ちょっ‐けい〔チヨク‐〕【直系】
直系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:26 UTC 版)
「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト」の記事における「直系」の解説
アレクサンダー・フォン・シーボルト (1846年8月16日 - 1911年1月23日) 「アレクサンダー・フォン・シーボルト」も参照 アレクサンダーは、妻ヘレーネ・フォン・ガーゲルン Helene von Gagern (1820年 - 1877年) との長男で、シーボルト再来日時に同行している。1859年(安政6年)以来日本に滞在、イギリス公使館の通弁官(通訳)を務め、1867年(慶応3年)に徳川昭武らのフランス派遣(パリ万国博覧会のため)に帯同している。陸奥宗光・井上馨などの明治元勲との付き合いも深く、後年は外務卿井上の特別秘書となる。日本語訳された著書に『シーボルト最後の日本旅行』(斎藤信訳、平凡社東洋文庫、1981年)。 2009年10月5日付の『産経新聞』で、アレクサンダーから伊達宗城に宛てた書簡が発見され、アレクサンダーが明治政府からの派遣団に同行し、偽札防止のための「小印紙」注文に関わったことを示すことを報じた。なお、アレクサンダーは日本語を宇和島藩士から学んでいたようである。楠本高子の手記によれば、高子の夫の三瀬諸淵も日本語を教えている。 山脇たか (1852年2月26日 - 1938年7月18日) 「楠本高子」も参照 シーボルトの孫。長子で娘の楠本イネの子供で、一時は自ら医師を志すが医師に嫁ぐ。手記が公開されている(シーボルト記念館ウェブサイト・長崎市)。[疑問点 – ノート] 次男ハインリヒ・フォン・シーボルト(別名小シーボルト)(1852年7月21日 - 1908年8月11日) 「ハインリヒ・フォン・シーボルト」も参照 1869年 (17歳)、兄の再来日に従って日本に赴き、日本に滞在中に岩本はなと結婚して1男1女をもうけた。またオーストリア=ハンガリー帝国大使館の通訳官外交官業務の傍ら、考古学調査を行い『考古説略』を発表、「考古学」という言葉を日本で初めて使用する。ハインリヒの没後100年にあたる2008年には、各所において記念企画が行われ、3月に行われた法政大学での記念シンポジウムには、ハインリヒの子孫でシーボルト研究家の関口忠志も招かれた。 日本語訳された著書に『小シーボルト蝦夷見聞記』(原田信男訳、平凡社東洋文庫、1996年)、『経済叢書. 第2号』鬼頭悌次郎 (訳)、大蔵省翻訳課、1878年 (明治11)。doi:10.11501/900823。 次女ヘレーネ ヴュルツブルクには、次女ヘレーネの末裔ブランデンシュタイン・コンスタンティン・ツェッペリン(次女子孫がツェッペリン伯爵家と婚姻)が会長を務めるドイツ・シーボルト協会が存在する。また日本では国内のシーボルト研究家が集まり、日本シーボルト協会の設立準備委員会が2008年に発足している。
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