超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

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アイデンティティと他者性。

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自分らしく生きるためにやめるべきこと、はじめること | ライフハッカー[日本版]


上記で挙げた記事の趣旨は、他人の目を気にして生きてどうするの? みたいな感じですが、割と感じ入る所が有ったので取り上げてみよう。


書いてる内容全てに同意ではないけど、自分を持って堂々と生きる事は理想の生き方一つだなと思うのです。自分も含めて日本人は他人の目を気にし過ぎる。平均的に生きる事が美徳だと、社会的に教えこまれているのでは無いかと思うのです。


異端であることを異常に恐れるというか、それが自分の在り方であると肯定することが出来ない人が多すぎる。
服装や行動もろもろを他人の承認が無いとしてはいけない事と考えているのかな? 自分が本当にやりたい事は他人から評価を受けることなんだろうか? 他人から評価されないと生きてる意味が無い?


自分が本当にやりたい事は他人と共有出来る事のほうが稀ですよね。
例えば本を出版するという夢があったとしたら、出版に結びつけるまでにはいろんな人の協力が必要かもしれないけど、孤独に耐えて執筆を続けるのは自分自身だ。
クリエイティブな事をするには自分自身のエゴを徹底的に吐き出さないといけない時もある。そこに妥協を許してはいけないだろう。


冒頭で挙げた記事では自分を取り戻す為にブログを書くことやその他色々を推奨しているけど、それは些細な事ではないかなと。でも、記録を付ける事は必要だと思う。


日記を付けましょう。外部に公開する必要は無いです。ローカルにフォルダを一つ作って、メモ帳で今日一日有ったことと思ったことを書き綴りましょう。
そうやって記録を付けていたら自分の考え方の傾向やどういったことにフォーカスを当てているのか見えてくるはずです。
その目的以外でも日記を付ける事は、日々を丁寧に生きる事に繋がると思うのです。
自分の感じた事や考えた事を一日の終わりに思い出して、記録に付ける事が他者の目から離れて、アイデンティティを育てる事だと思うのです。


他人の評価を気にして自分を曲げるのは下らない事だ。そもそも自分を持ってない人が本当のコミュニケーションを行えるのだろうか。


一つ注意しておきたいことは、自分は辛口だからといって他人の事を常に攻めている人が正しいと言うわけではないです。ただ悪口を言いたいだけの人です。それは。
本当に自分を持っている人は、他人のことも慮る事が出来る人です。自分がされて嫌なことは他人にしない。これがコミュニケーションの基本です。


君は君、我は我なり。 されど仲よき(武者小路実篤)


以上。


嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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