超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

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今の社会の「繋がりすぎ」の問題について考えを巡らす。

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今の社会の「繋がりすぎ」の問題について考えを巡らす。


クリスマス・イブである。普通に仕事だ。日本人はキリストの誕生日をやたら祝っているが、そこに宗教的なマインドは全くないのだろう。


批判的なことを言うつもりは別にないのだが、僕にとっては普通の平日であり、しかもあぶれ者であるもんだから世間からの疎外感の方しか感じない。や、帰りにでもチキンやケーキを買ってきて勝手に一人で盛り上がっていればいいのかもしれないが、別にクリスマス商戦に金を落としてやろうという気もしないのだよな。甥っ子たちにちゃんとクリスマスプレゼントは渡してしまったし、後は正月でも待つかなと言う感じ。


しかし、ま、この冬の季節感は好きである。12月オフシーズンの頃の沖縄というのは、雨季でありどんよりと薄曇りの日々が続き、北風が強くて体感温度が低いという季節である。この時期ではビーチも人が少なくて、曇天の中で冷たい強風が吹きつけてくるもんで、人々も好き好んで海辺に行こうという人はいない。


どうも、こういう季節が僕は好きなのである。こんな時期に海辺に車を止めて、その薄暗い光景を車内から眺めているというのが無性に好きなのである。なんとなく、僕の心象風景というのはこんな感じのどんよりと曇った海辺というのが近い。サイモン&ガーファンクルの「冬の散歩道」でも聴きながら、荒れている海を眺めていると、不思議に心が満たされてくるのである。


まぁいいか、年内は後は今週を残して仕事納めと言う感じ。ホリデーシーズンも日本人はよく働くものだ。僕は背中の粉瘤の傷跡がようやく血が止まってきたので、昨日から筋トレを再開した。筋トレをするとストレス解消をすることができるらしく、今朝の調子はなかなか整っていた。


僕は週3回の月水金に、仕事帰りに一時間だけジムで汗を流す。20分のウォーキングと3~4台ばかしマシントレーニングをするので、全然筋肥大を目標にしたトレーニングプログラムではない。僕がジムトレに求めてるのは、持続力強化であり、日々の生活の中で活動するエネルギーをなるだけ維持しようという目的である。


テキトーにポッドキャストでもイヤホンで聴きながらトレーニングをしていると、一時間ぐらいはあっという間に終わる。僕はこの時はポッドキャストの「コテンラジオ」とか「新解釈 珈琲の世界」と言うような番組を聞いており、それなりに満たされた気分でジムから帰ることができるのである。


まぁ、ここ最近は体調不良のためにメンタルが不安定になる時期もあったけど、以前と比べると精神不調から立ち直るのも早くなった。これは筋トレをしっかりと頑張ってるのもそうであるが、SNSをやめてちゃんと読書などから情報収集をするようになったことも大きな要因ではないかと思う。


最近はスマホでもTwitterなどのSNSを見ることが全くなくなった。その代わりに、隙間時間にはkindleで電子書籍を読んだりとか、ポッドキャストやニュースレターから情報収集を行うようになった。


そうすると、随分とメンタルの状況も変わってきたのである。以前の僕と言うのは、他人のどうでもいい噂話ばかりを集めて精神的にもドーパミンを乱高下させるという悪癖があったけど、それが全くなくなってしまった。興味関心がもうちょっと世の中の深い領域のことだったり、自分の内面で起きてる感情の変化を観察することに変わり、刺激的な情報を必要としなくなった。


僕が以前からこのブログやニュースレターで主張し続けてることであるが、今の世の中の人たちというのは「つながりすぎ」である。どうも、24時間いつでも他人と繋がり続けて、他人のどうでもいいゴシップや噂話ばかりをSNSから摂取しているが、その情報の99%ぐらいはあってもなくても人生の大勢には何も関係ない情報である。


僕もSNSを絶ってしまうと世の中のことが全然分からなくなり、取り残される恐怖感というのはあった。しかし、そこんところはRSSリーダーを使っていろんな新聞社やニュースサイトの情報を眺めたりとか、いろんなポッドキャストやニュースレターを読むことで全然補える。むしろ、今の世の中のSNSを流れてる情報は、玉石混交の石の方が多すぎであり、多くの情報に押し流されて却って大局が見えなくなる。


今、世の中の多くの人がSNSで情報を集めてやろうとしてることは、その情報を使って真実を理解して世の中を良くしたりとか、自分の生活を豊かにするためではない。こういう情報を知っているということを周りに自慢して承認欲求を満たすために、脳がパンパンになるぐらいまで大量の情報を詰め込んでいるのだ。


そういう自分でも消化しきれないぐらいの大量の情報を、ちゃんと理解もしないままに他人に共有しようとする。そういう生にえの情報の伝言ゲームが、混沌としたTLを作り出し、社会に混乱をもたらす。人々がアテンションエコノミーでSNSに依存して広告枠が売れる。こういう状況を喜ぶのは、イーロンマスクのようなSNS運用者だけだ。


この状況がいつまで続くのか知らないが、随分とディストピアチックな世の中になってるなーと思うよ。これにAIまで加わってきて人々の考え方をコントロールして世論を動かせるようになると、「1982」のビッグブラザーまであと一歩だ。


僕は冬の海を眺めながら、孤独というのはそれほど悪くないと思うのである。特に、今の世の中のようにスマホに支配されてひっきりなしに人と繋がり続けてる人々を見ていると、そういう面倒な場所から離れることが贅沢な生き方であるなと確信する。

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