2025-03-21

ブラームス世界に戻ってきた

俺は若いからブラームスが好きだった。

あの陰鬱ブツブツ小言を呟いているような音楽

長調の明るい音楽でも根底には憂いと哀愁がある。

例えば有名な第一交響曲のフィナーレだってベートヴェンやワーグナーのような大爆発はしない。

「俺がこんなに幸せでいいのかな?」みたいな後ろめたい幸せを感じているような雰囲気がある。

内向きのウジウジとした精神。そういうところが大好きだった。

でも中年差し掛かった頃、俺はこのままではダメだと思った。

ブラームスのような陰キャのウジウジした音楽にばかり浸っていたら、陰キャのウジウジした駄目オヤジになってしまう。

もっと人生を力強く生きて未来を切り開くような人間になるべきだ!

から俺は無理してそれほど好きではないベートーヴェンモーツァルトを頑張って聴いた。

よく「ドイツ三大B」(バッハベートーヴェンブラームス)とか言われているけれど、実際にはクラシック音楽世界で至高の存在とされているのはバッハベートーヴェンモーツァルトであるブラームスは1.5流扱いのシューベルトワーグナーより更に下の2流とされている雰囲気がある。

若い頃好きではなかったモーツァルトについては、じっくり聴いてみれば実に素晴らしい美の結晶であることが分かった。

特に素晴らしいのはウィーン時代12から最後の27番までのピアノ協奏曲だ。まさに音楽美の最高峰であり、その至高の美しさには思わず涙が流れ出たこともあった。交響曲33番あたりから最後の41番「ユピテル」は実に素晴らしい。

しかし、50代に入り数年して、その素晴らしいはずのモーツァルトを聴こうという気があまり起きなくなった。単純に言えばやはり主観的にどこか俺の好みではない。フェイバリットではないのだ。

モーツァルトは結局恵まれ世界に生まれ上流階級の人々が絶賛する音楽であって、上流社会の人たちがキャッキャウフフしているサロンような音楽である

モーツァルト自身貧困の中で若死にしたけれど、あれは浪費癖によるものだ。モーツァルトザルツブルク宮廷音楽レオポルト・モーツァルトの息子として生まれ神童として貴族たちの中で持て囃され成長した。この時点で恵まれた上流社会人間だった。

モーツァルト音楽にも短調作品において悲痛な悲しみが表現され、それは音楽芸術的に極めて美しいが、それはあくまで上流社会人間ちょっとしたことで傷ついてクヨクヨしているようなエレガントな悲しみであって、生存危機を予感するような本当の絶望とは違うように感じる。

モーツァルトオペラは胸糞悪い話が多い。「フィガロの結婚」のアントニオや「魔笛」のモノスタトスとか、結局老人や貧困層や異人種を見下している。

ブラームス音楽家の家系に生まれたが、父親底辺貧困音楽家で、ブラームスが生まれた家の写真を見ると当時のドイツのボロアパートのものだ。ブラームス生活に困窮する庶民世界をよく知っている。そして生涯独身であり、おそらく生涯童貞だったろう。

俺はここ数年、陰鬱精神改善して肯定的明るい人生を送ろうとしてブラームスを避け、無理にモーツァルトを聴いてきた。だけどもうやめよう。素直に聴きたい音楽聴くブラームス聴くのだ。

  • 俺はオーケストラ音楽が好きだが増田と似たような発想でナードが好みそうな御大層なクラシックの名家全般を聞くのを避けており(例外的にショパンの雨だれだけは好きで定期的に聴く)...

    • クラシック音楽の名曲を「ナードが好みそう」とする感性が意味不明w

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