収納しないブログ

持ち物を減らして収納術不要の暮らしを目指しています

「老いと向き合い、人生を下る」決断について。

穏やかな正月の日。前厄に該当する夫(昭和60年生まれ)が神社で御祓いを受けたいというので初詣に行き、帰省時にアルミホイルに包んで持たされたオードブルの余り物の海老フライで海老フライ丼(カツ丼のカツが海老フライに代替されたVer.)を作って一日が終わってゆきました。

 

さて、40代にもなると帰省時に兄妹が集まった際は「老いゆく親をどうする問題」が議題に上がります。元日の夜、オードブルを囲んでの宴会が終わって義父母が寝室に行った後で、義姉と夫と3人でビールを飲みながら「義父の免許返納」の話になりました。

 

ことしで70歳になる義父。認知機能には問題がありませんが、視力がかなり落ちてきています。白内障の手術もしていますが、義姉は「人身事故を起こしてからでは遅い」と、早めに免許返納して欲しいと悩んでいるようでした。

 

義父母が暮らす場所は、いわゆる「車がないと買い物にも行けない」不便な場所にあります。かつては1日に3便のバスが通っていましたが今はバス路線自体が廃止され、徒歩圏内に商店はありません。

 

義父が免許を返納した場合、まだ60代後半の義母に買い物や送迎をお願いすることになるでしょう。義姉は義実家から車で30分ほどの割と近距離に住んでいるため、義母も免許を返納した後は自分が週1、2回訪問し、惣菜を届けたり買い物を手伝ったりする意志があると言っていました。

「慣れ親しんだ田舎の家で最期まで暮らしたい」という義父母の願いを尊重しての考えなのでしょう。

とはいえ、私は免許返納の時期を見据え、義父母には身体が動くうちに「車がなくても暮らせる程度の都市部」に移住してもらうのが最善策だと思っています。

理由は、1年前の過去記事もご参照ください▽

yuringo738.hatenablog.com

yuringo738.hatenablog.com

以下、過去記事からの引用です▽

不便であっても住み慣れた場所で暮らし続けたい気持ちは分かります。

でも、人口減少が進み、労働力不足が決定的な日本では、高齢者にとって特に重要なインフラである「病院」の集約が進んでいます。人家もまばらな中山間地では、救急車を呼んだとしても搬送まで時間がかかります。命を守るためにも、車がなくても生活が維持できる程度の「まちなか」への高齢者の移住が、これからは必要になってくると感じています

 

そうなのです。

「車がないと生活できない場所」は、もれなく「病院」へのアクセスが不便な場所です。

今後は、加速度的な人口減少に伴い、病院の集約がさらに進むことが不可避。

「車がないと生活できない場所」に高齢者が単独で暮らすことは、当事者にとってのリスクとそれらを支える世代にとっての大きなコストが伴います。

 

人口減が避けられないならば、限られた人々で効率的に社会機能を維持存続させるために、「何を残して、何を捨てるか」をきちんと見極めていかなければなりません。

「住み慣れた場所で、豊かに幸せに最期まで」といった高齢者の希望を全て叶えられるほどの余力は、これからの日本には期待できません。

 

数年来メディアを賑わせていた、団塊の世代が全て後期高齢者となる「2025年問題」の当概年がやってまいりました。しばらく極端な少子高齢社会が続く日本の現状を冷静に受け止めて、ある程度の年齢になったら「ある程度の都市部」への移住を考える。行政もそれをサポートする。そうした取り組みが待ったなしで必要でしょう。

衆院選のタイミングでも、こんなエントリをアップしていました▽

yuringo738.hatenablog.com

免許返納も、都市部への引越しも。

いずれにしても、老親にとっては「自分の老いと向き合い、人生を下る」選択になります。

こちらから強制することは難しいですが、現状を冷静に伝えた上で、決断してもらわなければいけない時期が遠いうちに来ることを感じました。

 

私が呑気にお年玉をもらって喜んでいたあの頃、親世代は今の私たちと同じようなこと(祖父母の老後)に向き合っていたのだろうなと想像すると、時間の流れをしみじみと感じます。