作品と受容
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マティアス・ホッホが有名になったきっかけは、1988年に東ベルリン、ドレスデン、ライプツィヒ、ハレ他、東ドイツの街で撮影したカラー写真の作品集『駅(Bahnhöfe)』である。このシリーズが展示されたのは、1992年と1999年に国際情勢研究所(ドイツ語版)の全17州のツアー展覧会「状況報告。東西ドイツ50年代~80年代の写真(Zustandsberichte. Deutsche Fotografie der 50er bis 80er Jahre in Ost und West)」である。ホッホの作品は、ベルリン・ギャラリー(ドイツ語版)、ライプツィヒ造形美術館、ドレスデン美術館、ミュンヘン近代絵画館などである。キュレーターおよび評論家であるハラルド・クンデ(Harald Kunde)は、「およそ人間性のない地域性、その形式、その配色、役所の指示で作られたデザイン、使い古された痕跡は、必然的に没落した国家の歴史を物語っている」と述べている。 1990年代にマティアス・ホッホは、国会議事堂、アーヘン大学病院(ドイツ語版)、東ドイツに新しく建設された流通センターなどの写真シリーズを制作。それに続き、パリ、ブリュッセル、オランダなどの近代機能主義的建築の作品集を出版。 芸術雑誌『art(ドイツ語版)』は、ホッホの写真を「現代の都会性に対する控え目で不安に満ちた批評」として紹介している。フランクフルター・アルゲマイネは、「ポスト工業社会に適した写真」とコメントしている。 2003年にローマに滞在しているとき、大きいサイズの写真だけでなく「フォト・スケッチ(fotografische Skizzen)」も制作。これは作家インゴ・シュルツェ(ドイツ語版)の「オレンジとエンジェル(Orangen und Engel)」に掲載された。日刊紙メルキッシェ・アルゲマイネ(ドイツ語版)は、これら48枚の写真が「驚くほどさりげない状態で、直接的に平凡なものと高尚なものとの併存」を表していると述べている。「写真とテクストが、繊細な対話を織りなしている」(ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング)。フランクフルトにある荒涼としたシルバータワー(ドイツ語版)の作品制作のため、ホッホはザクセン芸術財団(ドイツ語版)からの助成金を受けている。
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