夕方は混む。
ある日、店長に言われた。
怒られたわけじゃない。
怖く見える。
怒ってなんかいない。
ただ、普通にしているだけだ。
でもどうやら、私の“普通”は
「怒ってる?」に変換されやすいらしい。
小学生の頃を思い出す。
黙っていたら「機嫌悪い?」と聞かれた日。
笑ってみたら「急にどうしたの?」と笑われた日。
私が黙っていると、「怖い」になる。
あのズレを、私はちゃんと覚えている。
よく笑う人だ。
袋を渡すときに、
そのやりとりは、努力している感じがしない。
ただ、流れている。
私は隣のレジで、それを見ている。
正直、羨ましい。
同じ制服を着て、
同じ「ありがとうございました」を言っているのに、
空気の柔らかさが違う。
人は、報われた行動を繰り返す。
歓迎された振る舞いは増える。
歓迎されなかった振る舞いは減る。
笑って空気が明るくなった経験が何度もあれば、笑顔は自然になる。
笑っても空気が変わらなかったり馬鹿にされたりする経験が何度もあれば、回数は減る。
学習は正直だ。
強化された行動は、自然になる。
私は何度か「愛嬌」を試して、私には大して報酬が出ないと知った。
だから今の私は、愛想が薄い。
これまで受け取ってきた反応の総量が、今の私を作っている。
でも感情の出し方まで、個人の資質や努力に回収されると、少しだけ苦しい。
私は怠けているわけじゃない。
これまで学習した結果が、今の私だ。
愛想を“性格”として語る前に、
少しだけ想像してほしい。
なんで再投稿するん?