超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

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カウンセリングとかそういう人生相談できるサービスを探してる。

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カウンセリングとかそういう人生相談できるサービスを探してる。


むぅ、なんかこの頃、人生に閉塞感を感じて駄目だよな。いや、決してメンタルの調子が悪いって訳じゃないんですけど、なんか、人生うまく行かないなーって一人でぼやいてるみたいなもんです。


なんかさ、自分は人生ってのは忍耐するものとか我慢するものって発想が強すぎるみたいなんだよね。元々、そういう我慢して我慢して努力し続けて成功するみたいな偉人の話を好んで集めすぎてるし、自分の成功体験というのも、石の上で3年とかそういうことわざ通りみたいな感じでうまく行ったりとかしてるもんだから、それ以外の発想が浮かんでこない。


好きな言葉も徳川家康の遺訓の「人生とは重き荷を背負い長き坂を登るが如し。急ぐべからず。」みたいな感じだったりする。電通の「鬼十則」とか山本五十六の「男の修行」も好きな言葉だ。精神構造が少々マゾめに出来てるようなのである。自分を修行で追い込んで、鍛え抜くことに対して強い憧れみたいなものがあったりする。


しかし、その結果がブラック企業で使い潰されて、鬱で本気で死にかけて社会からのドロップアウトだったりするのでお話にならない。そういう公正世界仮説みたいなものを信じてきて、社会に裏切られてまでも未だにまだ我慢しようとするので、この人マジモンのアホじゃないかなと思う。


自分一人で我慢し続けるとかそういうのであれば別に自分が苦しいだけだからどうでもいいんだけど、結婚して嫁さんが居るんだけど嫁さんにまで忍耐を強いるのは、流石に人としてどうだろうみたいな気もする。嫁さんもわりかし自分を抑えて我慢する傾向が強いもんだから、二人して自己抑圧的なストレス溜め込んだ上ですれ違ったりもするもんだから本気で対策を考えないといけないだろう。


それでまぁ、最近、認知行動療法とかを研究してたりもするんだけど、自分の認知構造の働きを改造してストレスに「耐える」方法を研究しているという辺りが、元々の発想が抑圧的すぎてそもそも駄目なんじゃないかって自分の認識のフレームを疑ってるんだよね。いや、認知行動療法とかは確かにちゃんと理論を知った上で、認知のゆがみとかを矯正したら生きやすくなると思うんだけど、そういう認知行動療法を勉強しようというモチベーション自体が「〇〇しなければならない」という、べきねば思想の発想のもとでやってる事なんでどーなんだろと思う。


物事を定量的に計測したりとか、その出来事が発生するアルゴリズムを理解したりするみたいな、論理的思考は得意な方だと思ってるけど、一旦そのフレームにハマってしまうと枠外からの発想を想像できなくなるというのは、僕の悪い癖である。本来ならばこういう思考のフレームを外すためには、誰か信用できる人を相手にして適当に壁打ちでもしてみるというのが新たなアイディアを生み出して解決する方法だったりするけど、僕は非社交的な人間なのでそもそも壁打ち出来るようなまともな友人が居ない。なのでメモ帳に文章を書いて一人で問題解決しようという方法ばかりを集めてしまうのである。


嫁さんとこういう壁打ちとかやってみてはどうか?とも思ったけど、僕はカウンセリングの勉強とかもしてきたけど、家族と自由な発想で何でもかんでも話してしまうようなカウンセリングのような事をやってしまうと、たいてい感情が絡んで関係がこじれるので駄目だというのは、教科書にも載ってるような基本的なことだ。嫁さんのことはとっても信頼してるけど、必ずしもなんでもかんでもあけすけに話してしまうのが良い夫婦の関係という訳でもないかなーと思うのよね。


だから、しゃーねーから最近の我が家の問題とかを解決するために適当に主治医にでも相談してみて、なにか新しいアイディアでももらえないかなーとか思ってたんだけど、最近はコロナ禍だから電話診療でまともに話も出来ない。まじでどうすっかな? 沖縄でも大学で臨床心理士とカウンセリングできるサービスがあるので、金だしてカウンセラーと人生相談でもしてみようかなという機運が最近高まっている。これは夫婦でカウンセリングも出来るようなのだが、嫁さんが帰ってくる前に僕一人で行ってきて、最近の悩み事とかを話して思考を整理してこようかな?と思うんだけど、どうせこのコロナ禍でこの手のサービスは全部閉鎖中だろうなーと思う。電話して状況だけは聞いてみるか。


僕がこうやってブログで毎日その日あったよしなし事をブログに書いてしまうことだって、カウンセリングみたいな効果はあると思うんだけど、やっぱり一人で思考し続けて見えてくる考察というのは限られた分かりきった発想ばかりだ。予想外の思い付きを引っ張り出すメモ術というのもいくつか知ってはいる。マインドマップとかマンダラートとか予想外のアイディアをひねり出す方法は分かっているけど、どうもそういうので見つかる発想というのも「閉じて」いて自己完結しちゃってるんだよね。


どうも、書いている事を読み返してみると、書いている内容自体がなんか閉塞的で煮詰まってるなーというのが分かる。うん、煮詰まってるんですよ。いつも発想がワンパターンだし、なんか打開策を求めて専門家のアイディアとかもらえないかなとか考えちゃってるんですね。どうも話を聞いてくれるカウンセラーとか専門家の情報でも集めてみて、近日中に相談を実行に移してみたい。

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