ふくしま‐やすまさ【福島安正】
福島安正 ふくしま やすまさ
長野松本生まれ。陸軍軍人。父は松本藩士。大学南校で学んだ後、明治7年(1874)陸軍省に出仕。情報収集に手腕を発揮し、朝鮮半島・満州などの調査を命じられた。特に、25年(1892)ベルリンからウラジオストクまで1年4ヶ月をかけて単騎で横断し、シベリア鉄道の建設状況を視察したことで知られる。日清戦争時は第1軍参謀。のち、参謀本部第3部長、第2部長、臨時派遣司令官(北清事変)、満州軍参謀・大本営参謀(日露戦争)、参謀本部次長等を歴任。40年(1907)男爵。大正3年(1914)大将昇進とともに後備役に編入。後備役編入後は、在郷軍人会の副会長もつとめた。
キーワード | 陸軍軍人 |
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福島安正
福島安正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/05 14:49 UTC 版)
福島 安正(ふくしま やすまさ、嘉永5年9月15日(1852年10月27日) - 1919年(大正8年)2月19日)は、日本の陸軍軍人[1]。最終階級は陸軍大将。男爵。萩野末吉に続く情報将校。10カ国語以上に通じ、軍部第一の地理学者・語学者と称賛された[2]。
注釈
出典
- ^ a b c d "福島安正". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2022年4月26日閲覧。
- ^ a b c "福島 安正". 20世紀日本人名事典. コトバンクより2022年4月26日閲覧。
- ^ 樋口清之・丹羽基二『姓氏』秋田書店、1970年、274頁
- ^ 福島安正「修學記」204-208頁。
- ^ 福島安正「修學記」208-215頁。
- ^ 福島安正「修學記」214-217頁。
- ^ 『官報』第639号、大正3年9月16日。
- ^ 『官報』第2104号「叙任及辞令」1890年7月5日。
- ^ 『官報』第2932号「叙任及辞令」1893年4月12日。
- ^ 『官報』第3717号「叙任及辞令」1895年11月16日。
- ^ 『官報』第5106号「叙任及辞令」1900年7月11日。
- ^ 『官報』第6618号「叙任及辞令」1905年7月22日。
- ^ 『官報』第8142号「叙任及辞令」1910年8月11日。
- ^ 『官報』第319号「叙任及辞令」1913年8月21日。
- ^ 『官報』第651号「叙任及辞令」1914年10月1日。
- ^ 『官報』第1964号「叙任及辞令」1919年2月21日。
- ^ 『官報』第1925号「叙任及辞令」1889年11月27日。
- ^ 『官報』第3693号「叙任及辞令」1895年10月19日。
- ^ 『官報』第3862号・付録「辞令」1896年5月16日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
- ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部)
- ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部)
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第1930号「叙任及辞令」1889年12月3日。
- ^ a b 『官報』第2625号「叙任及辞令」1892年4月2日。
- ^ 『官報』第4810号「敍任及辞令」1899年7月14日。
- ^ 『官報』第5531号「叙任及辞令」1901年12月9日。
- ^ a b 『官報』第5948号「叙任及辞令」1903年5月4日。
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