【経済学者・岩井克人氏に聞く】トランプ政権誕生と生成AIの衝撃――2025年、日本の針路は?(前編)

執筆者:フォーサイト編集部 2025年1月1日
岩井克人氏は2023年に文化勲章を受章。2024年9月には集大成的なエッセイ集『資本主義の中で生きるということ』(筑摩書房)を刊行した(写真は本人提供)

 2025年1月20日にトランプ政権が再び始動する。日本は、世界は、この先どうなっていくのか?

 新年の始まりに、日本を代表する経済学者・岩井克人氏のインタビューを掲載します。

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アメリカと中国のディストピアに呑み込まれてはいけない

――アメリカでは再びトランプ政権が誕生します。

 大統領選が本格化する前、『文藝春秋』2024年6月号に、「2つのディストピア 米中に吞み込まれるな」というインタビュー記事を載せました。その中で私が述べたのは、アメリカと中国、それぞれの社会が発展する過程において、なぜ現在のようなディストピアとなったのか、ということです。そして、デフレという暗雲が消え去ろうとしている今こそ、日本には、資本主義の多様性を示すための「世界史的な使命」があると論じました。

アメリカと世界を理解するための2冊

――アメリカの現状をどうご覧になっていますか?

 アメリカおよび世界の状況を理解する上で重要な本が昨年、2冊刊行されました。

 1冊は、7月にアメリカで刊行されてベストセラーになった『Autocracy, Inc.』です。著者はアン・アップルバウムという著名な女性ジャーナリストで、「Autocracy, Inc.」という言葉にはさまざまな解釈がありえますが、「強権主義連盟」といった意味です。

 現在、世界ではロシア、中国、ハンガリー、北朝鮮、イラン、そしてベネズエラといった、一種の強権国家が台頭しているが、かつてのような資本主義vs.社会主義という構図ではない、と彼女は言います。

 ロシアはプーチンの独裁であり、中国は社会主義から改革開放を経て監視社会に至った。イランは神権国家であり、ベネズエラは社会主義国家が腐敗して強権国家になった。つまり、それぞれの国は別々の道を歩んで強権主義にたどりついた。その意味ではイデオロギー的にはバラバラだが、強権主義的な支配を維持するため、反西洋文明、反米国覇権主義を一致点として、お互いに連携を取り合っている、というのです。実際、ウクライナ戦争において、ロシアにイランはドローンを供与し、北朝鮮は1万人以上を派兵し、中国は隠れて支援を行い、ハンガリーはNATO(北大西洋条約機構)の中でウクライナ支援を妨害しています。

トランプ政権が「強権主義サークル」に入る危険性

 では、アメリカはどうか。もちろん、アメリカは生粋の資本主義国です。国民医療保険を社会主義だとして拒否する国であるのです。だが、皮肉なことに、自由放任主義的資本主義を徹底した結果、激しい不平等を生み、それが社会の分断を招き、南北戦争のような状態になっています。その中で、不満を抱いている人たちの支持をトランプが集めて当選し、次に落選し、四年間の混乱の後、再選されました。

 トランプの思想とは、基本的に、議会政治、法の支配、表現の自由などの近代的民主主義の基本理念の否定です。それらをリベラルなエリートの言葉遊びにすぎないと切り捨てて、非エリート層の喝采をうける。彼の部屋には金正恩と握手している写真が飾られ、ハンガリーのオルバン首相を「偉大な指導者だ」と語り、プーチンと仲が良い。今回のトランプ政権下でアメリカは、部分的にあの強権主義連盟の中に入ってしまう、という恐れすらあるのです。

ボーイングはなぜ悲劇を起こしたのか?

 もう1冊は12月に日本で出た『ボーイング 強欲の代償――連続墜落事故の闇を追う』という本です。

 朝日新聞経済部の江渕崇さんという記者が、2018年にインドネシアで、2019年にはエチオピアで起きた、ボーイングの新鋭機「737MAX」の連続墜落事故の原因を追究していくノンフィクションです。

 技術の高さを誇るエンジニアリング企業だったボーイングが、株主のための「キャッシュ製造機」となってしまった。最も大切な乗客の安全よりも、配当や自社株買いという形での株主還元を重視するようになった。その原因を突き詰めていくと、ジャック・ウェルチの遺伝子があり、その背景にはミルトン・フリードマンの思想がある……という形で、アメリカの資本主義の系譜をたどっていくのですが、その過程がたいへん見事に描かれている。その上で、最も根源的な部分が描かれています。

ミルトン・フリードマンの理論は完全なる誤謬

――根源的な部分とは?

 それは、ミルトン・フリードマンの理論を起源とする株主主権論、経営者代理人論、利潤最大化論、つまり「企業の唯一の目的は利潤を追求することだ」という考え方が完全な誤りである、ということです。

 なぜフリードマンの理論が完全な誤謬であるのか。その理由については、私自身『会社はこれからどうなるのか』をはじめ、さまざまなところで繰り返し述べてきました。

 私の理論を大雑把に言うと、会社とは「法人」であることによって、2階建て構造をしているということです。法人とは法律で「ヒト」として扱われる「モノ」のことです。2階建て構造の2階では会社が「モノ」として株主に所有され、1階では「ヒト」として資産を所有し、契約を結び、商品を作り、イノベーションを起こしたりしているわけです。

 にもかかわらず、フリードマンは会社が法人であることを無視し、2階の「モノ」としての側面だけで会社をとらえようとした。その結果、会社の主権者は株主であり、株主様の経済的利益を追求することが会社の唯一の目的である、などと主張することになったわけです。

 しかし、「ヒト」としての側面に目を向ければ、株式会社というものは、――もちろん、事業を継続するための最低限の利潤は必要ですが――利潤以外にも、さまざまな目的を持つことができる。いや、そういった多様性を持てることこそ、会社という制度の最大の強みであるのです。

 ところが、世界はフリードマンが提唱した誤った株主主権論に覆い尽くされてしまっています。数学で喩(たと)えると、出発点となる公理が矛盾していれば、荒唐無稽な定理でも証明が成立してしまうわけですが、同様の事態がまさに資本主義の中で起きているのです。

「一周遅れ」でアメリカを追う日本

 話をボーイングに戻せば、その誤った公理の果てに、346人の命が失われる悲劇が起きました。少し極端な言い方をすれば、悲劇の真犯人は株主資本主義である、ということがこの本では描かれています。

 もうひとつ、大切なポイントをつけ加えるなら、日本が「失われた30年」の中で、「株の国」アメリカを一周遅れで追ってしまっている、ということです。

 ボーイングの悲劇は、株主資本主義が招いた最悪の事例のひとつです。にもかかわらず、現在の日本の会社法は、グローバルで見て最も株主寄りの条文を採用するようになっている。

 この本は、株主資本主義の問題点を多数の命の犠牲という衝撃的な姿で提示したことに意味があり、日本が同じ道をたどることの是非について、もう一度、考え直すきっかけを与えてくれるのです。ジャーナリズムとしても第一級の読み物であり、私自身、非常に勉強になりましたし、これからの世界と日本のあり方を考える上で欠かせない一冊です。

「自由放任主義」がアメリカの民主主義を壊した

――アメリカの現状から私たちが学べることは何でしょうか?

 『Autocracy, Inc.』的な強権主義国家化にしても、『ボーイング 強欲の代償』の株主資本主義にしても、共通しているのは、アメリカが自由放任主義の結果、ディストピア化したということです。

 よく学生にも言うのですが、人間にとって「自由」の最大の敵は――一方では、社会主義、そして共同体主義があるわけですが――「自由放任主義」である、ということです。

 かつて私が『不均衡動学』で書いたことですが、アダム・スミスを祖とする市場万能主義、つまり「神の見えざる手」の信奉も、やはり理論的な誤謬であるのです。

 アダム・スミスは、市場経済では一人一人の自己利益の追求が全体の利益を上げる、と主張したわけですが、「貨幣」の存在を無視しています。市場というものは、貨幣の媒介を絶対に必要としますから、そして貨幣とは自己循環論法の産物ですから、本質的に不安定さを内包している。ですから、市場の仕組みをうまく機能させ、個人や企業が自由に経済活動を行えるためには、「神の見えざる手」にまかせるだけでなく、補完的な仕組みが絶対に必要なのです。それが何かと言えば、政府による規制や、中央銀行による景気のコントロールです。

 そのように、個人の「自由」の追求のためには、自由放任主義は逆に障害になる。公共的な存在による補完が絶対に必要だ……というのが、『不均衡動学』の大雑把な思想です。

コロナ禍で気づいた「社会契約論」の意味

 同様に、これは私自身、コロナ禍を機に、高校の教科書にも出てくる「社会契約論」が何を言っているのかをはじめて理解しました。「自由を実現するためには国家の媒介が必要だ」ということなのです。

「自由」とは、ルソーやカントに従えば、自律性、すなわち「自分で決めた規則に自分で従うこと」です。

 しかし、自由放任主義の下では、内面の倫理しか、自分で決めた規則に自分を従わせることはできません。倫理的に弱い人間ならば、自分で決めた規則ですから、自分に都合が悪ければ、自分で簡単に破棄できます。他人のものを盗むなという規則を私が私に課しても、空腹に耐えきれなくなった時には、私は私に対するその規則を免除して、他人の食べ物を盗んでしまうかもしれない。すなわち、自由放任主義の世界とは、万人が万人の敵となる戦争状態となるということです。ですから、国家という媒介が必要なんです。国家の下では、各個人は法律を決定する主権者と法律に従う国民という二つの役割を同時に果たすことができる。国家を媒介として、自分で決めた法律に自分で従うことが可能になるのです。それによってはじめて、自分のものを自由に使える自由をすべての人間が手にすることができる。自由放任主義の下では、自由は成立し得ないのです。

 ところが、アメリカは自由放任主義に向かってしまった。コロナ禍の際に大統領だったトランプは「マスクをするのは男じゃない」などというメッセージを発し、万人が万人の感染源となってしまい、世界で最もコロナ死者数の多い国になってしまいました。そういった自由放任主義が格差拡大と社会の分断を生んでディストピア化し、今やアメリカでは民主主義がほとんど崩壊の危機に瀕しているわけです。

日本は「株の国」に向かうべきか?

――2024年、日本は新NISAで沸きました。しかし、日本はアメリカのような「株の国」に向かってはいけないということでしょうか?

 一概にそうは言い切れません。日本において株式市場を活性化させようという考え方、それ自体は、悪いことではありません。

 繰り返し述べられていることですが、日本経済の低迷の理由のひとつは、個人の資産が貯蓄に偏っていることです。日本人は銀行預金の形で貯蓄する率が圧倒的に高い。文化的な面もあるが、デフレの影響も大きく、日本人はあまりにリスクを取らない傾向があります。

 金融の本質とは、「お金はあるけれどもアイディアを持たない人」が、「アイディアはあるけれどお金がない若い人」に投資し、そのお金が研究開発やイノベーションにつながることです。それが今の日本には欠けている。だから、リスクマネーを供給する株式市場を活性化させようという意図、それ自体は、悪いことではない。

外国人投資家にお金を差し上げる日本市場

 ただ、意図は正しかったとしても、実際に日本で起きたことはその逆でした。

 2010年代あたりから、徐々に日本の景気は立ち上がり、企業の利潤も増えてきたわけですが、その利潤がどこに使われたかというと、研究開発にも設備投資にもほとんど向かわなかった。もちろん、賃金にも向かっていない。企業の利潤が唯一、向かったのは、配当と自社株買いです。つまり、株主還元だけがダントツに上がっている。

 しかも、さらに悪いことに、日本の株式市場においては、日本人の個人はそれほど株式を持っておらず、3割以上を外国人が保有しています。取引額にいたっては、7割が外国人です。

 その結果、何が起きたかというと、本来、企業にリスクマネーを提供するはずの株式市場が、日本企業が生み出したお金を外国人投資家に差し上げる場所になってしまったのです。

資本主義とのつき合い方とは?

――ただ、一方では「日本にはキャピタリズムが足りない」という声も強くあります。

 大事なのはバランスです。

 私自身、長くアメリカに住んでいましたから、その意見はよくわかります。イノベーションに関しては、はるかにアメリカが進んでいます。ただし、その一方で、所得分配の不平等が突出してしまったわけです。

 私のこれまでの研究は基本的に資本主義批判です。だが同時に、資本主義以外の社会システムも研究してきました。社会主義も、コミュニタリアニズムも。いずれも自由を可能にする貨幣や国家という「媒介」を拒絶するシステムです。そして、到達した結論は、チャーチルが民主主義について語った有名な言葉を借りれば、「資本主義は最悪のシステムだ。これまで存在した他のすべての制度を除けば」ということです。だから、我々は資本主義の傷にぼろ布を当てながら何とかやっていくしかない。

 アメリカのように自由放任主義にも陥らず、逆に中国のような監視社会にもならない。その二つのディストピアの間で、いかにバランスをとっていくか。それがこれからの日本の生き方でもあると思うのです。

 重要なことは、アメリカを見てもわかる通り、自由放任主義こそ自由の最大の敵であるということです。

株主との対話は必要か?

――「日本の企業はもっと株主と対話すべきだ」という声についてはいかがですか?

 相手がどういう目的を持った株主なのかを、きちっと見た方がいいと思います。本当に会社のためを思って長期的な視野で意見しているのか、短期的な利益だけを求めているのか。株主だからといって一律に意見を聞くべきだと思い込む必要はありません。

 忘れてはいけないのは、株主には有限責任しかないことです。仮に会社が倒産した場合でも、投資したお金はなくなるけれど、個人財産には手をつけられません。あくまでも株式数に応じたリスクと議決権をもっている存在にすぎない。一方で、自ら会社を立ち上げた経営者や、その会社で働く従業員はもっと大きなリスクを負っています。

 こういった部分でも株主主権論が多くの人の思考を支配してしまっているわけですが、株主は会社資産の所有者でもないし、あくまで有限責任しか負っていない存在だということを忘れてはいけません。

 

  1. ◎岩井克人(いわい・かつひと)

1947年生まれ。東京大学経済学部卒業。マサチューセッツ工科大学Ph.D.取得。イェール大学助教授、プリンストン大学客員准教授、ペンシルバニア大学客員教授、東京大学経済学部教授、国際基督教大学特別招聘教授等を経て、現在、神奈川大学特別招聘教授、東京大学名誉教授、日本学士院会員。2023年、文化勲章受章。著書に、Disequilibrium Dynamics(Yale University Press, 日経・経済図書文化賞特賞)、『ヴェニスの商人の資本論』(ちくま学芸文庫)、『二十一世紀の資本主義論』(ちくま学芸文庫)、『貨幣論』(ちくま学芸文庫、サントリー学芸賞)、『会社はこれからどうなるのか』(平凡社ライブラリー、小林秀雄賞)、『経済学の宇宙』(日経ビジネス人文庫)など。近著に『資本主義の中で生きるということ』(筑摩書房)がある。

  1. ◎江渕崇(えぶち・たかし)

朝日新聞記者。1976年、宮城県生まれ。1998年、一橋大学社会学部を卒業し朝日新聞社入社。経済部で金融・証券や製造業、エネルギー、雇用・労働、消費者問題などを幅広く取材。国際報道部、米ハーバード大学国際問題研究所客員研究員、日曜版「GLOBE」編集部、ニューヨーク特派員(2017~21年、アメリカ経済担当)、日銀キャップ等を経て2022年4月から経済部デスク。現在は国際経済報道や長期連載「資本主義NEXT」を主に担当している。初の単著となる『ボーイング 強欲の代償――連続墜落事故の闇を追う』(新潮社)が発売中。

カテゴリ: 経済・ビジネス 政治
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