900条4号ただし書きが違憲無効となることによって変わるのは、法定相続割合のみです。配偶者1人、嫡出子2人、非嫡出子1人の例であれば、配偶者2分の1、嫡出子1人につき5分の1、非嫡出子10分の1だったのが、配偶者2分の1、嫡出子1人につき6分の1、非嫡出子6分の1に変わるだけのことです。したがって、「900条4号ただし書きが違憲無効とされたから非嫡出子が法定相続分を請求してきた。有効だったら請求してこなかったはずだ」という話には実際にはなりにくいかと思います。
さらにいえば、経営が「行き詰まり、先は見えない」会社の経営権と、抵当に入った自宅建物しか相続財産がないのであれば、900条4号ただし書きが違憲無効となることによって「婚外子の弟」の法定相続分が10分の1から6分の1に増えたからといって、それほど負担額が増えることにならないように思われます。父親が生前に娘婿に相続財産を全部相続させる旨の遺言をしておけば、この「婚外子の弟」が遺留分として取得できる割合は、さらに、半減します。
また、上記例では、たまたま「会社の経営を引き継がない」側の嫡出子は上場企業の幹部だということもあり「当初は相続を放棄して、老いた母と不動産としての家を守ろうと考えた」だけであって、会社の経営を引き継がない嫡出子が法定相続分を請求し、または遺留分減殺請求することは十分に考えられます。さらにいえば、非嫡出子の方が経営を引き継ぐことだってあり得ます(男性に経営を引き継がせたいという意向が強い場合に、嫡出子である娘の夫に継承させるか、非嫡出子である息子に引き継がせるのかという判断をすることになり、後者を選択する中小企業経営者がそれなりにいるだろうことは想像に難くありません。)。この場合、900条4号ただし書きの規定を存続させても、事業継承の円滑化の役には立たないということができます。
さらに石井さんは続けます。
作家の門田隆将氏が、雑誌WILL11月号のエッセイ「事件の現場から--偽善に満ちた最高裁判決」で、日本の現状からこの制度は「日本人の長年の英知を否定する」という面があり、「家制度の破壊につながるのではないか」と指摘していた。
日本の平均的な男の稼ぐ力では生涯に家を一軒持てるのがやっとだ。「本妻が生きていた場合、二分の一を取り、嫡出子と婚外子がその残りを平等に分け合うとすれば、それは家を売却して現金化するしかなくなる」という。今の80代は家の形で資産を持ち、その購入に収入を振り向けたケースが多い。それを門田氏は「英知」と述べた。
嫡出子が二人いる場合との違いがよくわかりません。門田さんや石井さんは、よもや「婚外子さえいなければ、遺産の継承は一人の『跡取り』に一本化できる」と思っているわけではないと思いますが(どろどろの相続紛争の大部分は、嫡出子しかいないケースで起こっています。)。
さらに石井さんは、
社会秩序の問題だ。海外と比べて日本の婚外子の割合は小さすぎる。2008年でわずか2%。スウェーデンの54%を筆頭に、欧米では3割以上がざらだ。
とした上で
婚姻という制度が維持されている。そしてその維持は、社会的なメリットが今でも多い。だからこそ、法律上も優遇された面があるのだ。それをわざわざ国が壊すことを促す必要はあるのかと、判決に疑問を持った。
と述べます。通常「〜すぎる」という表現は、ネガティブなニュアンスを表すときに使うのにこの人は何なのだろうとは思いますがそれはさておき、海外における婚外子の多くは、「正妻がいるにもかかわらず、資産家が愛人に産ませた子」ではなく、そもそも誰とも法律婚をしていない男女の間に産まれた子なので、「嫡出子と非嫡出子の法定相続分が同一だからこそ婚外子が多い」というわけではありません。
また、少なくとも日本法において法律婚を行うインセンティブとしては、事実婚の相手方は法定相続人とはなり得ないということで確保されていますし、法律婚をしている場合にさらに「愛人」をもつことは貞操義務違反として不法行為となる仕組みを設けていますので、900条4号ただし書きを廃止しても、婚姻制度が維持されていることに変わりはありません。また、「愛人」との間に生まれた子の法定相続分が「本妻」との間の子の法定相続分の2分の1であるという規定が、「不倫」を抑制してきたとする考えには現実味がありません(基本的には、死んだときのことを考えて「不倫」をする人はほとんどいません。)。
さらに、石井さんは次のように続けます。
第三の論点は、感情の問題だ。
前出の社長と3家族の関係は40年前からよくなかったが、婚外子の存在でさらに悪化した。結局、母親は離婚を子供たちのためにしなかったが、この50代男性と父との間は、ぎくしゃくして、何とか和解したのは40代だったという。「自分が不倫して、楽しんだ後で苦しんだから父の気持ちが分かった」のが和解のきっかけと、生々しい話も聞いたが詳細は知らない。ただその人は老いた母親の感情を心配していた。
愛人を作って子どもまで生ませた社長と、その「本妻」や「本妻の子」との関係がぎくしゃくするのは、自業自得というものです。しかし、愛人との間に産まれた子を差別的に取り扱うことにより、その「本妻」や「本妻の子」の社長に対する悪感情を緩和せよといわれると、それは筋違いのように思えてなりません。「愛人の子」を国家が差別してみせることにより、不倫をした「夫」が「本妻」の感情を和らげ、関係を改善するのを促すということを正当だとするセンスにはついていくことができません。
それ以前に、そもそも、差別する側の「感情」が法的な差別を正当化するという発想は危険だといわざるを得ません。これは、様々な差別を正当化しかねない発想であり、少なくとも戦後の日本社会にはむしろ相容れない発想ということができます。
こういう文章を掲載してしまう「アゴラ」というのは、実に寛大なところだと感心した次第です。
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