超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

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「ブッダが教える愉快な生き方」(藤田一照著)を読んだ。

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「ブッダが教える愉快な生き方」(藤田一照著)を読んだ。


本を色々と読んでいる。前も何度か書いているけど、最近は仕事の合間の休憩時間はkindleで本を読むようにしている。この習慣は仕事をサボらなくなるし、色々と読書もできるしで一石二鳥だ。


最近読んでいる本は、「ブッダが教える愉快な生き方」(藤田一照著)である。



「ブッダが教える愉快な生き方」の方は今日で読了した。NHK出版のこのシリーズは短く要点がまとめられていて、それで気になった場合に詳細に調べるための参考文献も充実していて良いですね。今回、この本を読んで、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉も新しく知って興味を持った。この概念についても心理学者が書籍を書いてるらしいので購入して読んでみよう。


禅宗・瞑想関係は最近、もっとも興味を持ってるジャンルだよね。図書館も使ってそれ系のジャンルの本をガンガン読みまくってる。この「ブッダが教える愉快な生き方」に関しても、仏教関係の知識をちょっと取り入れてみたいなと思っていて、それで入門書を探して見つけた感じであった。


感想としては、禅宗というのは思っていたよりガチンコで修行に挑む。いや、僕が禅宗に興味を持ち始めたのは「反応しない練習」の草薙龍瞬氏からであったからちょっと面食らったのね。草薙氏は日常生活にちょっとした修行を取り入れようみたいな感じで、禅宗に対する印象というのはそっちから入った感じだったのよ。


この「ブッダが教える愉快な生き方」の作者の藤田一照氏は、東京大学大学院の発達心理学の博士課程に在籍しているときに、実存的な悩みから座禅に興味を持ち、そのまま出家して曹洞宗の禅寺で修行し始めちゃったという風な経歴の人である。なんか俗世の人間の見方からするとすごくもったいない。


いや、僕がマインドフルネス瞑想とかの個人研究で、認知行動療法のACT(アクセプタンス&コミットメントセラピー)とかマインドフルネス認知療法からのアプローチをしようとしているのは、こういう危険性を避けるためだ。僕が本気で仏教とか禅を個人研究し始めると、下手するとマジで出家とかしちゃいかねないのである。バカジャネーノと思うかもしれないけど、僕が物事にガチ目に集中し始めるとそういうこともしてしまう事がまれによくある。


僕は思い悩んでいる高校生の時に、哲学書や心理学の本を読み漁って、そのときにカール・グスタフ・ユングや河合隼雄氏の著作に感動してしまって、そのまま大学は心理学科を専攻してしまった。しかし、大学在学中にインターネットと2chにはまり込んで、そのなかで野良のプログラマの人たちがカッコいいと思いPerlやPHPを独学し始めてしまって、卒論はホームページのユーザインタフェースを自作したCGIで統計をとって執筆してしまった。大したこと無いFランの大学だったので、心理学科を卒業しても福祉施設のヘルパーぐらいしか働き口がなかったので、そのままwebプログラマへ道を突っ走ったのである。


元々、人間の心理とか思想とかそういうものに深い興味をもっており、そういう意味では禅宗の人間の捉え方はすごく興味深い。ブッダという人は元々、神仏ひっぱりだしてありがたい教えで宗教みたいなものを作りたかったのではなく、ひたすら人生の中で避けられない生老病死という苦しみをどうやったら乗り越えられるのか研究していたのよ。で、ブッダはその人生楽に生きる思考に至る修行方法の教え方が天才的に上手だったもんだから、周りに人がたくさん集まっちゃってすごい人として信仰されちゃったのである。


僕は仏教に関してはそれぐらいの認識程度でオッケー。それ以上踏み込んじゃうと戻ってこれないぐらいまではまり込んでしまう。凝り性だからマジで禅寺行って座禅組むとか言い始めてしまうぞ。なんか、今の段階でちょっとその考えが魅力的に思えてきてしまってるので、これ以上は進んじゃ駄目。仏教ったって、穏健なところからオウム真理教みたいなやつまで振り幅でかすぎるので、僕は宗教に人生託そうとは思わんのである。


なんか、禅宗の人の本を二人も読んでみて思ったんだけど、ほんとこの人達って人を説得するような話し方とか文章の書き方が上手なんだな。出家とかしている僧侶って、もともと実存的な悩みを考え抜いた上でなんとか仏教で解決方法を見つけてそれを言語化して伝えようとしているので、たとえ話とか論理的な説明がものすごく上手い。理論で合理的に正しい考え方をわかりやすく教えてくれる。

禅の修行道場では、自分自身の実存的な問題を引っさげて、毎日座禅をし、規律正しい日常生活を送ります。つまり、生きることすべてから学ぶのです。法門(真理への入り口)はどこにでも開いているからです。
繰り返しますが、ブッダは経典を学んだのではなく、ただ生きることを学びとしました。そのブッダの生き方に倣おうというのが、禅の、そして仏教本来の立場だと私は理解しています。経典はあくまでもそのための参考書なのです。

藤田一照 ブッダが教える愉快な生き方 NHK出版


こういう考え方ってすごく好きで魅力的に感じてしまう。只管打坐の生活の中でひたすら真理を探求する生活とかに憧れをもっちゃってるのである。やばいやばい。向こう側に渡っちゃう前に他のものに興味を移さんとならんな。知的生産を極めて学究生活みたいなのも好きな生き方なので、そっち方面に興味を切り替えよう。


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