オークの木
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/24 00:55 UTC 版)
ここにあったオークの木は、最終的には1909年に伐採されたが、これは、その少し前から、木の近くに家屋が建て込んで根を傷つけ、倒木の危険があるのではないかと危惧されたためであった。木は倒された後、切断されたが、切り株はセリー・オーク公園 (Selly Oak Park) に移設されて現存しており、「セリー・オークの名の由来となったオークの古木の切り株。セリー・オークのオーク・トゥリー・レーンから1909年に移設。」と記された真鍮の銘板が付けられている。2011年の時点では、切り株はほとんど腐ってしまっており、真鍮の銘板も腐食が進んでいたため、セリー・オーク公園友の会 (the Friends of Selly Oak Park) によって銘板はレプリカに取り替えられた。取り外されたもともとの銘板は友の会によって保管されている。切り株の残骸はそのまま公園に残されている。 セリー・オークという地名の最も早い時期の記録は1746年のものであり、当時セリー地区が含まれていたノースフィールド・アンド・ウィーリーのマナー(荘園) (the Manor of Northfield and Weoley) の文書に現れる。セリー・オーク公園に移されたオークの古木の切り株を使った年輪年代学による分析の結果、この木が育ち始めたのは1710年から1720年にかけてのころであったことが判明している。したがって、この木がランドマークとなったのは、ウスターシャー州のブロムスグローヴ (Bromsgrove) からバーミンガムまで、現在のブリストル・ロードがターンパイク(有料道路)として開通した1727年の以降のことである。 元々この地にあったキングズ・ノートンからハーボーンへの道(現在のオーク・トゥリー・レーン/ハーボーン・レーンに相当)とブロムスグローヴからバーミンガムへの道(現在のブリストル・ロード)の交差点は、セリー・オークと呼ばれるようになる前にはセリー・クロス (Selly Cross) と称されていたようで、16世紀の文献には Selley Crosse(1549年)、 Selley Cross(1506年)などと記録されている。 ここにあったオークの古木について、サラ (Sarah) ないしサリー (Sally) という名の魔女に因んでセリー・オークと呼ばれるようになったとする俗説があるが、これには根拠はなく、おそらくは、地名が("Selly" ではなく)"Sally" と綴られることがあったり、地元の人々が「サリー」に近く発音することを踏まえて後から考えだされたものであろう。実際、1789年にジョン・スネイプ (John Snape) が作成した運河地図には、地名が Sally Oak と記されていた。 1985年3月、交差点周辺の道路改良工事の竣工を記念し、「新しい」セリー・オークが、ブリストル・ロードの北側、ハーボーン・レーンとセインズベリー (Sainsbury's) の店舗敷地に囲まれた小さな三角地に、地元の自治体関係者によって植えられた。さらに2000年10月には、2本目の「新しい」セリー・オークが、ブリストル・ロードの南側の Bentella's Corner、元の古木があった場所からみてオーク・トゥリー・レーンの反対側に植えられた。さらにもうひとつ、3本目の「新しい」セリー・オークと言える木が、セインズベリーの駐車場に隣接した、1993年まで The Great Oak というパブの建物があった跡地に植えられている[要出典]。これらのオークの木は、[いつ?] いずれも存続している。
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