2009年12月25日

鈴木敏久(すずきとしひさ)さん

日本茶インストラクター沼津支部長
 鈴木敏久(すずきとしひさ)さん(沼津市)
 沼津市物産振興協議会が26日まで市中心街に開いているアンテナショップ「沼津自慢屋」の喫茶コーナーで沼津茶の入れ方や紹介をした。日本茶インストラクター沼津支部長。61歳。
 ー日本茶インストラクターの資格を取得したきっかけは。
 「約30年前から実家の茶農家を手伝っていた。茶の勉強をしたいと思っていたころにインストラクター制度が始まり、飛び付いた。勉強すればするほど、茶の魅力が増していった」
 ー沼津自慢屋での取り組みはどうでしたか。
 「行政と共に地元の沼津茶を発信するいい機会になった。地元の人でもまだ沼津茶を知らない人がいる中、市の中心街でPRできたことは大きい」
 ー茶の果たす役割は。
 「誰もが簡単に飲めるペットボトルのお茶に対して葉から入れる茶は、くつろぎなどの雰囲気を提供する。茶は健康機能も注目されているが、それだけでなく、人との語らいを楽しむものとしても飲んでほしい」
 ◇
 茶を通じた世間話が好き。
(静新平成21年12月25日「この人」)
  

Posted by パイプ親父 at 19:58Comments(0)人物

2009年12月19日

山田憲一氏

コスモスケアサービス
代表 山田憲一(やまだけんいち)氏(62)
 合併で介護の差解消
 ー介護業界の状況を聞かせてください。
 「現在の不景気の影響は、ほとんど感じていない。だが、高齢化社会が進み利用者は増えているものの新規参入業者が多く、中には思うような経営ができない事業所もある。介護報酬はそれほど高くはなく、どこもシビアな経営にならざるを得ない。中には介護の質に問題を抱える所もある。厚労省が提案し
ている事業者評価制度で選別する必要があると思う」
 ー市町合併、広域行政の必要性をどうとらえますか。
 「各市町の介護財政は徐々に膨らみ、そのため例えば、障害者の訪問入浴サービスの報酬が沼津市では1万2500円、三島市では7000円となり、地域差が出始めている。平等な介護サービスを利用者に提案する上で、市町合併を進めた方がよいと考えている」
 ー地域活性化に何が必要だと考えますか。
 「日本の介護は費用がかさむため、できる限り在宅でという風潮がある。老老介護などで苦しい面ばかりが目立つが、アメリカで見た介護はそもそも在宅介護がスタンダードで、雰囲気が明るかった。日本でも夫婦でうまくやりくりしている例は多くあるはず。まずは前向きな気持ちを持ち、核家族化で減少している家族間の触れ合いや人とのつながりの大切さを教える仕組みをつくれば、おのずと地域も変わってくると思う」
 【コスモスケアサービス】コスモスグループとして自動車関連業を営む傍ら、1995年に訪問介護、訪問入浴サービスなどを手掛ける会社を設立した。従業員約90人。沼津市東間門。
(静新平成21年12月16日「熱き地域人」)
  

Posted by パイプ親父 at 17:24Comments(0)熱き人たち

2009年12月18日

原田治行理事長

 沼津仲見世商店街振興組合
原田治行理事長
 組合が創立50周年 商店街の意義を問い直す
JR沼津駅南口から徒歩二分、全長二六〇㍍のアーケードに八〇近い店舗が軒を連ねる沼津仲見世商店街。沼津市やその周辺からの買い物客で賑わう県内屈指の商店街だ。その商店街組合の第五代理事長として、このほど創立五〇年の節目を迎えた。
 「先人が積み上げた歴史の重さと厳しい時代にある商店街の舵取りへの責任を痛感しています」と表情を引き締める一方、「商店街の意義を問い直したい」と意欲を示す。
 ここ二〇年ほどで県東部地域にも郊外型の大型ショッピングセンター(SC)が続々と進出。商店街の商圏は縮小しつつある。
 「かつて駅前商店街は、商業一等地でした。しかし車社会のいま、広い駐車場をもつSCに比べ、商店街は不便という声もある。では、商店街はもう必要ないのか。そうではありません。地域の重要なコミュニケーションの場が商店街。あの人に会いたくてここを訪れる。そんな魅力ある商店街をつくりあげたい」と熱い思いはとどまらない。
 「昭和五〇年代には、一日三万人を超えていた来街者が今は一万人。しかし、過去と比べるのではなく、将来に向かってこの街をどうしていくのかが重要なのです。一日に一万人もの人がここに足を運び、私たちを必要としている。そのことにもっと誇りと自信をもちたい」。
 晩秋の沼津中心街に響く鳴子の音が心地よい"よさこい東海道"。その運営を一二年前の立ち上げから担う。
「はじめは、沼津市内の一四商店街がひとつになって新たな祭りを、と"沼津ワールドダンスフェスタ"として開催する予定でした。でも、どうせやるなら自分たちも踊って楽しめる祭りにしようと、企画をガラッと替えた」。
 だが、参加者と資金が思うように集まらない。
 「開催が二ヵ月後に迫っているのに、出場チームが揃わず、協賛金もさっぱり。商売そっちのけで、協賛金のお願いと出場者の勧誘に飛び回った。やるからには半端なことはしたくない、絶対に盛り上げたい、その一念だったね」と東奔西走した結果、参加者、協賛金ともに目標を超え、大会は大きな盛り上がりをみせた。この熱意こそ、沼津を代表するまつりの原動力だ。
 カジュアルからフォーマルまで、幅広くレディース衣料を扱う原田衣料㈱の代表取締役。
 「ひと目でぼくの商売を当てた人はいないね」と高校時代、ラグビー部主将を務めたラガーマンは快活に笑う。「行く先々で語り合い、酒を飲み明かしてみたい」と見知らぬ土地の一人旅が目下の夢。
(中小企業静岡12月号)
  

Posted by パイプ親父 at 17:46Comments(0)人物

2009年12月08日

小松浩二(こまつつころじ)さん(沼津市)

八百屋「REFS」を開店した
 小松浩二(こまつつころじ)さん(沼津市)
 生まれ故郷の沼津市に戻り、八百屋「REFS(レフズ)」を7月に開店した。農薬・化学肥料無使用の野菜を並べ、提携する生産者の映像も紹介している。30歳。
 ー店のコンセプトを教えてください。
 「単純に、おいしい野菜を知らせたい。『無農薬の野菜を食べなければいけない』ではなく、おいしい野菜を求めていたら無農薬に行き着いた。野菜をつくっている人の生き方も伝えたい」
 ー地元へ帰り、再発見はありましたか。
 「海外や東京で暮らしていた時はアウェー感が常にあった。沼津は知人の知人が自分の知人だったということが起こるなど、仕事をする上でもやりやすさがある。自然の豊かさも実感している」
 ー今後どのような事業展開を考えていますか。
 「生産者はつくり過ぎた野菜を畑の土に返すことがある。そういった野菜を加工品などに活用したい。畑は宝の山。一人で突っ走るのではなく、多くの人と楽しみを共有しながら歩みたい」
 ◇
 趣味はロッククライミングというアウトドア派。
(静新平成21年12月8日「この人」)
  

Posted by パイプ親父 at 19:58Comments(0)人物

2009年12月04日

大木茂氏

農事功績者表彰を受けた
 大木茂(おおきしげる)さん(沼津市)

 沼津市西浦特産の「寿太郎みかん」が山田寿太郎氏によって開発された1980年代末、西浦柑橘出荷組合長として農家への生産推進に尽力。一大ブランドに押し上げた功績で、大日本農会の緑白綬有功章を受けた。85歳。
 ー受章の感想を。
 「30年ほど前のことで受章には驚いたが、長い時間をかけて寿太郎ミカンが有名になるまで見てくれた人がいたのだ、とうれしかった」
 ーブランド化のきっかけは。
 「1972年にミカンが過剰生産に転じ、相場が大暴落したのが始まり。『うまいミカンしか生き残れない』と思った矢先に寿太郎さんのミカンを口にし、迷わず決めた。組合長の権限を駆使して農家に栽培を勧めた反省もあるが、発売後の人気にほっとした」
 ー現在の農家に一言。
 「専業農家は今、発売当時の4割くらいになっているだろう。大変な状況が続くが、開拓者の精神を忘れず頑張ってほしい。引退した身として温かく見守っている」
 ◇
 「産みの寿太郎、育ての大木」と呼ばれる。 (静新平成21年12月4日「この人」)

  

Posted by パイプ親父 at 19:32Comments(0)受賞