超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

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鬼滅の刃から物語創作なんやかんやを考える。

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鬼滅の刃から物語創作なんやかんやを考える。


さてさて、在宅勤務が終わって嫁さんと泡盛を飲んでる。リアルで嫁さんと飲むと、嫁さんのテンションの高さがマックスでヤベェとなるのである。今日は二人で「天体戦士サンレッド」を観ていた。ああいうスキマ時間で短く観れて笑える作品は良いね。最近、アニメの鑑賞能力が非常に落ち込んでいるのを感じている。一応、「鬼滅の刃」は全部見たんですよ。でも言うほど面白いか?みたいな感想なんですね。


鬼滅の刃はメッチャ流行ってるらしくて今どきの小学生は「全集中 〇〇の呼吸!」とかなんちゃらやっちゃうらしき噂は聞いている。僕らん時の「ブラッティスクライド」とか「アバンストラッシュ」やら「牙突」的なポジションらしいんですよ。前述したように一応全部見たんですけど、「ジャンプの漫画やな」ぐらいの感想なんです。酷評するほどつまらない訳じゃないけど、別にもう一回みたいか?と問われるともういいやって感じ。でも、オープニングとエンディングの曲は良かった。たまにSpotifyで聞く。


一応、我妻善逸の居合抜きのシーンが描写が細かくてすごかったなーとかそれは思った。噂によると漫画はそれほど絵がうまい訳じゃないけどアニメの作画とかは気合が入っていて、アニメによって人気が出た作品というのは伺っている。なんとなく展開は王道だなーと感じた。竈門炭治郎くんが徹底的な修行によって妹の禰豆子を人間に戻すためにいろんな鬼をやっつけるみたいな、主人公が努力によってどんどん新しい能力を手に入れていく展開。ジャンプ漫画の努力友情勝利の典型的パターンじゃなかろうか?と思った。


僕は一応ジャンプっ子なんですよ。小中高ぐらいまでの思春期は一応ジャンプを買って読んでいた人生を送ってるんです。嫁さんはマガジン派なんですね。僕んときは本当にジャンプ黄金時代でDRAGON BALLとかスラムダンクがやってる頃にジャンプを購読してましたね。僕は後期のるろうに剣心とか封神演義が好きでしたけど。その頃は漫画を書き写したりして将来の夢は漫画家でしたね。その頃の残り香みたいな感じでいまもたまにデジタルイラストを描いたりするんですけどね。


ジャンプ的な王道ってどうだろう? 僕はそこまで王道にズンドコはまり込むというキャラクターではない。自分で創作している作品でも、王道から微妙にラインを外して細かな小ネタで遊んで、なおかつ結末に至る全体的なルートでは典型例をなぞる、というのをよくやる。でも、DRAGON BALLとか僕らの世代はリアルタイムでフリーザ戦の超引き伸ばし展開を観てましたからね。あれに慣らされてるとハルヒ二期のエンドレスエイトとかには耐性がつきますよ。


で、鬼滅の刃なんですけど、「ジャンプ漫画だなー」ぐらいの感想で、最近また別口で流行ってる「僕のヒーローアカデミア」も似たような展開だと聞いているんです。ジャンプはそういう作品を生み出す遺伝子みたいのがあるんだろうなーと思うんですね。でもって、それをメタ的に揶揄したりする銀魂みたいな作品が生まれるのでしょう。


この文章をどのルートでまとめ上げるのか?というのが全くのノープランなんですけど、「王道とはなんぞや?」みたいな流れで行ってみましょうか。


まぁ僕は創作もやるのですけど、物語の創作のやり方が構造主義で徹底的にプロットを組み上げた上でキャラクターを遊ばせるみたいな方法をとるのですよ。作品の枠組みで使ってるのは古典や民話で使われているナラティブストーリーの枠組みを使った上でプロットを決めて、それから肉付けをやるというやり方をよくやります。


こういう一定の構造主義で作る物語というのは「深くておいしい」ストーリーを簡単に作りやすいという利点があります。大体の物語の構造を知っていれば、キャラクターのパターンなどを変えるだけでウケる作品を大量生産できるという利点があります。僕はこれを「ブルーカラーの創作技法」と呼んでますけど、ペーパーバック小説とか週刊連載みたいな大量の消費される媒体で書く作品ではこういう王道に則った物語が受けます。ジャンプのパターンだったらそれが努力友情勝利だったりしたのでしょう。


だけど、自分で実際に創作をやってみて気づいた事もありまして、こういう構造主義に則って作った作品というのは、一定の深さまではたどり着けるけど、そこから更に深い深度の領域まではたどり着けないもんなんですよ。僕がここで更に深い深度と言ってるのは、誰かの人生を変えるぐらいにコミットメントしてしまうような、個人的な無意識に徹底的に刺さるような作品なんですけど、万人受けするフレームワークに沿って小綺麗に作ろうとした作品ではそちら側までたどり着くというのは難しい気がする。


こりゃ、僕自身どうなんだろう?と思うことなんですよ。万人受けする上で更に個人的なニッチな個人それぞれの課題まで解決してしまうような作品ような天才もいる所には居るんじゃないか?って気もしますけど、例えば誰だ?と問われると思い付かんのですよ。そういうのはシェイクスピアとかドストエフスキーとか夏目漱石とかその文豪の領域じゃないかと思うんですけど、僕もそういうの書いてみたいなみたいな大きすぎる野望はなくもない。

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