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「哲学的な何か、あと科学とか」(飲茶著)を読んだ。

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「哲学的な何か、あと科学とか」(飲茶著)を読んだ。


最近、ちょっと哲学に凝ってるんですよ。前もこのあたりを読んでみた。


www.ituki-yu2.net


で、まぁその流れで科学哲学を扱ってるという「哲学的な何か、あと科学とか」(飲茶著)読んでみた。


哲学的な何か、あと科学とか (二見文庫)

哲学的な何か、あと科学とか (二見文庫)

  • 作者:飲茶
  • 発売日: 2017/04/03
  • メディア: 文庫

飲茶さんは「史上最強の哲学入門」の作者である。兎に角、哲学的な読み物を書かせるとこの人に敵う分かりやすい面白いテキストを書ける人は知らない。読んでみたけど解説を書ける気はしないので、あくまで僕の感想を書こう。


史上最強の哲学入門 (河出文庫)

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

  • 作者:飲茶
  • 発売日: 2015/11/05
  • メディア: 文庫

www.ituki-yu2.net



なんか飲茶さんは別に哲学科を出ているような学者とかそういう人じゃなくて、普通のサラリーマンだったんだけど哲学の面白さに気がついてしまって仕事をやめちゃった人らしい。ネットで活動してたっぽいんだけど、哲学的な読み物をいろんな出版社から出している謎の人である。ホームページはこちら。


noexit.jp


とりあえず、「哲学的な何か、あと科学とか」の読書メモを晒すか。

2重スリット問題に対して解釈方法ではコペンハーゲン解釈と多世界解釈とパイロット波解釈があるがどれが正しいというのは決まっておらず、すべてそういうふうに解釈できるという風な解釈方法でしか語られてない。科学というのはこのように観測できないものについて語れることができない。


カール・ホパーは科学の存在を証明する方法として反証可能性を提言した。反証可能性というのはつまるところいくら検証しても前提条件を満たすことができないという風な無限ループに陥る可能性があり、どこかで諦めてそこで科学であると認めるしかない。つまり科学はその程度の信頼性しかない。


私ですら本当の私がどこにいるかは分からない。私というのものが脳の単なる機能なのかそれはクオリアの存在を科学が証明できないあたりから分かる。自分の考えとしてはゲシュタルトじゃないかと思う。


なんか、方向性としては「理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性」(高橋昌一郎著)と近い本だった。科学では真理は明らかにすることができないというのを丁寧に解説してある本である。どれだけ科学が進歩しようとも、ハイゼンベルクの不確定性原理やゲーデルの不完全性定理などのように、理性の限界とも言える人間の認識の限界地点のようなものは存在する。


科学哲学というのはそういう限界地点を追求したりする学問らしいけど、とてもじゃないけど素人が太刀打ちできるようなジャンルではない。今日、ブクマで科学哲学入門のブックリストを見つけたのだけど、一冊も読破できる気がしない。


sites.google.com


飲茶さんのこの本はクッソ難しい科学哲学を限界ギリギリまで噛み砕いてある。おそらく、これ以上噛み砕くと訳わからん与太話になるギリギリぐらいまでの平易さで面白く読める哲学的な読み物になっている。厳密的な哲学書とは言えないけど、科学哲学に興味を持って入門するならばこの本がベストであろう。


ただ、なんというか僕の感想なんですけど、この本は科学哲学を解説はしてくれるけど、科学哲学が既存の価値感を破壊した後の生き方を示してはくれないんですよ。哲学的ゾンビをドラえもんのどこでもドアで解説してくれるんですけど、「私」というものが否定された後にそれからどう考えれば良いのかみたいな価値感を示してくれないんです。この本の結論では「私というかけがえのない存在など幻想」みたいな感じです。


私という現象を考えるときによく使われる思考実験で沼男(スワンプマン)がある。

ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える[3]。沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。


ja.wikipedia.org


さて、コピーされた沼男は果たして「私」か? 全く同じ分子構造で脳まで再生されてしまうと、考えていた事も全く一緒で、周りの人たちも今までのオリジナルと区別する事ができない。沼男を「私」じゃないと証明しようと思うなら人間の精神は魂が作ってるとかそういうオカルトを引っ張り出してこないといけない。


つまりは、「私」という現象を変えることのできないかけがえのない物だと思ってるのは自分自身だけで、自分以外の人間が「私」を持ってるかもと証明するのは科学では不可能というとんでもない結論が導き出されてしまう。


僕はこれに関しては、「私」って現象は脳だけじゃなくて身体性も含めたゲシュタルトで形作られてるんじゃないかなー?とは思うんだけど。自我は脳だけで作られてるんじゃなくて、身体や生存している環境も含めて連続している様に感じる自己に対する記憶なんじゃないか?とか思うんだけど、どうせ俄仕込みの哲学なんで太刀打ちできるようなもんでもないだろう。


兎に角、こういう科学哲学の面白い話がぎっちりと詰まった本です。興味がある人は読んでもいいでしょう。


哲学的な何か、あと科学とか (二見文庫)

哲学的な何か、あと科学とか (二見文庫)

  • 作者:飲茶
  • 発売日: 2017/04/03
  • メディア: 文庫

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