何があっても大丈夫――人生の大先輩たちが導き、励ましてくれる一冊

岡野民『あの時のわたし 自分らしい人生に、ほんとうに大切なこと』(新潮社)

執筆者:村井理子 2024年12月19日
タグ: 日本
エリア: アジア
私たちはこうやって先達たちに導かれながら、今まで長い道のりを歩んできて、そしてこれからも歩んでいくに違いない (C)seira_hibino/stock.adobe.com

 転機、苦難、出会いと別れ。そのすべてが、必ず糧になる――。宇宙飛行士の向井千秋氏や登山家・田部井淳子氏、国連事務次長・軍縮担当上級代表を務める中満泉氏など、各界で活躍する女性27名に「あの時があるから、今がある」という瞬間を尋ねたのが、岡野民さん著『あの時のわたし 自分らしい人生に、ほんとうに大切なこと』だ。本書を読み、触発された翻訳家の村井理子氏が、自身の「自分らしさ」を確立するまでの半生を重ね合わせて書評を寄せてくれた。

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 自分らしい人生に、ほんとうに大切なこと。それが自分にとってどんな存在だったのかを考えると、最初に思い浮かぶのは「本」だ。

 先天性の心疾患を持って生まれたため、幼少期の多くを病院内で過ごしてきた。家にいるときの記憶は、そう多くはないし、常に両親から過度に守られていて窮屈だった記憶が強い。子ども病棟に入院していたため、同部屋の患者が唯一の友だちで、医師、看護師、そして時折面会にやってくる両親が数少ない大人という狭い世界だった。検査のない日は時間を持て余し、病棟内を歩き回る私に業を煮やして医師らが私に与えたのは、トランプと大量の本とまんがだった。看護師に教えてもらったトランプを使った恋占いにも夢中になったが、本にはよりいっそう夢中になった。カラフルに塗られた絵本も好きだったけれど、文字がたくさん並んだ本も好きだった。次々読んでは、同部屋の友だちに読み聞かせた。子どもたちが盛り上がる姿を見て面白がった医師が、病院内の図書館にある本を次々と与えてくれた。私は与えられた順番にすべて読み、いつの間にか「本が大好きな子」として病棟内で認識されるようになった。そのうち、同部屋だった子どもの親が私に絵本や写真集をプレゼントしてくれるようにもなった。幼いながらに、とてもうれしかったことを覚えている。

学校に通い始めても、いつもうつむいていた

 退院してからも私の読書習慣は続いたが、それは本を読みたいというよりも、人見知りの自分を誤魔化すための手段となっていた。手術が成功して小学校に戻ったのはいいけれど、長期間、学校を休んでいたためにどうしても授業の内容がわからなくて、とても恥ずかしくて、授業中はずっと下を向いて教科書を眺めていた。読んでもわからないけれど、とにかく恥ずかしいからずっと下を向いていた。休み時間は、恥ずかしくて顔を上げられないので、ずっと本を読んでいた。そして、国語だけが得意な子になった。小学生時代は友だちもあまりできず、下校すると母の本棚から一冊選び、日が暮れるまで読んで、日が暮れたらテレビを見るという退屈な日々を過ごした。

 中学生になると、一気に環境が変わった。電車通学となったため、通学時間に本を読んだ。混んだ電車内で前を向くのが怖くて、ずっと下を向いて小説を読んでいた。とにかく下を向けば本がある。本があれば無事だという日々を過ごしていた。放課後は、学校から駅までぶらぶら歩いて、途中にある商店街で寄り道をする。立ち寄るのは当然、大型書店だ。大型書店のなかでは、子ども病棟と同じように、自由に振る舞うことができた。好きな作家の本や月刊誌を買い、帰りの電車内で読み耽る日々だった。両親は、本を買うのならと言って、おこづかいを十分与えてくれた。

 そんなある日、突然、いじめが始まった。誰か一人が必ずターゲットになるタイプのよくあるいじめで、今、考えてみるとたいしたことはないのだが、当時の私にとっては大事件だった。とうとう自分の順番が回ってきてしまったと、恐怖だった。そして、教室の隅で下を向いて本を読むことしかできなくなった。一心不乱に本を読めば、そのうち嵐は過ぎ去るとわかっていたからだ。私が通っていた中学には大きめの図書館があったので、休み時間になると存在感を消しながら図書館に行き、大量の本を借りる。そして静かに教室の隅の定位置に戻り、下を向いて読み続ける。そうすれば私という存在は教室のなかで透明になる。頭上では女子生徒たちの楽しそうな会話が繰り広げられていたものの、私は存在感を消すために下を向いて本を読み続け、そしていつの間にか物語に没頭するスイッチが頭のなかに存在するようになった。そんな時期はしばらく続いたように思う。

大好きな本に導かれて翻訳家に

 高校生になるといじめはなくなったが、今度は退屈が襲ってきた。授業がつまらないので、机の下に隠して本を読んだ。ほかの生徒と話すのも楽しかったけれど、下校時に立ち寄る大型書店で新刊を探すほうが楽しかった。厳しくて生徒から嫌われていた国語の教師に褒められたことがきっかけになって、勉強をある程度真面目にするようになったのもこの頃だ。教師に勧められるがまま、多くの作家の作品に出会った。そんな高校生時代はあっという間に終わりを告げ、大学進学のため、京都に引っ越すことになる。引っ越し先の京都では、それまで一度も体験したことがないような孤独に苛まれた。どこにも行き場がなく、アルバイト先と大学の往復だけの毎日で、最終的に辿りついたのは大学図書館だった。そこで海外のゴシップ誌を読み耽るようになり、ゴシップ誌をすべて読んでしまうと次はファッション、インテリア、ペット……いつの間にかアメリカの雑誌や文化に随分詳しくなり、ようやく自分が好きなものに巡り合えたような気持ちになって没頭し、就職活動をすることもすっかり忘れた。大学は卒業できたもののちゃんと就職はできず、好きなアメリカのニュースを追いかけ続け、インターネットにそれを書いていたら編集者の目にとまった。そして、現在に至るというわけだ。人生とは、本当に不思議なものだと思う。

過去の自分が今の私を支えている

 私自身は戦後の厳しい時代に生まれたわけでもなく、成長期の社会情勢が極端に複雑だったわけでもない。女性の社会進出にようやく声が上げられた時代に成長し、悔しい思いも人並みに経験している。生まれつき体が弱かったことが原因で失ったものも多かった。決してすべてが順風満帆だった人生ではない。しかし自分の虚弱体質が私に、時間をかけてゆっくり粘り強く取り組めば、必ずゴールに達することを教えてくれた。周囲から遅れてもまったく問題なんてないと教えてくれた。そして、私が顔を上げられずに過ごした十年以上の月日で、下を向けば目の前に必ずいてくれたのが本で、その本は、顔を上げて普通に暮らすことが出来るようになった今も、私の身近にずっといてくれている。私は何も成し遂げることが出来ていないけれど、下を向いていた時期に培った粘り強さで、今は一冊の本を訳す仕事に就いている。恥ずかしいと思っていた過去の自分が、今の自分をしっかりと支えてくれている。

 本書は様々な時代を生き抜いた著名な女性たちが人生の転機となった「あの時」を振り返るものだ。多種多様な職業を持った二十七人の女性たちの人生を追ったドキュメントであり、各分野で何かを成し遂げた彼女らの生き方のヒントがたっぷり詰まったインタビュー形式で綴られている。全体的な雰囲気はとても柔らかく、温かい。まるで、彼女たちの横に座り、貴重な話を聞かせていただいているかのような気持ちになる。決して、穏やかな時代を生きた生涯ばかりではない。それでも、彼女たちの言葉には一種の達観のようなものがある。戦前、そして女性の社会進出が厳しかった時代を生き抜いてきた人の言葉の重みに、思わず息を飲む場面もある。誰かに対する深い愛情に接し、このようにして誰かを愛することが出来る人生は素敵に違いないと感動した。彼女たちの経験を通して、私たちが学ぶべきことは多くある。彼女たちの言葉から、たくさんの元気をもらって、上を向いて生きていけるような気がする。

 私たちはこうやって先達たちに導かれながら、今まで長い道のりを歩んできて、そしてこれからも歩んでいくに違いない。読んでいて勇気の出る1冊だ。

  1. ◎村井理子(むらい・りこ)

翻訳家・エッセイスト。1970年、静岡県生まれ。滋賀県の琵琶湖畔に夫と双子の息子と暮らす。著書に『義父母の介護』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』など。訳書に『ゼロからトースターを作ってみた結果』『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』など。

  1. ◎岡野民(おかの・たみ)

1973年北海道生まれ。編集者、ライター。2000年よりフリーランス。「Casa BRUTUS」をはじめ、主に雑誌媒体で建築やデザイン、生活文化をテーマにした誌面作りと記事の執筆を行う。継続して取り組んでいる仕事に、2008年から続く「BRUTUS」の特集・居住空間学、「暮しの手帖」での連載「あの時のわたし」など。インタビュー多数。写真家・永禮賢との共著に『The Tokyo Toilet』(2023年、TOTO出版)。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
村井理子(むらいりこ) 翻訳家・エッセイスト。1970年、静岡県生まれ。滋賀県の琵琶湖畔に夫と双子の息子と暮らす。著書に『義父母の介護』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』など。訳書に『ゼロからトースターを作ってみた結果』『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』など。
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