なんていうかそんな状態でも首にならないだけラッキーだよ。
かわいそうとは思うけどね。
食えるだけラッキーと思って生きていくしかないんじゃないかな。
入社してもう6年目突入したというのに、ここんとこ毎日のようにミスばかりで上司に怒られている。
ほんとうは「この仕事に向いてないな」とかいう思いなどもあって、さっさと転職したかったけど、
辞めるなら辞めるで、何か少しでも成長してから転職しよう、とか考えたり
それに転職市場だって不景気だから今動くのはやめなさいと(社外の人たちから)アドバイスされたりして、
ぼーっとしてる間に、いつの間にか社歴だけが長くなってしまった。
するとやはり、「もう6年目なんだから」と社歴相応の技量が求められる。
下手に高学歴なもんだから、余計「〜大学のくせに、できないの」とか遠回りに言われたりするのも嫌だ。
確かに母校は自分が好きで入った大学だけど、仕事の上で自慢するようなものではないし
卒後6年も立つのにいまだにそれを、しかも周りから言われなきゃいけないのだ。
学歴で仕事をするわけではないのに・・・って典型的な言い訳か。
いくら仕事ができない増田でも、ドラマのようにその場で辞めるって余計周りに迷惑かけるということは
理解しているし、次の職がないから文字通り食っていけない。
ほんとうは、今すぐやめたい。つらい。
俺は身の振り方を完全に間違えていた。
だけどそれを俺は正しいものだと思っていた。
気持ち悪さと退屈を感じたんだけど、なぜかそのシグナルに反応しなかった。
新しい音楽を探すことも、新しく作家を探すこともしなくなっていた。
感覚がマヒしてしまっているのがわかった。
何かおかしいと思っても、無批判に受け入れようと努力していた。
その理由は、何言っても変わらないんだろうなという諦めだった。
面白い奴を見つけても、変な遠慮があった。人にかかわらないようになった。
自由を制限する方向にみんな動いているのが嫌だった。
いろいろなことをやった方がいいと、狭い世界で生きている人たちは言うんだけど、
実際それをやっている人は誰もいなくて、そこに奇妙な歪みを感じた。
「将来の為」の奴隷にはなりたくなかった。
単位を取るためにぎりぎりでやればいいさってのも違う気がした。
何事も本気にならないで行くのはぼくにとっては不自然だった。
全力を出すことを、真剣に考えるのを否定されるのは最低で苦痛だった。
俺は多分価値観をゆだねていたのだ。先輩や、友人や、教授を含む大人達に。
俺も俺で、説明を諦めていた。誠実じゃなかった。
固有名詞挙げて、知らない奴軽蔑して満足する奴らとおんなじだったんだ。
それで、それを変えてみることにしたんだ。
今のところは上手くいっている。失敗したらまた考えるつもり。
うちも東大じゃないけど体育必修だったよ。高校で終わりだ!と思ってたから入学して愕然とした。
つれぇ。。。そんなん見ちゃダメだ、って言っても見ちゃうよなぁ。。。
正しい知識が広まれば、そんな無理する必要がそもそもなくなるのだけれどね。
どうしたらいいんだろ。
イライラする、あいつの頭叩いてやる!
もー。嫌い。きらいーきらいー。
土下座して謝って欲しい。
もう!今度絶対おごれなんか。
こーろーすーああーもームカツクーしねぇー
あいつあたしと同じくらい恥ずかしいめにあわせてやるー
おぼえてなさいよー!!
横だけど体育が義務の大学があるって聞いて驚いたことがあるわ。
何が良いかなんてあとから本人が振り返って初めて気づくものだと思うが
普通学級行った場合、行かなかった場合の実態を本当に分かった上で書いてるのか疑問
大半は親のエゴだと思うけどなぁ
えっ大学に体育なんてあるの!?
トピ主ですが、自分は産経には辟易していますし、今回の産経の記事は偏見を助長問題だと思っています。
ただ、「特殊学級に行かせない親は、本当の子供の幸せを考えていない」的な意見に対しては、
「親は精一杯子供のことを考えての、止むにやまれぬ選択じゃなかったのか?」と
疑義を呈しているだけです。
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100422/p1
>必要な療育を受けさせないケースが非常に多く、
>そういったケースを減らす為にも、正しい知識は必要なのです。
親が特別支援学級に行かせないことを問題視しているが、
「特別支援学級に行かせることが子供の幸せ」と断言できるのか?
「特別支援学級に行っていたという前歴」によって、
「将来、子がいわれなき差別を受ける」(就職や結婚で)という可能性を考えると、
親としては
「将来、差別されないように、多少無理してでも普通学級に行かせる方が、
この子のため」と考えるのが、ごく自然じゃないのか?
「必要な療育を受けることのメリット」と
「療育を受けた、という事実によって将来受ける可能性があるデメリット」を
天秤にかけると、残念ながら
「療育を受けたという事実によって蒙る偏見差別のデメリット」が
現時点では上回っている。
勿論、小生も、このような偏見差別はなくなって欲しいとは願っているが、
「ベターな選択」は、
「特殊学級に行っていた、という前歴を作らないようにする」ということになると思う。
この筆者の言わんとすることは判らなくはないが、
「療養を受けさせない親は、子のことを考えていない」というニュアンスを感じてしまい、
どうにも違和感を感じる。
「やむにやまれず、普通級へ『頑張って行かせている』」
という親の心情を察したことがあるのだろうか?
大喜びして踊り狂ってるw