存在するだけで、悪。64点。
ある日、ハゲの終身教授のニコラス・ケイジの娘がニコケイを夢の中で見たと言う。その後ニコケイはぽつぽつとあった人に夢で見たと言われ始め、それがSNSで公開されるや否や膨大な人からお前を夢で見たという反応が寄せられる。「夢の中に現れる何もしない男」としてバズった彼は一躍調子に乗り始めるが、ある日を境に人々の中での夢の内容が変化、ニコケイは夢の中で害を与えてくる存在として人々から大バッシングを受けるようになる。いったい私どうなっちゃうの~?
というようなお話。
取り扱われているのは「何かをミームとして消費するSNS利用者の浅薄さ」だったり、「なんとなく不快だからで行われるキャンセルカルチャーの異常さ」だったり「勝手な肥大したイメージで行われるバッシング」だったりっていう増田御用達の話題。
この話は実は2つのまったく異なる軸がまるで同一軸かのように話が進む。
1つはニコケイ演じる教授の見栄っ張りで自信と自意識が過剰で承認欲求ばかりが肥大してトキシックマスキュリニティにまみれた哀れな中年の暴走。
もう1つは中年男というぼんやりした社会的ジェンダーイメージ。
ニコケイはもう本当にどうしようもない奴で、大学の終身教授でかわいい嫁さんと可愛い娘が2人いる以外はほとんど増田みたいな奴でさ。友人と思っている相手からはあいつおもんないからパーティー呼ぶのやめようぜってハブられてたり、嫁が男性と事業の話をしてただけで嫉妬するくせに自分は元カノとばったり会ったら舞い上がってしくじったり、元同僚がより有名な研究者になってネイチャーに論文が載るとなったら大学院時代の話を持ち出してネチネチ言ったり、張り合おうと俺も本を出すんや!出版社も決まってないし書き始めてもないけど!と自爆したりともう、見ててこいつホンマ……ってなるエピソードがつるべ打ちに出てくる。
そんなニコケイが夢の中で他者を加害する存在になり車に落書きされ、レストランではお前がいると不安だから出ていけと言われ客から嫌がらせを受け、生徒から拒絶され、嫁の事業もポシャるところを見て何となく俺たちは「ざまあみろ、お前が悪いんじゃん」という気持ちになる。が、別にニコケイ本人はなんもしてないのだ。
元々ニコケイは夢の中でも「なんもしない、ただ見てくる中年男性」として登場した。もしくは一部の人の中では「えっちなことをしてくる中年男性」として登場する。これは世間的に見てマシなほうの「中年男性」のイメージそのものだと言えると思う。でも、でもだよ。中年男性がただ見てくる、のって怖くね?それが何度も何度も続いたら、その先にある暴力の予感を勝手に感じね?
つまり、中年男性が存在するそのこと自体に加害性がある、という異常に差別的なイメージ―ーそれこそ、夢の中の加害後の彼が受ける行為はほとんど黒人≒犯罪者とされていた時代の黒人が受けた行為に酷似している――がほんのり俺たちの中にある。ということを、ニコケイをウザい中年にすることで正当化させようとしているように俺には見えた。
だけど本来、ニコケイがウザい中年であることは、彼がやってもいない加害で世界中からバッシングを受け攻撃されることを決して正当化しないはずだ。だけど、たぶん、見た人の中でも少なくない人は「ニコケイが悪い、彼は加害性がある中年男性だからあんな目にあった」と思ったのではないか。そして、それこそが制作陣の逆説的な挑戦だったんじゃないかと思った。
ニコケイはたまたま大勢の夢に出てくるようになってバズって調子に乗り始める。そうすると当然、見ているこっちもなんやこれしょうもないな、という気持ちになってくるわけ。そしてニコケイは広告代理店に呼ばれ、そこのアシスタントの若い美女に声をかけられ「夢の中に出てきたあなたみたいに私をめちゃくちゃにして!」と迫られる。見ているこっちはキレそうになる。しかし増田のニコケイは当然無様にも失敗。
したところを境に、ニコケイは大勢の夢で他者を害する存在になる。だけどよく考えてほしいんだけど、ニコケイはこの前後でやってることはなんも変わんないし、世間的にもなんも変わんないはず。アシスタントがそれをSNSに投稿した描写もないし、まぁしないでしょ。だとしたらこの事件を境に変わったものは何なのかと言う話になる。
俺たちの視線だよね。
しょうもない男だけど無害(じゅうぶんウザい存在ではあったけど)だったニコケイが調子こいて女に実際に手を出す加害する存在になったと俺たちが認識した瞬間、ニコケイは作中の中の人たちの中でも加害する存在になった。んじゃないかと俺は思った。つまり、俺たちも作中の集合的無意識の一部だったんだよ!ナ、ナンダッテー!!!
そして娘の学校の演劇発表会に出ることを禁じられたニコケイは暴走し会場に乗り込み事故的に教師を実際に怪我させてしまう。そのニュースが出回った直後から夢の中にニコケイが現れることはなくなる。肥大した中年男性という害悪のイメージが一人の「ニコケイ」になり、「イメージ」から「個人」の話になり、はーしょうもな解散、となったんじゃないか。
そうして職も家族もすべてを失ったニコケイはその話を本にして、その本も自分の思い通りにはいかなかったけどもう別にそれでいいやと"今の自分"を少しだけ受け入れる。ニコケイ事件を機に発明された他人の夢の中に入る機械を身に着け、一度も自分を夢に見なかったという妻の夢に入る。そこでのニコケイは妻が以前語ったようにトーキング・ヘッズのバカみたいな肩パッドが入ったスーツという肥大した自分自身の象徴のような恰好で会いに行く。
つまり彼女にとっては元から彼がそう見えていたんだろうと思う。分不相応な自分に振り回されるかわいそうでかわいい人、と。だから彼女だけは彼を夢に見なかった。夢に見なくても目の前にいつもいたのだから。彼女に夢であるのが残念だと告げたニコケイはゆっくりと宙に消えていって話は終わる。
極めて増田の民のニコケイだったけど増田と違って等身大の自分を愛してくれる妻がいたんだから、その妻を等身大の自分でただ愛することができていればこんなことは起きなかったんじゃないかとそう思える少し悲しくて少し優しいラストでよかった。
まぁ、そんな感じかな。
キャンセルカルチャー、ミーム化、ハゲ、SNSでのバズと炎上、ジェンダーイメージと増田垂涎のテーマを盛り込んだ意欲作だと思うので暇だったら見てみてほしい。
ニコラス・ケイジ演ずる主人公がむちゃくちゃ虐待される映画で「監督脚本は人の心ないんか」、と思うと同時に「でもこいつ嫁も子どももいるんだよな」と思うと全く同情できない。
ニコラスケイジはいっつも自称日本人のどこの国かわからん女と結婚しててかわいそうだなって思う