医療崩壊 (91)

明治HD「コスタイベ」承認は、化血研不祥事の「貸し」の対価ではないのか

執筆者:上昌広 2024年11月13日
タグ: 日本 健康
KMバイオロジクスは血液製剤の不正製造とその隠蔽を行った化血研の事業を継承して発足した[業務停止命令を受け、記者の質問に答える化血研の宮本誠二理事長(中央、肩書は当時)=2016年1月8日、東京・霞が関](C)時事
医療現場は現時点でコスタイベを求めていない。コスタイベの可能性は高く評価されるべきだが、不十分な臨床試験で「仮免許」を与える理由はない。これは2015年に発覚した化学及血清療法研究所(化血研)の不祥事で、明治HDが厚労省に作った「貸し」が返されたということか。仮にそうなら、世界で最も根深い日本社会のワクチンに対する不信感は、さらに増すばかりだろう。

 明治HD事業子会社のMeiji Seika ファルマが開発したコロナウイルスワクチン「コスタイベ」が世間の関心を集めている。SNSには、「シェディングにより、ワクチン接種者から周囲に感染させる」などのデマが氾濫している。「シェディング」とは、コスタイベが体内で増殖した後、その一部が対外に放出され、周囲にいる人に悪影響を与えることだが、このことを支持する科学的な根拠はない。

 明治は、デマの拡散を主導した反ワクチン団体を名誉毀損で訴えるようだ。10月8日、記者会見を開き、小林大吉郎社長は「コスタイベを導入した医療機関に対して誹謗中傷や脅迫が寄せられている。ワクチンの供給に支障が出ている」と説明した。

 さらに10月16日、「科学的根拠のない話やデマの投稿が相次いでいます」という一面広告を全国紙各紙に掲載した。異様な状況である。

 世界各国でワクチンの安全性を巡る議論は迷走しがちだ。ワクチンは健康な人に接種するため、死亡事故は許容できないという立場と、ワクチンによって多くの人命が救われるのだから死亡を含む一定の副反応は許容せざるを得ないという立場は、そもそも価値観が異なる。議論によって合意形成することは難しい。

世界でもっともワクチンが信頼されていない国

 ただ、世界中で日本ほど、コロナワクチンの安全性をめぐり大騒ぎしている国はない。日本の特徴は、一流紙とされる新聞がコロナワクチンの副反応を大きく取り上げることだ。「レプリコンワクチン、コロナ接種で世界初実用化 有効性や安全性は?」(毎日新聞10月3日)などの記事が数多く発表されている。

 ネットメディアや週刊誌の中には、激烈な主張を紹介するものもある。「製薬会社現役社員が『本音は売りたくない』と内部告発……日本でしか承認されていない新型コロナ『レプリコンワクチン』の恐ろしさ」(週刊現代9月29日)など、その典型だ。

 なぜ、こんな記事が氾濫するのか。それは「売れる」からだろう。多くの日本人はワクチンの安全性に懸念を抱いている。そして、ワクチン批判に興味がある。だからこそ、メディアはこぞって、この問題を取り上げる。

 こうなるのは、日本人がワクチンを信頼していないからだ。意外かもしれないが、これは世界では有名な「事実」だ。2020年9月、ロンドン大学の研究チームが、世界149カ国を対象に、各国のワクチン信頼度を調査した結果を英国の『ランセット』誌に発表したが、日本は「世界でもっともワクチンが信頼されていない国の一つ」と評された。安全性についての信頼度は8.9%で、フランスと並び、モンゴル(8.1%)に次いで低かった。だから、日本ではワクチン批判の記事が説得力をもち、多くの人々をひきつける。

ワクチンと軍の切り離せない関係

 どうすればいいのか。もっと歴史的背景を議論すべきだ。我が国のワクチン開発は、厚生労働省による護送船団方式により、国内メーカー数社が独占してきた。その歴史は戦前に遡る。

 戦前、ワクチン開発は内務省と縁が深い伝染病研究所(伝研)と、帝国陸軍の軍医たちが主導してきた。その中には悪名高い関東軍防疫給水部(731部隊)も含まれる。

 内務省は治安維持のために伝染病の蔓延を防がねばならなかった。1897年に伝染病予防法を制定し、コレラなど8種類の感染症に罹患した人は強制的に隔離した。このような業務を担ったのは衛生警察で、内務省警保局(現在の警察庁)の一部だ。

 厚生行政も、その延長線上に存在する。1938年、健民健兵政策、つまり徴兵制度を推進すべく、厚生省が内務省から分離独立したが、「国益のために国民を統制する」という内在的価値観は変わらなかった。患者の人権尊重ではなく、感染者の社会からの排除を優先し、戦後もハンセン病やエイズなどの対応で、人権侵害を繰り返す。

 内務省は、伝研と連携し、ワクチン開発にも力をいれた。1910年には種痘法を制定、1938年にはBCG接種を開始している。抗生剤が存在しなかった当時、感染予防のためのワクチン開発は重要だった。

 帝国陸軍がワクチンを重視したのは、兵隊を感染症から守るためだ。これは日本に限った話ではない。現在、米国でワクチン開発の中心は、ウオルター・リード米陸軍研究所や米海軍医学研究センターだし、米疾病対策センター(CDC)は、第二次世界大戦後に戦争地域におけるマラリア対策部門の後継機関(MCWA)として設立されたものだ。

 現在、世界のワクチン市場はメルク(米)、ファイザー(米)、グラクソ・スミスクライン(英)、サノフィ(仏)の寡占である。第二次世界大戦に勝利した連合国のメンバーで、現在も大規模な軍隊を有している。軍隊が強い国で、ワクチンの研究開発が進むのは、紛れもない事実だ。

 戦前、内務省と帝国陸軍が主導する形で、日本は世界をリードしていた。伝研からは北里柴三郎、志賀潔、野口英世など、ノーベル賞候補に挙げられる研究者がでている。

 ところが、第二次世界大戦の敗戦によって、事態は一変する。伝研はGHQ(連合国軍総司令部)により解体される。その後継は、現在の東京大学医科学研究所と国立感染症研究所だ。

 帝国陸軍は消滅し、陸軍病院は厚生省に引き継がれる。戸山の国立国際医療研究センターは元陸軍病院だ。ちなみに、築地の国立がん研究センターは、元海軍病院である。

 このようにワクチン開発に関わる組織は、戦後、GHQが主導する形で再編された。ただ、看板をかけ替えたが、本質は変わらなかった。関係者の多くが免責され、かつての「軍産複合体」の系譜を継ぐ製薬企業や研究機関の幹部として復職したからだ。「軍産複合体」の特徴は、国民の健康よりも、国家の目標を優先することだ。

注目すべきは明治HD子会社の「ルーツ」

 私は、今回のレプリコンワクチンの承認でも、このような歴史が影響していると考えている。注目しているのは、明治がKMバイオロジクスという子会社を抱えていることだ。その前身は、戦前、ワクチンや抗血清の開発・製造を担った実験医学研究所だ。実験医学研究所は、伝研OBで1924年に熊本医科大学教授に就任した太田原豊一の提唱で同大学内に設置され、戦後、化学及血清療法研究へと改組した。KMバイオロジクスは、この化血研の医薬品製造販売業などを継承して2018年に発足している。

 コロナワクチン開発での国益とは、安全保障上の観点から、国産ワクチンを保有することだ。関係者はこのことを最優先し、レプリコンワクチンの承認では、世界標準に反してでも安全性の評価を軽視した。

 ワクチンは健康な人に接種するため、高いレベルの安全性が求められる。ファイザーやモデルナのワクチンの承認が議論された2020年ならともかく、コロナウイルスが弱毒化し、さらに他に使用できるワクチンがある現時点で、コスタイベを「仮免許」で承認しなければならない理由はない。

 これまで明治が公表している臨床試験は、828人および927人を対象としたものの二つだけだ。ワクチンの安全性を評価するには規模が小さすぎる。明治は東南アジアなどで大規模な臨床試験を進めており、安全性に関する結果が出てから承認してもよかった。

 私はコスタイベの可能性を高く評価する。注射したコロナウイルスのmRNAが体内で自己複製されるため、少量のワクチンで効果が長続きすることは、今後のパンデミック対策の準備のためにはありがたい。ただ、この可能性とコスタイベの安全性の検証は別次元の問題だ。

医療現場はコスタイベを求めていない

 医療現場がコスタイベを求めていないことは、厚労省も明治も認識しているだろう。この状況で明治がやるべきは、大規模な臨床試験を完遂させ、その結果を一流医学誌に発表することだ。レプリコンワクチンは、前途有望なワクチンだから、厳しい査読を受けた後に、『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』などの一流医学誌が掲載するだろう。ファイザー、モデルナは、こうやって世界の医学界の信頼を得てきた。だからこそ、世界中で接種された。

 ところが、厚労省は明治に対して、このようなステップを求めなかった。そして、法定接種に組み込んだ。この結果、明治には巨額の利益が約束された。それは、医療現場での使用状況とは無関係に、政府がワクチンを買い上げるからだ。

 今冬、厚労省は約3224万回接種分のコロナワクチンを確保した。そのうち、約427万回分がコスタイベだ。厚労省は購入価格を公表していないが、常識的には1回につき1万円程度だろう。その場合、明治は400億円以上を売り上げる。コロナワクチンが法定接種に組み込まれたため、この状況は当面続くだろう。

 明治HDの2023年度の売上は1兆1054億円、営業利益は843億円だ。医薬品事業に限れば、売上2061億円、利益は227億円だ。コスタイベの利益が、明治にとっていかに大きいかお分かりいただけるだろう。

 これはフェアじゃない。ほとんど利用されないことが予想できるワクチンに巨額の税金を注ぎ込む合理的な理由はない。なぜ、厚労省はこんなことをするのだろうか。私は、厚労省が明治に借りを返そうとしたからと考えている。

化血研の血液製剤をめぐる不正が背景に?

 前述の通り、KMバイオロジクスは化血研の事業を継承して発足した。その経緯の発端には、2015年に露見した化血研の組織的不正がある。

 国の承認していない方法で血液製剤を不正製造していた化血研に対し、当時の塩崎恭久厚労大臣は厳しい処分を求めた。しかし、化血研は一部のワクチンを半ば独占販売していたため、厚労省は「倒産」させるわけにはいかなかった。厚労省は大手国内企業に化血研の救済を打診したが全て断られ、最終的に明治が中心となって事業を継承した。

 この時の厚労省の対応は目に余った。約40年にわたり、悪質な隠蔽工作を続けた化血研を擁護し、最初から適切に対応するつもりはなかったのだ。

 象徴的なのは、この問題の対応策を議論するための「血液製剤やワクチンの製造業界の在り方を検討する作業部会」に、診療報酬を担当する保険局は参加していなかったことだ。

 化血研の不正を糺すつもりなら、化血研が医療機関から医薬品購入費用として得た金を返還させなければならない。個別の医療機関が対応することは難しく、厚労省が調整せざるを得ないだろう。その場合、担当部局は保健局だ。厚労省OBは「保健局を外しているのですから、厚労省は、最初から化血研に金を返させるつもりがなかった」という。

 もし、一般の医療機関で、同様の不正が露見すれば、同省は過去に遡り、診療報酬の返還を求めるはずだ。こうやって多くの医療機関は倒産、身売りしてきた。完全なダブルスタンダードである。

 もちろん、厚労省にも言い分はあるだろう。戦前から続く「軍産複合体」の利権は容易に清算できない。改革には激しい「痛み」を伴う。厚労大臣がなんと言おうと、問題解決を先送りするしかない。こうやって、利権体制は温存された。

 これがコスタイベの特別承認へと繋がったのではないだろうか。そうだとしたら、こんなことをしている限り我が国のワクチン開発力は低下し続け、国民の不信感は増すばかりだ。抜本的な見直しが必要である。

カテゴリ: 医療・サイエンス
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執筆者プロフィール
上昌広(かみまさひろ) 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。
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