沖之島 (沖縄県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/31 03:58 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動沖之島 | |
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![]() 沖縄戦終結直後に撮影された沖之島(左) 出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)』 | |
所在地 |
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所在海域 | 東シナ海 |
所属諸島 | 沖縄諸島 |
座標 | 北緯26度8分3秒 東経127度40分6秒 / 北緯26.13417度 東経127.66833度座標: 北緯26度8分3秒 東経127度40分6秒 / 北緯26.13417度 東経127.66833度 |
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沖之島(おきのしま[1])は、沖縄本島南部の西にかつて存在した島で、1960年代に周囲が埋め立てられ消滅した。
地理
沖縄本島南部の西側に位置する、沖縄県糸満市の西部海岸に存在した[2]。報得川の河口にあり、周囲は干潟となっていた[3]。
歴史
沖之島は方言で「アナギ」と呼ばれ、陸地測量部による1921年(大正10年)発行の地図には、「沖ノ島(アナギ)」と表記され、戦後には「沖之島」へ名称が改められた[3]。もとは大字「糸満」の一部で、小字の「沖之島」が設定されていたが[4]、1992年(平成4年)に「糸満」から「西川町」へ分離された[5]。
かつての沖之島に塩田が存在し、製塩業が営まれていたという[3]。戦後は、糸満漁港の整備が開始され、1954年(昭和29年)に浚渫により完成した水路が報得川から運ばれた土砂で堆積し、1959年(昭和34年)の再浚渫の際に沖之島と沖縄本島間の海域が埋められ[1]、1966年(昭和41年)以降の公有水面埋立事業により、周囲も埋め立てられた[3]。本土復帰後の1973年(昭和48年)に、沖之島が存在していた場所に造船所が建設され、2006年(平成18年)まで同地で操業していた[3]。
島内には「アナギの竜宮神」と呼ばれる拝所があったが、2000年代に西寄りに移動された[6]。3か所に祠があり、「龍宮神社」と「七龍宮神」の石碑が建立されている[6]。
(右)2010年現在の糸満市字糸満。画像中央上部が沖之島があった場所。
出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)』
出典
参考文献
- 糸満市史編集委員会編『村落資料 - 旧糸満町編 -』糸満市役所〈糸満市史 資料編13〉、2016年。全国書誌番号:23093452
- 平凡社地方資料センター編『日本歴史地名大系第四八巻 沖縄県の地名』平凡社、2002年。ISBN 4-582-49048-4。
関連項目
- 伊保島 - 同市に存在した島で、1980年代に周囲が埋め立てられ消滅した。
外部リンク
- ふるさと写真帖 No.15 潮干狩りを楽しむ人々 - 糸満市
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