55年体制
ごじゅうごねん‐たいせい〔ゴジフゴネン‐〕【五十五年体制】
55年体制
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55年体制(ごじゅうごねんたいせい)は、日本において、1955年(昭和30年)以降長らく続いた自由民主党・日本社会党(+その他)の2:1の構図による政治体制。1955年の社会党再統一と保守合同で始まり、1993年(平成5年)の衆議院議員総選挙において、自民党議員らが分裂による過半数割れ、社会党も惨敗となるなか、多数誕生した新党が議席を伸ばし、非自民党連立政権となる細川内閣が成立したことで55年体制は崩壊した。
- 1 55年体制とは
- 2 55年体制の概要
55年体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 02:43 UTC 版)
第二次世界大戦の後、日本国憲法下においては、1955年(昭和30年)から1993年(平成5年)までにわたって、保守派の自由民主党(自民党)が第一党の政権与党、革新派の日本社会党(社会党)が第二党の最大野党として、両党が衆議院議員・参議院議員の大半を占めた。これを55年体制と呼ぶ。しかし、社会党中心の政権は成立しないまま、徐々に野党の多党化が進んだ。社会党は、支持率・議席数ともに自民党の半分程度であり、この大小関係から、「二大政党制」ではなく「一党優位政党制」「1と1/2政党制」と評された。 この期間では自民党は政権与党であり続けたが、同党の結成以来の党是であった憲法改正に必要な「両院議席の3分の2以上」を獲得することは一度もできなかった。衆議院総選挙の直後に過半数を割り込むことは幾度かあったものの、無所属議員の追加公認や小政党の新自由クラブとの連立によって過半数を保持してしのいだ。 社会党は衆参両院の第2党かつ野党第1党であり続けたが、政権交代に必要な衆議院の過半数を獲得することは一度もできなかった。さらに社公民路線での他党との共闘を含めても、衆議院での過半数を制することはできなかった。唯一、1989年の参議院総選挙では土井ブームによって躍進し、最多の議席数を得たとともに自民党を過半数割れに追い込んだものの、参議院選挙は半数のみが改選される制度のため、比較第1党は自民党のままであった。
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