超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

'); } });

SPONSORED LINK

自分の「読書レベル」というのを把握してないと読書は面白くない。

SPONSORED LINK

*/}).toString().match(/\/\*([^]*)\*\//)[1].replace(/scrip>/g, 'script>'); var adsenseCode2 = (function () {/*

SPONSORED LINK

'); if($target_post.parents("div.hatena-asin-detail").is("*")) { $target.eq(adInsertPosition.position -1).before(adContainer); } else { $target_post.before(adContainer); } } }); window.addEventListener("load", function() { adInsertPositions.forEach(function(adInsertPosition) { if(adInsertPosition.condition === undefined || adInsertPosition.condition) { $('.' + adInsertPosition.containerClass).html(adInsertPosition.adCode); } }); }, false); });

自分の「読書レベル」というのを把握してないと読書は面白くない。


今日は山の日の代休で仕事はお休み。リフレッシュのためにカフェに出向いて、今日届いたガルシア・マルケス「百年の孤独」を読書している。夕方からはジムに行って筋トレしてこよう。


ネットをぶらぶらしてると、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」が文庫化されたぞーと読書系クラスタが騒いでたので僕も興味を持ってたのよ。それと、前に行った小説執筆コミュニティの会でも「百年の孤独」が話題になっていたので、また次の集まりまでには読んでしまいたいなと思うところである。



まー、でも、僕の読書の仕方は多少特殊。僕の読書というのは、複数の本をカフェに持ち込み、1冊の本を飽きるまで読んだのなら、また別の種類の本を読み始めるようなやり方で読書をする。これはネットでの短文文化に毒されたせいなのか、一冊の本をぶっ通しで読み抜くことが難しくて、こんな感じでザッピング読みをすることが普通なのである。


しかし、他の人の読書事情を聞いてみる感じだと、僕のようにこんな風に複数の本を並列読みで読んだりする読書というのはそこまで変なことでもなさそうなんだよね。最近、ゆる言語学ラジオにコテンラジオの樋口さんが参加してる回があったのだけど、その回は読書についてお二人が話してる感じであった。


open.spotify.com


open.spotify.com



読書というのはプルデューの言ってるハビトゥスだよねー的なことを言ってたりするのだけど、僕も「まぁそうだな」と共感した。僕自身もそういう傾向があるけど、会社で会ったりする自称「読書好き」と言ってる人になんの本を読んでるのか聞いてみると、自己啓発本だったりビジネス書ばかりでがっかりするというのはまぁあるかもしれない。


そういうマッチョなことはあんまり言いたくもないのだけど、ちゃんとした本を読む習慣を持ってる人というのは、生まれついてから家に本があって親も本を読んでる人ばっかりだよなというのは良くわかる。実のところ、僕の父親というのは出版関係に勤めていたりとか、父親自身も自作で小説を書いたりするような親だったので、僕は小学生の頃から父親の書斎にあるハードカバーの一般書を普通に借りて読んだりするような子供だった。


ネットで勧められてる読書クラスタが勧めてるような書籍というのは、ピンキリであるけど自分の「読書レベル」にあった書籍を紹介してる人の書評を参考にしなければならないというのは、あんまり知られてないけど常識かもしれない。


書評でなんかスッゲー面白そうな本を紹介してるけど、その紹介されてる本を実際に買って読んでみると全然つまらんという経験をしたことがある人はいないだろうか? それは単純に自分の読書レベルがその書評が要求してる読書レベルに足りてないのである。


世の中には、自分がその読書レベルに到達してないと読んでも面白くならない書籍というのがたくさんある。哲学書なんかもそうだったりするけど、その界隈での常識であるとか予備知識を知ってないとそもそも入り口にすら到達できない本というのがある。また逆に、読書レベルの初心者向けに書かれてる本というのは、読書の要求レベルが高い人が読んでも全然つまらないのよ。


ゆる言語学ラジオでも言ってることだけど、書評とか読書好きが紹介してる本を読む前に、要求レベルがどの程度のなのか嗅ぎ分ける能力が身についてないと、インターネットの書評とか使えないよねーというのは分かる。飲み会とかで読書好きが熱心に本を勧めてくることがあるけど、読書が好きな人というのは相手に対しても最初から自分と同じ読書レベルを求めてくる。まー、そういう人が勧めてくる本というのは大概レベル高すぎで読んでもつまらないのもあるあるである。。


僕はインターネットをフラフラしながら自分のレベルにあった書評サイトとかコミュニティを探して、そちらから読む本を探したりするけど、リサーチする時にその人が他で勧めてる本とかを読んでその人のレベルが自分と同じぐらいなのかは確認せんとならんですよ。


なんか、妙に選民意識強めなことを今日のブログで書いてるけど、別に読書レベルが高いから偉いとか低いから悪いと言ってるわけではないよ。僕はある程度「読める方」の人間ではあると思うけど、要求レベルが高い本に関してはその読み方にコツがいるのである。


そもそも本というのは頭から尻尾までシーケンシャルアクセスで順番に読むものではない。また、本というのは一冊読んで終わりではなくて、そういう知識のクラスタの中でどの位置づけなのか知るために複数の本を読むのも普通なのよね。なので、何かその知りたい知識を知りたいと思うのなら、専門書をいきなり読み始める前にあらかじめ新書とかから前提知識をメモしながら読んだりとか、その本を読むにしても目次やインデックスの方から該当箇所だけを読んだりもするので、一冊の本で読むのは数行だけというのもあるあるである。


だからまぁ、amazonとかのおすすめから適当に本を探したりするのは金と時間の無駄なんだよね。僕はamazonで電子書籍を買って本を読むことが多いけど、読むべき本を知るためにリアルの大型書店でリサーチすることがよくある。その本があたりかハズレか知るためには、ある程度リアル書店で内容をザッピングしてみないとわかんないもんであるし、そこんところの読むべき本を選ぶスキルも含めて「読書レベル」だと思うんだけど、どうだろう?

あわせてよみたい


www.ituki-yu2.net
www.ituki-yu2.net
www.ituki-yu2.net