記者・マスコミ
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「マスコミと良好な関係を築けないようでは、どんなに成績を挙げても選手として失格だ」と自ら話すよう、専属広報の広岡勲や、サンケイスポーツ記者の阿見俊輔をはじめとする各スポーツ紙の記者などマスコミとの関係は親密で、ヤンキース移籍後も毎試合後に会見を行い、記者たちの質問にも真摯に答える。延長などで時間が遅くなってしまった場合、取材を優先してユニフォームのまま会見を受けることもある。雑誌や写真週刊誌の取材も、分け隔てなく受ける。シーズン終了後に、番記者や通訳らをメンバーに加えて行われる「草野球」は毎年の恒例行事であり、松井本人も楽しみにしているイベントである。その際、松井は投手を務めるため、変化球の練習を密かに行っている。投手としての松井は、推定120km/hの直球とカーブを投じる。なお打席に立つ際にはハンディキャップとして、上述の小学生時代に振り返って右打席でバットを振る。記者と食事、キャッチボールを行うことも多く、度々記事になっている。遠征先でも、チームバスに同乗せずに報道陣のマイカーで球場に向かうことがある。また、記者とのバーベキューパーティーも毎年の恒例行事であり、他にも常日頃から焼肉、ステーキ、しゃぶしゃぶなどで記者との親睦を深めている。 松井が深刻な打撃不振に苦しんでいたメジャー1年目の2003年6月2日には、報道陣が「バーベキューでもやって落ち込んでいる松井を励まそう」と遠征先のシンシナティでバーベキューパーティーを開催した。かつてないほど落ち込んでいた松井だったが、このバーベキューにより気分転換に成功。その3日後、26試合119打席ぶりの4号本塁打を含む4安打3打点と大爆発し、スランプを脱した。この出来事は「リメンバー、シンシナティ」として松井の心に深く刻まれ、その後は打撃不振に陥った時でも暗さを表に出すことなく乗り越えられるようになった。 食事を共にした記者に対し、「たまにはいい記事かけよ」、「皆、もう僕の守備のこと悪く書けないね」と発言したというエピソードがある。「メディアの後ろに、ファンがいる」という考えを巨人時代から持っており、ニューヨークの地元記者からの信頼も厚い。ロバート・ホワイティングによれば、松井は初年度のキャンプにおいて、地元NYメディアの番記者たちを食事に招待したが、このようなことをする選手はヤンキースの長い歴史の中でも初めてだったという。しかもその折、松井は自ら所蔵するアダルトビデオを記者たちにプレゼントした。そのこともあり、先述の打撃不振の際にも、地元メディアの反応は比較的穏やかだったという。こうして、初年度オフには、全米野球記者協会(Baseball Writers' Association of America)NY支部が取材に最も協力的だった選手を表彰する「グッドガイ賞」にも輝いている。 このように、報道陣からの評判はすこぶる良かった松井であるが、二者択一の問いに対しては「どちらとも言えない」という曖昧な答えを返すことが多く、記者を悩ますこともあった。
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