見てきた。SNSで感想をさっと見たがまだ出てなさそうな話をしたい。
キラがシン達の眼の前で彼らを指して「弱いから」と言うところのキラのいけすかなさが印象的だった。
「サイが僕にかなうはずないでしょ」というSEEDでのセリフと一貫性があって、何かの拍子に出てくる本音で、他人の能力の部分を見下している。
完璧超人だからこその短所であって、キラに人間らしさを持たせるために必要な短所なのだろう。
それがアンチを作る要因でもあるかもしれないが、当時も今も新しい主人公像だろう。SEEDを新しいガンダムたらしめた特徴ではないのか。
劇場版本編の話にもどると、あの場ですぐ殴ってくれるアスランの相棒としての価値がですね。
頼もしくもありエンターテイナーでもあり。言い換えると今回は葛藤のないキャラだった。
SEED DESTINYでも途中までゼータにおけるクワトロの立ち位置だった。
黒背景でゆっくり動くズゴッグを見てキラが「アスラン?」と気づくのはオマージュというより笑い要素を含んだパロディかと思った。
真面目にツッコむとキラはズゴックのどこからアスランを見出したのか?これが人の愛?
キラと殴り合うのはよく考えたら逆襲のシャアの殴り合いシーンから来ている?これは考えすぎか?
ただ、吹っ切れて戦えている姿が良い。自分の目的と合致した戦いができていることが良い。
ステラがシンの心を守ったところ、「どんな闇を抱えているんだ」⇒SEED DESTINYでのシンの物語の積み重ねが無駄じゃなかったところにグッと来た。
劇場版の物語はキラとラクスが中心だったが、キャラクターとして報われたのはシンとルナマリアだと思う。
アグネスの物語上の役割は、SEED DESTINYでアレだったルナマリアの恋愛部分を着地させること。
正直アグネス周りの話は蛇足に感じたが、よくよく思い返してみればあれはクエス・パラヤのオマージュだ。
アムロに興味を持って、拒絶されたと感じて脱走し、シャアにその価値を見出される。
スポンサーから押し付けられた枠か?Gアーマーの合体シーンやシュラク隊を思い出した。
ジャスティスに至ってはアスランに乗ってもらえずシンにディスられる始末。
デュエルブリッツやデスティニーのカラーリング(これは鑑賞後にSNSで見た情報)など、テレビ版で退場した機体の要素を、そのパイロットに縁のあるキャラが受け継ぐところが良い。
デュエルはアサルトシュラウドないと他より特徴がない部分をブリッツ要素でカバーとしてるので、なんか説得力あった。
でもわざわざ旧型のデュエルとバスターを核エンジンにしてコクピット周りをザク系統にするのは非合理だよなと。合理性よりお祭り感を演出する分には良し。
インパルスのシルエット全部来て良い。カラーリングのアップデートは何か元ネタあるのか?
ミーティアやデスティニーの換装など、外部装備の共有はなんかガンプラ系の番組の表現っぽかった。でもガンダムってそうだろう。
視聴者にとって悔いが残ったところをキチッと終わらせて、キャラクターやメカの見せ場をこれでもかと出し切る。お祭り、同窓会。
復活のルルーシュ、グリッドマン、シン・エヴァンゲリオンなど、最近のTVアニメの完結編としての劇場版は大体そうだし、そういうものが求められているというか、これが完成形なのではないか?