人間は本来、単体では弱い生き物だ。だから集団を作り、役割を分担し、組織を作って社会を形成してきた。農業をする者、道具を作る者、守る者、教える者。そうして分業と協力によって、人間は自然や災害に対してある程度安全に暮らせる文明を作ってきた。
しかし集団で生活する以上、ルールが必要になる。誰かが好き勝手に振る舞えば社会は壊れるからだ。そこで社会には法律や条例のような規範が作られる。そしてそれを守れない者を犯罪者と呼ぶ。
つまり犯罪者とは、社会のルールを破った者というよりも、人間社会という仕組みにうまく適応できなかった個体のことだと言える。
もちろん犯罪にも軽いものと重いものがある。交通違反や軽犯罪もあれば、詐欺や強盗のような重い犯罪もある。そして殺人のような犯罪は特に重い。人を殺すという行為は、人間社会が成立する前提そのものを壊してしまうからだ。
そのため刑罰も重くなる。長期の懲役だったり、無期懲役だったり、国によっては死刑だったりする。
ただ、ここで少し冷静に考えると、刑罰の本質はわりと単純な気がする。
という判断だ。
軽い犯罪なら罰金や短い刑期で済む。つまり「一度ルール違反はしたが、社会には戻れる」という判断だ。
しかし重大犯罪になると話が変わる。長い懲役刑や無期懲役になるのは、「この人間は社会に戻すのが危険かもしれない」という判断だからだろう。
そう考えると、死刑という制度もある意味では同じ延長線にある。社会に戻すことが不可能だと判断された個体を、社会から完全に排除するという処分だ。
つまり刑罰というのは本質的には「報復」よりも「社会からの隔離」に近い。
そしてここからはかなり極端な話になる。
もし刑罰の本質が社会からの隔離なのだとしたら、死刑という制度の代わりに、別の方法も理屈の上ではあり得るのではないか。
つまり人間社会の外に出す。文明の恩恵を受けられない場所に追放する。社会に適応できなかった個体は、社会の外で生きるしかない。
もちろん現実には人権問題や国際法など、いろいろな問題があるから実際には難しいだろう。だからこれはあくまで極論だ。
ただ、こう考えてみると犯罪者という存在の意味も少し違って見えてくる。