隔離演説
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隔離演説(かくりえんぜつ、英:Quarantine Speech)または防疫演説(ぼうえきえんぜつ)とは、アメリカ合衆国のフランクリン・ルーズベルト大統領が1937年10月5日にシカゴで行った演説である。
概要
当時の米国において一般的であった中立・不干渉の政治的風潮に代わるものとして、国際的な「侵略国の隔離」を要求した。演説は米国の孤立主義的風潮を煽り、不干渉主義者や介入者による抗議を招いた。演説の中で特定の国が直接名指しされた訳ではないが、ドイツ、イタリア及び日本(後の枢軸国)を指すものと解釈された[1][2]。ルーズヴェルトは、強硬ながらもあからさまな攻撃よりは直接的でない反応として、「経済的圧力の行使」を提案した。
演説に対する世間の反応は様々であった。著名漫画家で4コマ漫画「スキッピー」の作者のパーシー・クロスビーは、ルーズヴェルトを痛烈に批判してきた人物であるが、彼はニューヨーク・サンの広告枠を2ページ分購入して演説を攻撃した[3]。さらに、演説はウィリアム・ランドルフ・ハーストが所有する数々の新聞社やシカゴ・トリビューンのロバート・R・マコーミックから酷評されたが、のちに一部社説が示したところによれば、米国のメディアは概して演説を認めていた[4]。
参考文献
- Franklin D. Roosevelt and American foreign policy, 1932-1945: with a new afterword, Robert Dallek, 1995, Oxford University Press. Page 152. [1]. ISBN 978-0-19-509732-0.
- No more killing fields: preventing deadly conflict. David A. Hamburg, Cyrus S. Vance, 2003, Rowman & Littlefield. Pages 36–37. [2]. ISBN 978-0-7425-1675-5.
- 西川秀和「フランクリン・ローズヴェルト大統領の「隔離」演説」南山考人 (34), 3-22, 2006-03,南山考古文化人類学研究会
脚注
- ^ Patrick J. Maney (1998). The Roosevelt presence: the life and legacy of FDR. University of California Press. p. 114. ISBN 978-0-520-21637-2
- ^ 西川秀和「フランクリン・ローズヴェルト大統領の「隔離」演説」南山考人 (34), 3-22, 2006-03,南山考古文化人類学研究会
- ^ Percy Crosby on Franklin Roosevelt, David Martin, October 3, 2010.
- ^ Edward Moore Bennett (1995). Franklin D. Roosevelt and the search for security: American-Soviet relations, 1933-1939. Rowman & Littlefield. pp. 98,99,100. ISBN 978-0-8420-2247-7
関連項目
外部リンク
隔離演説
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「フランクリン・ルーズベルト」の記事における「隔離演説」の解説
1937年には、最高裁改革の失敗や労働争議の頻発、景気後退、さらにはまたルーズベルトと同じ民主党の保守派議員が、ニューディール阻止の為に共和党との超党派ブロックを結成するなどして、ルーズベルトは孤立し、議会に対する影響力を低下させており、その様子はまるで「まったく棄てられた指導者」であったといわれる。 1937年8月30日、中華民国は国際連盟に対して、日本の行動は不戦条約および九ヶ国条約に違反すると主張し、措置を取るよう提訴した。9月6日、ルーズベルトは「世界の政府間の平和のためにアメリカが先頭に立って 大掃除をする準備ができていることを公にする」と財務長官のヘンリー・モーゲンソーと国務長官のコーデル・ハルに語り、1937年(昭和12年)10月5日、世界で行われつつあるとする侵略行為を非難するために「病人」になぞらえて隔離演説(隔離声明、防疫演説)(en:Quarantine Speech)をシカゴで行った。 「世界の九割の人々の平和と自由、そして安全が、すべての国際的な秩序と法を破壊しようとしている残り一割の人々によって脅かされようとしている。(中略)不幸にも世界に無秩序という疫病が広がっているようである。身体を蝕む疫病が広がりだした場合、共同体は、疫病の流行から共同体の健康を守るために病人を隔離することを認めている」[要ページ番号] 演説は直接には特定の国家を名指しすることはなかったものの、一般には従来の棍棒外交をあらためて否定し、ドイツやイタリア、日本などの国政実行を非難するルーズベルトの政策理念を表明する演説と考えられている。演説のなかでは、「宣戦の布告も警告も、また正当な理由もなく婦女子をふくむ一般市民が、空中からの爆弾によって仮借なく殺戮されている戦慄すべき状態が現出している。このような好戦的傾向が漸次他国に蔓延するおそれがある。彼ら平和を愛好する国民の共同行動によって隔離されるべきである」とも語られた。なおハルの証言では、アメリカ国務省が作成した演説原案には「隔離」の部分はなく、演説直前にルーズベルト自身が入れた。 翌1938年10月6日には国務省声明を発表し、中華民国における日本の行為を、アメリカは九カ国条約とケロッグ-ブリアン条約(パリ不戦条約)違反とみなし、声明は国際連盟の決議に沿うものとして、日本を明確に名指した。ただし、アメリカはその加盟国ではなかった。
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