てんそん‐こうりん〔‐カウリン〕【天孫降臨】
てんそんこうりん 【天孫降臨】
天孫降臨
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記紀(古事記と日本書紀)』に記された日本神話。
古事記



天孫邇邇芸命の誕生
天照大御神と高木神(高御産巣日神)は、天照大御神の子である天忍穂耳命に、「葦原中国平定が終わったので、以前に委任した通りに、天降って葦原中国を治めなさい」[5]と言った。
天忍穂耳命は、「天降りの準備をしている間に、子の邇邇芸命が生まれたので、この子を降すべきでしょう」[6]と答えた。邇邇芸命は、天忍穂耳命と高木神の娘の万幡豊秋津師比売命との間の子である。
それで二神は、邇邇芸命に葦原の中つ国の統治を委任し、天降りを命じた。
猿田毘古
邇邇芸命が天降りをしようとすると、天の
天孫降臨
邇邇芸命の天降りに、天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命の
さらに、天照大御神は三種の神器と思金神、手力男神、天石門別神を副え、「この鏡を私の御魂と思って、私を拝むように敬い祀りなさい。思金神は、祭祀を取り扱い神宮の政務を行いなさい」と言った。
八咫鏡と思金神は伊勢神宮に祀ってある。登由宇気神は伊勢神宮の外宮に鎮座する。天石門別神は、別名を櫛石窓神、または豊石窓神と言い、御門の神である。手力男神は
天児屋命は
邇邇芸命は高天原を離れ、天の浮橋から浮島に立ち、筑紫の日向の高千穂の
天忍日命と天津久米命が武装して先導した。天忍日命は
猿田毘古と天宇受売
邇邇芸命は天宇受売命に、猿田毘古神を送り届けて、その神の名を負って仕えるよう言った。それで、猿田毘古神の名を負って猿女君と言うのである。
猿田毘古神は、
天宇受売命が猿田毘古神を送って帰ってきて、あらゆる魚を集めて天津神の御子(邇邇芸命)に仕えるかと聞いた。多くの魚が仕えると答えた中でナマコだけが答えなかった。そこで天宇受売命は「この口は答えない口か」と言って小刀で口を裂いてしまった。それで今でもナマコの口は裂けているのである。
木花之佐久夜毘売と石長比売
邇邇芸命は笠沙の岬で美しい娘に逢った。娘は大山津見神の子で名を神阿多都比売、別名を木花之佐久夜毘売といった。邇邇芸命が求婚すると父に訊くようにと言われた。そこで父である大山津見神に尋ねると大変喜び、姉の石長比売とともに差し出した。しかし、石長比売はとても醜かったので、邇邇芸命は石長比売を送り返し、木花之佐久夜毘売だけと結婚した。
大山津見神は「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇芸命)の命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘売を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと
日本書紀
(注)日本書紀の本文と
本文
『日本書紀』の第九段本文では、天照大神の
高皇産霊尊は、皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を葦原中国の
天稚彦の派遣から始まる葦原中国平定(国譲り)後、時に高皇産霊尊は
皇孫は
続いて道中の解説後、その地に一人の者がいて、自ら
皇孫は「国在りや
その時、その国に
最後にしばらくして天津彦彦火瓊瓊杵尊が崩御した(「
第九段一書(一)
第九段一書(一)では、本文と類似する天稚彦の派遣から葦原中国平定があり、続いて時に天照大神、「若し然らば、早速、我が子を降さん」と
続いて、故に天照大神は、天津彦彦火瓊瓊杵尊に八坂瓊曲玉・八咫鏡及び草薙剣(天叢雲剣)の
次いで併せて
-
天児屋命 ・中臣 の上祖 -
太玉命 ・忌部 の上祖 -
天鈿女命 ・猿女 の上祖 -
石凝姥命 ・鏡作 の上祖 -
玉屋命 ・玉作 の上祖
そして皇孫に、「
そうして降る間に、先駆の者の還りて、「一柱の神有りて
そこで従えていた神を遣わして尋ねに行かせた。この時、
以下が天鈿女命と
- 天鈿女命:胸をあらわにし、衣の紐を
臍 の下まで押し下げあざ笑い、衢神に向かい立つ。→ 衢神猿田彦:「天鈿女、汝の為す(そんなことをする)は何の故ぞ」と尋ねた。 - 天鈿女命:「天照大神の御子(皇孫)が進む
道路 に如此 居 す者有るは誰ぞ。敢て問う」→ 衢神猿田彦:「天照大神の御子、今、まさに降り行くと聞く。故に迎え奉りて相い待つ。我が名は猿田彦大神ぞ」 - 天鈿女命:「汝、我を
将 て先 て行くか、それとも、我、汝に先て行くか」→ 衢神猿田彦:「我、先て啓 て行かん」 - 天鈿女命:「汝は
何処 に到るや。皇孫は何処に到るや」→ 衢神猿田彦:「天神の御子、まさに筑紫の日向 の高千穗 の触之峯 に到るべし。我は伊勢の狭長田 の五十鈴 の川上に到るべし」更に続け、「我の素性を明らかし者は汝なり。故、汝、我を送りて致るべし」
その後、天鈿女命還り
衢神猿田彦は伊勢の狭長田の五十鈴の川上に辿り着き、天鈿女命は衢神猿田彦の乞う所の随に送り届けた。そこで皇孫は天鈿女命に、「汝は素性を明らかにした神の名をもって姓氏とせよ」と勅し、これによって猿女君の名を授かった、とある。
前半は天照大神が取り仕切る天壌無窮の神勅であり、後半は天鈿女命と猿田彦の問答がメインとなる。
第九段一書(二)
第九段一書(二)では、この時、高皇産霊尊は〜中略〜とあり、以下の神を○○作りと定めた。
そして太玉命をして、
続いて高皇産霊尊は、「我、則ち
この時、天照大神は手に
そして、高皇産霊尊の
それから、天津彦火瓊瓊杵尊は日向の
そこで皇孫は宮殿を立て、そこで
皇孫がそこで大山祇神に、「我、
すると皇孫は、姉の方は醜いと思って
この一書では前半、天児屋命・太玉命を主として描き、後半は磐長姫の逸話を伝えている。
第九段一書(四)
第九段一書(四)では、高皇産霊尊は真床覆衾を、天津彦国光彦火瓊瓊杵尊に着せ、天磐戸を引き開けて、天の幾重もの雲を押し分けて降らせた。
この時、大伴連の遠祖である
(二柱の神)
すると、その地に
この一書では、瓊瓊杵尊の降臨を主として記述し、天忍日命と天串津大来目のみを随神とする。そして事勝国勝長狭の別名が彦火火出見尊の神話に登場する塩土老翁だという。
第九段一書(六)
第九段一書(六)では、
皇孫の火瓊瓊杵尊を葦原の中つ国に降臨し奉るに至るに及びて〜中略〜この時高皇産霊尊は真床覆衾を皇孫の天津彦根火瓊瓊杵根尊に着せて、天八重雲を
天孫がそこで、「此は誰が国ぞ。」と尋ねると、「これ長狭が住める所の国也。然れども、今、天孫に奉上らん。」と答えた。天孫がまた、「その
憶企都茂播 陛爾播誉戻耐母 佐禰耐拠茂 阿党播怒介茂誉 播磨都智耐理誉(沖つ藻は 辺には寄れども さ寝床も あたはぬかもよ 浜つ千鳥よ)※意味【沖の海藻は浜辺に打ち寄せらるるが、我は共に寝る事も出来ず。浜の千鳥よ。】
以上がこの一書の内容である。異伝である為、要所要所で略してあるのは他の書と酷似しているからと思われる。
第九段一書(七)では、高皇産霊尊の娘の
- 高皇産霊尊の娘の
万幡姫 の娘の玉依姫命 。此の神、天忍骨命 の妃となりて、御子の天之杵火火置瀬尊 を生むという、とある。 -
勝速日命 の御子の天大耳尊 。此の神、丹姫 を娶りて、御子の火瓊瓊杵尊 を生むという、とある。 - 神皇産霊尊の
女 幡千幡姫 、御子の火瓊瓊杵尊 を生むという、とある。 -
天杵瀬命 、吾田津姫 を娶りて、(略)とある。
この一書では異伝を箇条書きに伝える。
第九段一書(八)
第九段一書(八)では、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、高皇産霊尊の娘の天万幡千幡姫を娶りて、妃として生みし御子の
次に
この一書では別の異伝を伝える。
火中出産
ここでは、木花開耶姫の出産について記す。
古事記
木花之佐久夜毘売の出産 木花之佐久夜毘売は一夜を共にしただけで身篭った。それを聞いた邇邇芸命は「たった一夜で身篭る筈はない。それは国津神の子だろう」(「佐久夜毘売 一宿哉妊 此胎必非我子而為国津神之子」『古事記』)と言った。
木花之佐久夜毘売は、「この子が国津神の子なら、産む時に無事ではないでしょう。天津神の子なら、無事でしょう」(「吾妊之子 若国津神之子者 幸難産 若為天津神之御子者 幸産」『古事記』)と誓約をし、戸のない御殿を建ててその中に入り、産む時に御殿に火をつけた。天津神の子であったので、無事に三柱の子を産んだ。
火が盛んに燃えた時に生んだ子を火照命、火が弱くなった時の子を火須勢理命、火が消えた時の子を火遠理命、またの名を天津日高日子穂穂手見命という。
日本書紀
第九段本文では、その国に
そこで鹿葦津姫は怒り恨んで、戸口のない小屋を作ってその中に籠り、誓いて、「妾が娠める、若し
- 最初に昇った煙から生まれ出た子:火闌降命・
隼人 等の始祖 - 次に熱が静まって生まれ出た子を彦火火出見尊。
- 次に生まれ出た子を火明命・
尾張連 等の始祖
とある。 第九段一書(二)では、その後、神吾田鹿葦津姫、皇孫を見て「妾は
以下が火中出産の三子の詳細である。
- 焰が初め起こる時に共に生みし御子:
火酢芹命 - 次に火盛りなる時に生みし御子:
火明命 - 次に生みし御子:
彦火火出見尊 、または火折尊
とある。 第九段一書(三)では、まず神吾田鹿葦津姫の火中出産を述べる。
- 最初に
炎 が明るい時に生まれた子が火明命 である。 - 次に、
炎 が燃え盛る時に生まれた子が火進命 である。または火酢芹命 と言う。 - 次に、炎が鎮まった時に生まれた子が
火折彦火火出見尊 である。
この併せて
その時に神吾田鹿葦津姫が卜
後半では神吾田鹿葦津姫の農耕神としての様子を示す。
第九段一書(五)では、天孫(瓊瓊杵尊)は大山祇神の娘の吾田鹿葦津姫を娶り、一夜にして身籠る。そして
そこで吾田鹿葦津姫が怒って、「何すれぞ妾を嘲うや」と言うと、天孫は、「心に
以下がその四柱の御子の登場順、名と名乗りの台詞である。
- その火の初め明かる時、勇ましく進み出て:
火明命 :「吾は是 天神 の子 、名は火明命。吾が父 は何処 に坐 すや。」 - 火の
盛 の時、勇ましく進み出て:火進命 :「吾は是 天神 の子 、名は火進命。吾が父 及び兄 何処 に在りや。」 -
火炎 衰 る時、勇ましく進み出て:火折尊 :「吾は是 天神 の子 、名は火折尊 。吾が父 及び兄 等、何処 に在りや。」 -
火熱 を避りし時、勇ましく進み出て:彦火火出見尊:「吾は是 天神 の子 、名は彦火火出見尊。吾が父 及び兄 等、何処 に在りや。」
然る後に、
天孫は「我本よりこれ我が子と知る。
この一書は火中出産(ではなく火中の誓だが)の異伝である。あるいは瓊瓊杵尊の言い訳を代弁する様な一書とも思われる。また、ここでの吾田鹿葦津姫は出産後、火中の誓を行う事や、御子は四柱おり、自ら名乗りを上げる事などが他の異伝と大きく異なる。
第九段一書(六)では、
-
火酢芹命 -
火折尊 、または彦火火出見尊
それにより母(いろは)の
第九段一書(八)では、次に
この一書でも木花開耶姫命の御子は二柱となっている。
なお、皇子の出生の順番は、文献により異なっている。
書名 | 第一王子 | 第二王子 | 第三王子 | 第四王子 | |
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古事記 |
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日本書紀 | 本文 |
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一書第1・第4 | 記述なし | ||||
一書第2 |
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一書第3 |
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一書第5 |
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一書第6 |
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一書第7 |
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一書第8 |
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考察
- 谷有ニは伝説の地をクシフルに音の似た九重連峰や久住山とする説等を紹介している。谷自身は、高千穂を「高い山」の意とし、添(ソホリ)がソウルと同じ王の都であるなど韓国との関連を示す記載と前述の瓊々杵尊の言葉から、本来は九州北部が伝説の地であったが、政策上の都合で九州南部に移動したとしている。また、谷はソホリに「大きい」の意のクがついたものがクシフルである可能性とカシハラとの類似性も指摘している[9]。
- 日本書紀に「日向の襲の高千穂の峯に天降ります」とあるが、この「襲」については、同じく日本書紀の景行天皇13年5月条に、「襲国平定」と記されてある。「襲国(曽国)」[10]とは古代の南九州に居住した熊襲 (球磨贈於) といわれ、後に隼人と呼ばれた人々の本拠地とされる[11]。
- 古田武彦は福岡県の日向峠(笠沙岬の真北)を天孫降臨の伝説の発祥地とする。
- クシフルの比定地として、クシフルと同様、ソウルが変化したとされる脊振山(セフリサン)は、福岡県と佐賀県の境にあって、韓国(カラクニ)、朝鮮半島南部が対馬の向こうに見える山である[12]。
- 沢田洋太郎は天孫降臨はヤマト王権の朝鮮から北九州への上陸を意味するとしている[13]。
- 朝鮮の建国神話、『三国遺事』にある加耶の始祖首露王が亀旨(クジ)峰に天降る話と似ていることが、神話学者の三品彰英によって指摘されている[14]。
脚注
注釈
- ^ 「時に、高皇産靈尊、眞床追衾を以て、皇孫天津彦彦火瓊々杵尊に覆ひて、降りまさしむ。皇孫、乃ち天磐座を離ち、且天八重雲を排分けて、稜威の道別に道別きて、日向の襲の高千穂峯(たかちほのたけ)に天降ります。既にして皇孫の遊行す状は、くし日の二上の天浮橋より、浮渚在平處に立たして、そ宍の空國を、頓丘から國覓き行去りて、吾田の長屋の笠狹碕に到ります。」「日本書紀 上」坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 岩波書店、1993年(P140)
- ^ 神武天皇「昔我天神高皇産霊尊大日孁尊挙此豊葦原瑞穂国而授我天祖彦火瓊瓊杵尊。」(日本書紀第3巻)[3]とある。昔に、天神、高皇産霊尊、大日孁尊はこの豊葦原瑞穂国を、私の先祖である瓊瓊杵尊にお与えになった、という意味[4]。
- ^ 大祓詞にも同じ記述がある。
出典
- ^ 小学館 大辞泉『熊襲 くまそ』コトバンク 。
- ^ 『襲国』コトバンク 。
- ^ 日本書紀 30巻. 国立国会図書館
- ^ 訓読日本書紀. 中 黒板勝美 (岩波書店) p.7 国立国会図書館
- ^ 原文:「今平訖葦原中国矣 故汝当依命下降而統之」『古事記』
- ^ 原文:「僕者将降装束之間 生一子 其名天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命 此子応降也」『古事記』
- ^ 原文:「我之女二並立奉者有因 使石長姫者 天神御子之命雖雪零風吹 恒可如石而常堅不動坐 亦使木花之佐久夜姫者 如木花之栄栄坐 因立此誓者而使二女貢進 今汝令返石長姫而独留木花之佐久夜姫 故今後天神御子之御寿者 将如木花之稍縦即逝矣」『古事記』
- ^ 黒板勝美『訓読日本書紀. 上巻』上巻、岩波書店〈岩波文庫〉、1943年4月。doi:10.11501/1904260。NDLJP:1904260 。「国立国会図書館デジタルコレクション」
- ^ 谷有ニ‐日本近代の《朝鮮観》 https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/SK/2000/SK20001L015.pdf › rp-contentsPDF
- ^ 『襲国』コトバンク 。
- ^ 小学館 大辞泉『熊襲 くまそ』コトバンク 。
- ^ 金政起「古代北九州と朝鮮半島南部との共同文化圏について」『アジア太平洋研究』第43巻、成蹊大学アジア太平洋研究センター、2018年11月、81-97頁、CRID 1390291767726442752、doi:10.15018/00001159、 hdl:10928/1148、 ISSN 0913-8439。
- ^ 澤田洋太郎『日本語形成の謎に迫る』(新泉社、1999年)
澤田洋太郎『アジア史の中のヤマト民族』(新泉社、1999年) - ^ 詔旨子細採□【手庶】然上古之時言意並朴敷文構句於字即難已因訓述者詞不逮心全以音連者事 ... 以後、朝鮮神話・北方民族神話との類似性を指摘した三品彰英
関連項目
- 天下り - 官僚が民間企業に移る(下る)ことを天孫降臨(天降り)になぞらえている。
外部リンク
天孫降臨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 14:37 UTC 版)
天照大御神の孫である邇邇芸命は日向に降臨した(天孫降臨)。このとき天照大御神から授かった三種の神器を携えていた。邇邇芸命は木花之佐久夜毘売と結婚し、木花之佐久夜毘売は御子を出産した。
※この「天孫降臨」の解説は、「日本神話」の解説の一部です。
「天孫降臨」を含む「日本神話」の記事については、「日本神話」の概要を参照ください。
「天孫降臨」の例文・使い方・用例・文例
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