やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

M-1グランプリ2018の審査の偏りを疑って実験したら妥当だった話ー経済学が教えてくれるよい決め方とは?ー

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M-1グランプリ2018、楽しませて頂きました。

ただ、Twitter等を見ていると、審査の偏りに疑問を覚えるコメントがちらほら。こんな分析記事も書かれていました。

www.buzzfeed.com

私も「基準は明確ではないし、確かに偏ってる」と思ったものの、審査員個人を責めたところで水掛け論。結局「好き嫌いの違い」の域を出ることはなさそうです。

M-1のオフィシャルサイトをみても…

“とにかくおもしろい漫才”

「おもしろい」の基準はないのね(笑)

そこで社会科、特に公民科を担当する教員としては、この問題を個人の嗜好の問題ではなく、「どのような審査がよい審査と言えるか?」という仕組み・ルールの視点から眺めてみると面白いよ!ということを感じずにはいられないのです(笑)

1組ごとに審査する必要ある…?

現在のM-1の審査方法は、7名の審査員が、出場者のネタ終了後、100点満点で点数をつけ、その場で点数を発表し、合計点(700点満点)で順位を競うというもの。

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賛否両論の『M-1』上沼恵美子さんの採点 本当に偏っていたのか

疑問に思うのは、「1組ずつ審査→発表をする必要があるか?」ということ。

この審査方法だと、場の空気(前後のコンビの出来やネタ内容)・出演順etcなど、そのコンビの「面白さ」以外の要素が点数に大きく影響して来ます。(それも「実力のうち」と言われればそうなのですが…)

特に問題になりやすいのが、出演順ではないでしょうか。

大会の最初にネタを披露するトップバッターがいかに不利なのかがわかる。『M-1』の審査では、ラサール石井の「僕は1組目のコンビにはハンデがあると思って、5点上乗せしているんですよ」というスタンスを筆頭に「基準点だから、ここで高得点をあげると…」といった審査員たちが苦慮している様子が端々に伺えた。

ネタ順配慮の『M-1』新ルール「トップバッター不利&敗者復活有利説」を追う | ORICON NEWS

出演順は、完全にクジで決められるとはいえ、不利なトップバッターには、5点上乗せするほどの感覚を審査員に持たせている状態。

であれば、例えば

10組が順番にネタ披露
→10組すべてが終了
→審査員それぞれが自分の中で納得する審査
→10組一気に得点を提出し、合計点を発表

この方が、私にはまだマシに思えます。でも、これだけではまだモヤモヤ。

ボルダルール×M-1

経済学は、こんな決め方があることも教えてくれます。

ボルダルールという決め方を聞いたことはあるでしょうか?

1位に3点、2位に2点、3位に1点」のように配点するボルダルール

多数決の代替案として最適な「ボルダルール」 | 「決め方」の経済学 | ダイヤモンド・オンライン

ポイントは、「等差」で配点すること。

例えばM-1に当てはめれば、10組のうち1番面白かった組に10点、2位に9点、3位に8点・・・と配点していきます。10位は1点です。

7人の審査員が10点をつけて70点満点なら文句なしの1位。この方式でM-1の審査を行ったらどうだったか、を確かめてみました。

ここがPoint!振れ幅!

そもそも今回の審査で議論になっている「偏り」はなぜ生まれるのか?

それは制度的にいうと、100点満点なので点数の振れ幅が大きい(例.30点も制度上OK)から、だと思うのです。

この点数の大きさが「偏り」という認識を生んでいるとすれば、ボルダルールを使ってその「偏り」を縮めてやることができるわけです。

人間である以上、「好き嫌い」は排除することができません。

ですが、その「好き嫌い」を過度な得点差に反映することは排除することができます。

※ただM-1の審査は別の組に同じ点数をつけることができるので、それを反映することも可能です。順位に配点する投票方式はすべて「スコアリングルール」と言います(サッカーの勝ち点制etc)。ボルダルールは、スコアリングルールの一種で、「等しい差」で配点する方式です。

ボルダルールでM-1採点

ボルダルールは点数の振れ幅が小さいので、「好き嫌い」を過度な得点差にすることがありません。(審査員に「あいつらを最下位にしてやろう」等の悪意があれば別ですが…)

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表1)1位に10点、2位に9点…と配点

このように、ボルダ採点をしても、実際の結果通りの3組が選ばれます。

ということは、今回の審査は、一部審査員の「好き嫌い」が「過度な得点差」に反映されることはなかったため、一部審査員の「好き嫌い」が「結果」を左右したわけではない、ことになります。

ただ、先に述べたように、M-1の採点は「同じ点数」をつけることができます。表1で1人の審査員が同じ点数をつけているのはそういうことです。

この「同じ点数」をなくしてみましょう。

同じ点数の組の場合は、「順番が早い方が不利」として、早い順番の方を高得点とします。もちろん、実際の「不利感」をすべて反映できているわけではありませんが、便宜的に。

その結果がこちら。

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表2)「同じ点数」をなくしてみると

そうなのです。順位がまったく変わらない。

つまり、結論としては、

今回の審査員の「偏り」は、全体の結果に影響していない。

「偏り」はあっても、「得点差」にはなっていない。

と言えるのではないでしょうか。

ほとんどの審査員が90点台の僅差でそれぞれの組の順位をつけているからこその結果ですね。

「私ジャルジャルのこのネタ嫌いやから80点にしてまうわ!」という審査をしないのが、プロの審査だ、ということです。(当たり前か)

そして、審査員のバランスもちょうどよかった、のかもしれません。

ただ、審査員のバランスがよかったから→この結果が出た、と言えるわけではないでしょう。

むしろ、この結果が出たから→審査員のバランスがよかった、と結果的に言えることでしょうね。

おそるべし!

松本人志さんだけは、唯一、「同じ点数」の組をつくらなかった審査員です。

しかも、その順番も、「霜降り明星ー和牛ージャルジャル」と全体の1〜3位と完全一致。すごい。笑

視聴者として面白い、面白くない、の基準を皆が持っているので、どうしても発表された点数と自分の中の点数がズレていると、「?」と疑問を抱くのが人間というもの。

でも、その「?」をぶつけても、好き嫌いの違いでしかないのです。

そうではなく、「どうすればよい審査だと言えるか?」という問いから考えてみると、色々なものが面白く見えてくるし、どういう制度が良い制度か?と問うのは楽しいです。

おわりに

現状を放置して「仕方ない」という前に、できることがある、と経済学は教えてくれます。人間のつくる制度に完璧なものはありません。必ず一長一短がある。目的に応じた制度設計をできるかどうか?が人間の知恵の使い所です。

霜降り明星ー和牛ージャルジャルの3連単を完璧に的中させたDJ KOOさんはあっぱれ!

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