2026-03-26

人間コミュニケーションは以後攻撃型をベースにしよう

知識というのは我々が悪意と呼んでいたものにほぼ等しかった。

逆か。悪意というものの正体は知識だった。

善意は後発的なもの

知識を発展させればさせるだけ他より「優れて」しまうから

優れすぎて他を脅かすようなもの「悪」にして取り締まろうということになった。

それが法だし、今は警察の人たちが動いてくれている。

どれだけ発展しても何人をも脅かさなものが「善」だった。

ごめん、そんなものなかった。

善意理想論で、悪意だけをエネルギーにして動いてるこの世の中で「あえて損をすること」が善意だった。

悪意が悪だとするために、そのためだけに対極の存在としてつくられたフェイクだった。マイナスのものに形などないもの

かつて「悪意」だったものが今「善意」として整理されているらしい。

でも根源的には、あらゆる行動が多かれ少なかれ悪意をベースにしている。行動は「得る」ことを志向しなきゃいけないからね。

からもう認め合いとか譲り合いとか、無理だよ。

たがいを攻撃していこうぜ。

攻撃応酬の中に、勝手に発展の可能性を探っていこう。

相手のこと考える必要なんかない。逆に自分のことだけ考えてればいい。

もちろんこれも理想論だけどね。攻撃の中でも法律マナーはしっかり守ろう、今そうでなきゃ生きられないから。

でもひとつだけ。ひとつだけ独自ルールを定めさせてほしくて、

過去の失敗を掘り起こす」のは極力避けたい。

それすると一度負けた人間が二度と勝てなくなる。攻撃ベースなのに、二度と攻撃有効にならないんじゃ意味がない。

極力と言ったのは、「失格」レベル人間ならあなた攻撃する資格ないですよという、「失格」措置くらいなら攻撃エンターテインメント化したスポーツとよばれるものもやってるし。

でもそうでもないのに掘り起こすのは逆にだれも攻撃避けるようになるからやめて。そうしたら本当にコミュニケーションはなくなる。

失格かどうかなんて個人裁量だけどね。うまい線引きがあるといいが。

でも「相手のこと考える必要なんてない」んだもんなあ。うまくいかんなあ。

なにが言いたいんだって、知らねーよここは俺の日記帳バーカ。

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