大躍進とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 23:17 UTC 版)
「オリヴァー・ネルソン」の記事における「大躍進とその後」の解説
プレスティッジ・レーベルには、1959年から1961年にかけて6枚のリーダー・アルバムを残した。それらの中で共演したのはケニー・ドーハム、ジョニー・ハモンド・スミス、エリック・ドルフィー、ロイ・ヘインズ、キング・カーティス、ジミー・フォレストらである。その後の『ブルースの真実』の発表によりネルソンは大躍進を遂げ、作曲家・アレンジャーとしての地位が定着する。そして、『アフロ・アメリカン・スケッチ』や『フル・ネルソン』を含む相当な数のビッグ・バンド・アルバムを録音し続けた。 ネルソンはアレンジャーとして、数々のミュージシャンの大人数編成アンサンブル・アルバムを手掛けた。キャノンボール・アダレイ、ソニー・ロリンズ、エディー・ロックジョー・デイヴィス、ジョニー・ホッジス、ウェス・モンゴメリー、バディ・リッチ、ジミー・スミス、ビリー・テイラー、スタンリー・タレンタイン、アイリーン・レイド、ジーン・アモンズはその一例である。1966年から1975年にかけて、いくつかのライヴ・パフォーマンスでオールスター・ビッグ・バンドを率いた。また、同時期にはソリストとしても活動し、ソプラノ・サクソフォーンを中心に演奏した。 1967年にはロサンゼルスに移り、テレビや映画のBGMを手掛けるようになった。テレビ関連のプロジェクトを挙げると、『鬼警部アイアンサイド』、『四次元への招待』、『刑事コロンボ』、『600万ドルの男』や『復讐の鬼探偵ロングストリート』などがある。ネルソンが手掛けた映画音楽は、『ガンファイターの最後』(1969)、『Skullduggery』(1970)、『Zig Zag』(1970)などである。 彼はまた、ソニー・ロリンズの『アルフィー (1966年の映画)』(1966)やガトー・バルビエリの『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972)といった映画音楽の編曲を手掛けた。この時期に、ナンシー・ウィルソン、ジェームス・ブラウン、テンプテーションズ、ダイアナ・ロスといったポップ・スター達のアルバムのプロデュースやアレンジを手掛けた。 ビッグ・バンドでのライヴ出演(ベルリン、モントルー、ニューヨーク、ロサンゼルス)と並行して、少人数コンボで西アフリカ・ツアーを行った。あまり知られてはいないが、ネルソンはいくつかの交響曲を残している。また、ジャズ教育にも深く関与しており、母校のセントルイス・ワシントン大学に戻り、1969年夏には5週間のクリニックを行っている。そのクリニックにはフィル・ウッズ、メル・ルイス、サド・ジョーンズ、ローランド・ハナ、そしてロン・カーターがゲスト出演した。1966年にはエチュード集『Patterns for Improvisation』を出版し、現在でも高い評価を得ている。
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