津雲貝塚とは? わかりやすく解説

つくも‐かいづか〔‐かひづか〕【津雲貝塚】

読み方:つくもかいづか

岡山県笠岡市にある縄文時代後期貝塚。160余体の人骨出土し大正13年1924清野謙次縄文人現代日本人の直接祖先であるという原日本人説提唱


津雲貝塚

名称: 津雲貝塚
ふりがな つくもかいづか
種別 史跡
種別2:
都道府県 岡山県
市区町村 笠岡市西大島
管理団体
指定年月日 1968.05.11(昭和43.05.11)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S43-6-088[[津]つくも]貝塚.txt: 遺跡は、南に沖積地をのぞむ緩傾斜地にあり、瀬戸内地方代表的な繩文時代貝塚(約60メートル)である。大正4年発見以来数次発掘調査によって、繩文時代後期の標式土器をはじめ、各期の遺物検出している。
 中でも160体以上発見され人骨には、各種身体装飾品がみられ、屈葬抜歯などの習俗も知ることができる。
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  津山城跡  津島遺跡  津軽氏城跡  津雲貝塚  洲本城跡  浄光明寺境内・冷泉為相墓  浄妙寺境内

津雲貝塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 07:12 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
津雲貝塚 説明板付近

津雲貝塚(つくもかいづか)は、岡山県笠岡市西大島に所在する縄文時代晩期の貝塚遺跡国史跡

座標: 北緯34度29分4.2秒 東経133度31分59.8秒 / 北緯34.484500度 東経133.533278度 / 34.484500; 133.533278

津雲貝塚

概要

1867年慶応3年)ごろ工事途中で遺物が発見されている。1915年大正4年)鳥居龍蔵により発掘調査されたのが最初である。以後多くの研究者が人骨を目当てに発掘調査している。厚さ30センチあまりの貝塚層[注 1]から170体あまりの縄文人の人骨が発掘されたことで、全国に名を轟かせた。

現在でも、一部の教科書等に掲載されている。発掘当時から現在も所有者の畑となっている。 人骨はほとんど仰臥屈葬である[注 2]。ほとんどが抜歯が認められる。少数ながら貝輪や腰飾り、鹿角製耳飾りの成人骨で、石製首飾りをしている小児骨もある。 出土遺物は、縄文土器・石鏃(せきぞく)・削器(さっき)・石錘(せきすい)・土偶・土板・鹿角製釣糸である。

年代を決める縄文土器は、早期から晩期までのものがあるが、主体は後期・晩期である[注 3]

この発掘には、京都帝国大学(現在の京都大学)文学部助教授医学博士 清野謙次などが関わっている。これらの発掘で出土した豊富な人骨資料は、清野が原日本人説を唱える際の重要な資料となった[1][2]

発掘された資料は、京都大学、笠岡市立郷土館、個人宅に所蔵されている。

2021年6月23日、イギリスオックスフォード大学などで構成される研究チームは本貝塚から発掘された縄文時代(紀元前1370年から1010年頃)の成人男性の骨を調査していた際、のこぎりの歯のような傷が790も確認され、後にサメに襲われて死亡したことが判明したと発表した。襲撃に関与したサメの種類はトラザメホホジロザメの可能性が高く、これまで世界最古のサメによる犠牲者とされてきたプエルトリコで発見された西暦1000年頃の人物を更に遡り、この成人男性が世界最古のサメによる犠牲者であると発表した[3][4]

歴史

年表

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 貝塚はおよそ50メートル四方と推定されている。遺跡はさらに広がっている。層位は表土下約20センチメートルで黒色土層さらに約15センチメートルで貝層となる。貝層は厚さ30センチメートル余り。
  2. ^ 人骨は貝層中から見つかっている。伸展葬はわずかである。頭位は東から北東に向けるものが多い。
  3. ^ 瀬戸内地域の標識土器となっている後期中葉の津雲A式が出土している。

出典

  1. ^ 清野謙次・宮本博人 (1925). “「津雲石器時代人はアイヌ人なりや」”. 『考古学雑誌』 第16巻8号: 483-505. 
  2. ^ 清野謙次・宮本博人 (1925). “「再び津雲貝塚石器時代人のアイヌ人に非ざる理由を論ずる」”. 『考古学雑誌』 第16巻9号: 568-575. 
  3. ^ 3000年前に埋葬された日本人、世界最古の「サメの犠牲者」だった”. Smart FLASH (2021年6月25日). 2021年6月25日閲覧。
  4. ^ a b 最古のサメ襲撃の犠牲者、日本で発見 3000年以上前”. CNN.co.jp (2021年6月25日). 2021年6月25日閲覧。
  5. ^ “笠岡の貝塚で土偶頭部が出土 縄文時代、珍しい表情”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2014年1月23日). オリジナルの2014年2月2日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20140202104448/http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2014012322363648/ 2014年8月12日閲覧。 

参考文献

  • 京都帝國大學文學部考古學研究報告 第五冊「備中津雲貝塚發掘報告・肥後轟貝塚發掘報告」 臨川書店

関連項目

外部リンク




津雲貝塚と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', ''];function getDictCodeItems(index) {return dictCodeList[index];}

すべての辞書の索引

「津雲貝塚」の関連用語










10
6% |||||

津雲貝塚のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable() {return sideRankTable;}

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



津雲貝塚のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの津雲貝塚 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS