10月末、米大統領選投票日の1週間前に人気ポッドキャスターのジョー・ローガンの番組に出た次期米副大統領J・D・バンスが面白いことを言った。ドナルド・トランプ第2期政権が何を考えているかがよく分かる内容なので紹介したい。
バンスはトランプ政権の特徴は反エスタブリッシュメント(支配層)であり、米国の庶民を犠牲にして儲けてきた支配層の3つの政策を変える、と言う。3つとは自由貿易、移民受け入れ、戦争を簡単に始める外交・安全保障である。
自由貿易については、米国の左右両派の世論がそれを徹底的に嫌う今の風潮から分かる。トランプはメキシコや中国、さらには日本にも高関税をかけるという。移民対策はトランプ再選に寄与した主張の一丁目一番地だから、不法移民の強制出国は何としてもやり遂げるだろうし、受け入れ制限も当然であろう。
自らも従軍したイラク戦争を否定
外交・安全保障政策は日本にも影響がある。バンスによると、米国は階級格差の国になってしまったが、支配層はリベラル国際秩序の美名の下で大儲けをしており、大衆はその犠牲になっている。具体例が戦争だ。
バンスはイラク戦争(2003年3月から)を米国史上最も愚かな戦争と呼ぶ。戦争、内戦、その後の「イスラム国(IS)」の跳梁などで数千人の米兵と数百万人のアラブ人が死亡、中東は荒廃し、しかも米国の天敵イランの伸張を許した。
その戦争はディック・チェイニー副大統領(当時)をはじめ軍需産業や石油産業に利権を持つ支配層の利益のために始まった、と言う。米国の国益や国際秩序を守るといった抽象的な表現の下で、膨大な数の米国人大衆を無駄死にさせる支配層から外交・安全保障政策を取り戻す、と語っている。
バンスは海兵隊員としてイラクに半年間派遣された。だが、戦争を始めた大統領のジョージ・ブッシュも開戦論を唱えたチェイニーもドナルド・ラムズフェルド(当時の国防長官)も戦地で戦ったことがない。民主党のビルとヒラリー・クリントン、バラク・オバマも同じであり、米国では戦場を知らない支配層によって簡単に戦争が始まると嘆いている。外交は平和の実現のためであるべきだ、という持論だ。
これをまさに正しいと見るか、内向き米国の不吉なサインと見るかは分かれるところだ。ただ支配層の思慮のない、利己的な狙いでイラク戦争が始まったという見立ては米国民の多くが共有している。この戦争とリーマン・ショックが米国の衰える引き金となったとの認識は正しい。
バンスは米国大衆の思いを見事に代弁し、トランプ政権の政策をトランプ以上に雄弁に語る。副大統領と言えば、一般に存在感は薄いが、バンスは違う。4年後のトランプ退任時には、米国のかじ取りを引き継ぐだろうとの憶測も強まっている。
一方で「ハイチ人移民はペットの犬や猫を盗んで食べる」、といった差別的な発言でもバンスは有名だ。4年前にはトランプを「アメリカのヒトラー」と呼んだのに、180度態度を変えた。自伝『ヒルビリー・エレジー』が描く哀しみ、極端な政策志向など暗いイメージも与える。40歳という歴代3位の若い副大統領だが、最近の副大統領候補の中では最も嫌われているという世論調査も出た。
さてバンスとは何者なのか。
祖母は貧困層を助ける民主党を支持
ヒルビリーと呼ばれるアパラチア山脈沿いの貧困地域や薬物中毒で苦しんだ母親との難しい関係、喧嘩の作法を教えてくれた偉大な祖母の存在など、バンスの幼青年期の様子は自伝に譲るとして、ここではエール大学法科大学院を卒業したエリートとしてのバンスの心の巡歴を取り上げたい。
バンスは「変節」がしばしば語られる。実の父親がバンスの幼少期に家を出た後、母親が結婚・離婚を繰り返したこともあり、姓を何度か変えた。バンスが政界入りを意識した2020年ごろから髭を生やしたことと併せて、とらえどころのなさを物語るエピソードだ。政治意識の薄い青年時代から歳とともに保守色を強めた。
だが、良く見ると、それはバンスが変わったと言うよりも、米国のリベラルと保守が変わり、その中でバンスが自分の信条を見つけ出し、それが今の米国全体の保守の主流でもあったと考えるべきだろう。
バンスの信条の変化は社会経済認識に顕著だ。バンスに最も大きな影響を与えた祖母は一貫して民主党支持者だった。大恐慌時代のフランクリン・ルーズベルト政権以来、労働者、貧困層を助ける民主党である。バンスもエール大学法科大学院のリベラルで多様なエリート・カルチャーに身を置くことになる。そこで出会った妻のウシャはインドからの移民の娘で民主党員だった。
バンスは自伝にもある、中西部ラストベルトの「忘れられた人々」、貧困層をいかに救うかに関心を持ち続けた。家族への忠誠など保守的な価値観には子供のころから親近感を抱いたが、当時の米国の政治地図から見れば、共和党は大企業政党であり、貧困層の味方と言えば民主党だった。バンスは同じオハイオ州出身の民主党リベラル派上院議員シェロッド・ブラウンを高く評価もした。2016年の大統領選では一時はヒラリー・クリントンへの投票を考えたとも報じられている。
同時に身近で見た貧困層が政府の福祉プログラムに依存し怠惰になったことも指摘している。つまり「彼らの問題は一生懸命働かないだけだ」という自己責任論であり、心情の揺れがある。
バンスは製造業の国外流出などグローバリズムが中産階級の衰退の大きな原因であると気づく。民主党はグローバル・エリートを代弁する党になった。クリントン時代の1994年に発効した北米自由貿易協定(NAFTA)こそが製造業をメキシコや中国に移した元凶だった。反自由貿易に象徴されるバンスの経済ポピュリズムの心情は、ウォールストリートやIT業界と結びつくグローバリストの民主党とは相いれなくなった。
2016年から、電子決済サービス「ペイパル」を創設したピーター・ティールのつくったカリフォルニアのベンチャー・キャピタル企業で働きだし、リベラルなエリート社会に背を向け保守思想の洗礼を受ける。『ヒルビリー・エレジー』が出版されたのもこの年だ。
労働者のための保守
ラストベルト救済を願うバンスは、共和党を労働者のための党へ改革したいと唱える改革派保守陣営に接近した。骨格となるのは反グローバリズムや格差是正を強固に唱える経済ポピュリズム、過激な多様主義への反対、外交での孤立主義、国境管理である。これらは伝統的な共和党が受け入れられるものではないのだが、リーマン・ショック、イラク戦争の失敗、リベラルサイドの過度な文化戦争が米国を分断するに当たって、バンスたちの描く新しい共和党像は支持を増やしていった。共和党が金持ち政党から労働者の政党へ、少なくともそのイメージの生まれ変わりだ。トランプはそうした潮流に乗って最初の当選を果たした。
バンスとトランプを結びつけたのはティールだと言う。
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