2026-04-08

「ブスならせめて愛嬌ぐらいあれよ」みたいな風潮

私は今、大学生で、スーパーレジバイトをしている。

夕方は混む。

カゴを受け取って、バーコードを通して、会計して、次。

正確さとスピードが求められる仕事だ。

ある日、店長に言われた。

レジは丁寧だし早い。ただ、たまにちょっと怖く見えるかも」

怒られたわけじゃない。

しろ評価されたあとだった。

からこそ、その一言が残った。

怖く見える。

怒ってなんかいない。

ただ、普通にしているだけだ。

でもどうやら、私の“普通”は

「怒ってる?」に変換されやすいらしい。

小学生の頃を思い出す。

男子に「なんでそんな顔してんの?」とからかわれた日。

黙っていたら「機嫌悪い?」と聞かれた日。

笑ってみたら「急にどうしたの?」と笑われた日。

可愛い子が黙っていると「おとなしいね」で済む。

私が黙っていると、「怖い」になる。

あのズレを、私はちゃんと覚えている。

同じ時間帯に、容姿端麗な先輩がいる。

よく笑う人だ。

レジを打ちながら、常連のおばあちゃん自然雑談している。

今日寒いですね」

「この時間帯、やっぱり混みますね」

袋を渡すときに、

「またお待ちしてますね」とさらっと言える。

そのやりとりは、努力している感じがしない。

ただ、流れている。

私は隣のレジで、それを見ている。

正直、羨ましい。

同じ制服を着て、

同じ「ありがとうございました」を言っているのに、

空気の柔らかさが違う。

人は、報われた行動を繰り返す。

歓迎された振る舞いは増える。

歓迎されなかった振る舞いは減る。

これは性格というより、履歴だ。

笑って空気が明るくなった経験が何度もあれば、笑顔自然になる。

笑っても空気が変わらなかったり馬鹿にされたりする経験が何度もあれば、回数は減る。

学習は正直だ。

強化された行動は、自然になる。

私は何度か「愛嬌」を試して、私には大して報酬が出ないと知った。

減点回避しかない。

減点回避のためだけの行動は、だんだん省エネになる。

から今の私は、愛想が薄い。

最初から無愛想だったわけじゃない。

これまで受け取ってきた反応の総量が、今の私を作っている。

もっと感じよくすればいいのに」と言うのは簡単だ。

でも感情の出し方まで、個人資質努力に回収されると、少しだけ苦しい。

私は怠けているわけじゃない。

これまで学習した結果が、今の私だ。

愛想を“性格”として語る前に、

その人がどんなフィードバックを受けてきたかを、

少しだけ想像してほしい。

性格に見えるものの多くは、才能じゃなくて履歴だ。

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