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彼と彼女のブルーズ(1)
村瀬は休日出勤の帰宅途中の車の中、いつもつけっ放しにしているFMラジオを聴くともなく聴いていた。山手の住宅地へ向かう片側二車線のレーンはテールランプで埋め尽くされている。その上をモノレールが音もなく滑ってゆく。いつもこんな早い時間に帰宅することがないので、帰宅ラッシュの波に少々イラつきながら煙草に火を点ける。ラジオの番組が華やかなクリスマスソング特集からニュースに切り替わる。派遣労働者に対する急な契約打ち切りの話が全国各地の自動車工場を中心に起こっており、この年末には大量の派遣難民が発生するとニュースは告げた。
「帰る家と仕事があるだけマシなのか・・・。」
と村瀬はひとりごちた。確かに工場の人員も、繁忙期の今は多くの日雇いバイトがギフトセットの生成に励んだり、多くの出荷量に見合うだけの車が混みあったりしているが、これも年が明けると場内がガランとするのは毎年のことだった。一サラリーマンの村瀬には、事業主の年末の資金繰りの辛さなど想像も出来ないし、日々自分の仕事をこなすだけで精も根も尽き果てるばかりだが、世界同時不況と言われる昨今、その影響は村瀬にも遅かれ早かれ及ぶことは明らかだった。自分一人ではなす術もない、なんとも言えない閉塞感、何処にぶつけたらいいのかわからない苛立ちを、ここ数年村瀬は抱え込んでいた。そんな村瀬に嫌気がさしたのか、妻の理恵は何も言わないままひっそりと家を出、今は誰も待つ者もいない2LDKのマンションに帰る日々が続いていた。
 車をマンションの最寄りのコンビニの駐車場へ入れる。シャンプーが切れていたか。シェービングクリームも買わなければと思いながら、「いらっしゃいませ」という無機質な声をすっきりしない頭の中に織り込んで、買い物カゴに手をやる。安い詰め替え用のシャンプーと敏感肌用のシェービングクリームをまずカゴに入れた後、冷蔵庫の前に立つ。いつもの『東洋ゴールデンラガー』五百ミリリットルの六缶パックをひとつ取り出しカゴに入れ、店内を回ってスモークチーズとサラミをその上に入れる。レジ横で大きな容器に一杯のおでんを入れ、マイルドセブンライトのボックスを一箱貰い、清算する。五千円札を出したがそれでは足りなかった。しかたがないのでスモークチーズを諦めることにする。
明りの灯っていない家賃十万円の我が家へ帰る。いつまでここを借りるつもりなのか、自分でも判然としない。考えることを放棄している。惰性でここに帰ってくるだけだった。妻の去った後の家は、男の一人暮らし特有の臭いが立ち込め、日々散らかるだけの空間になっていたが、段々とそういう家のこと全てに鈍感になり、カーテンなどここ何週間も開けた記憶がなかった。コンビニのビニール袋が散乱しているフローリングの床に、コート姿のまま直に座り、新たなコンビニの袋を開ける。ビールの六缶パックのカートンを破り、冷えた『東洋ゴールデンラガー』を一気に喉に流し込む。おでんの容器に無造作に割り箸を突っ込み、しらたきや大根をやっつけながら、立て続けにビールを二本空けたところで、人心地ついた。夏のボーナスでちょっと奮発して買ったオーディオの電源を入れ、最近よく聴く戦前ブルーズに耳を傾けながら「こんな根っから音質の悪いCD聴くんじゃ、このオーディオ勿体なかったかな」と思いつつ、単純なフレーズを口ずさむ。「最後の勝負も勝ち目なし」などと繰り返し口ずさみながらしばらく聴いていたが、このままどっぷりとブルーズの波に浸っていたんじゃ人間が駄目になる、と半分酔った頭で思い直し、とりあえずシャワーを浴びることにする。熱いシャワーで、日々の憂いも何もかも洗い流すことができたらどんなにか楽だろう。

 シャワーから上がってくると、携帯に着信とメールが残っていた。工場で一緒に働いている一年目の大西からだ。同期で忘年会をやっているらしい。「何処か二次会にいい店を知らないか」という内容。「よければ一緒に飲まないか」という誘い文句もあった。シャワーを浴びてさっぱりした村瀬は、普段なら無視しかねない内容のメールに返信してやろうと思った。そして、この部屋で鬱々と一夜を過ごすよりは、煌びやかなターミナル周辺の空気を吸うのも悪くはないだろうと思い、誘いに乗ることにした。若手の相手をするのはそれなりに面倒くさいことではあるが。
「一時間後、高島屋の正面玄関前」
とだけ返信し、セーターにチノパン、コートにマフラーにスニーカー履き、といったラフな格好で身繕いを済ませてから、風呂上りのビールを一本飲み、夜風の冷たい中、最寄りのモノレールの駅まで駆けていく。

 山手の新興住宅地、と言ってももう三十年も前に開発された土地、村瀬が生きてきた年数と変わらないだけの「歴史」を持った街を、村瀬は駆ける。鉄道路線はモノレールがひとつきり。団地の周りには大きな外周道路、あとは毛細血管のように狭い道が団地の隅々を通っている。大型のショッピングセンターもあったが、一昨年破綻。小さなテーマパークもあったが、それも破綻。今は建物だけが寂しげに残っている。都心の地価が大幅に下落し再開発が進む中で、この街にも新住民が入ってくることは少なくなり、住民の高齢化が問題にもなっている。村瀬は初めこの土地に暮らし始めた頃、どれも似たような建物ばかりが並ぶいくつもの通りを見て「これは確実に自分は迷子になる」と思った。東西南北の方向感覚すらおかしくなるのではないかと思っていたが、似たような住宅地育ちの妻の理恵には、これが故郷の景色だった。「なんとなく落ち着く」と理恵は言い、建物に挟まれた陽の射さない狭い公園で四つ葉のクローバーなんぞ見つけてきては、押し花にしてリビングのテーブルに飾ったりしていた。「こんな面白みもなにもない建物ばかりの平坦な風景が故郷の景色になるのか」と、山間の小さな村で育った村瀬にはショックだったし、この土地には神様はいないだろうと思った。神様のいない計画された街で計画された暮らしが計画通り進むという僥倖に恵まれたのは、高度成長の終わりからバブル崩壊までのほんの一時で、村瀬が入ってきた頃はもうその計画の杜撰さばかりが目に付くようになっていた。村瀬はこんなところで子を授かるのは嫌だったし、かと言って田舎に仕事があるわけでなし、理恵を説得する自信もなかった。
 そんな自分にとっては特別な感情を何一つ思い起こさせない土地に寝起きしながら、惰性で職場と家の往復をするだけの日々だった。理恵との仲が冷め始めたのはいつ頃だったろう・・・。そういった相手の些細な変わり方にも鈍感でなければならないほど、仕事というものは村瀬に全神経を使うことを強要した。朝はまだモノレールが動き出す前に車で工場へ向かい、帰りはもうモノレールの営業が終わった後、ヘトヘトの体で車を運転して家に帰る。シャワーを浴びて缶ビールを二本飲むのがやっとで、テレビはおろか新聞を読む気力もない。通勤時に車のラジオを聴かなければ、世の中がどうなっているのか一切知るよしもなかった。興味を引かれるようなニュースはいつだってなかったが、仕事場以外での言葉を聞くと、自分もまだなんとか世の中の淵に引っ掛かっているとは思えた。そんな調子では、妻の理恵と充実した夫婦の会話など交わすことも出来ず、リビングのダイニングテーブルで放心したようにビールを飲みながら、一方的に喋る理恵の言葉を脳を介さずに聞き、ただただ頷きを繰り返した。一体彼女は何をあんなに一生懸命話していたのか、一人になった今思い出そうとしても、紅潮した顔で話すその姿は思い浮かべられるのだが、その内容となると一切思い出せなかった。そのことに思い至った時、理恵との時間とは一体何だったのだろうと村瀬は一人考えた。そんなにまでして傾注している仕事だったが、給料が上がるわけでも、満足に日々こなせているわけでもなく、生活においても仕事においても、自分に自信なぞ何ひとつとしてなかった。しかし、今夜も酒を飲んだら、また大西達に社会人としての生き方なんぞを口角泡飛ばして説教するのだろう。
「不毛だなぁ。」
大きくひとつ溜息ついでに声を出して「不毛」と言ってみる。闇夜を裂くようにホームにモノレールが入ってくる。「いつだって飛び込めるんだぜ」と内心わけのわからない悪態をつき、モノレールに乗り込む。モノレールは音もなく村瀬の体を都心へと滑らせて行った。
# by uts_home | 2009-08-17 02:17 | コラム
大文字の夜に・・・
メールありがとう。すぐに返信出来なくてごめんなさい。
民孝さんも心配してくれているのですが、まだ連絡を取る気になれないでいます。お察し下さい。

残念ながら不格好なことになってしまって、二週間ほど寝て過ごしています。
主治医に診断書を書いて貰って、一ヶ月間の休職という形になっていますが、多分クビになると思います。郵便局の仕事を失うことに関しては、さして後悔はないのですが、「はな串」やリド飲食街に行けなくなるのが淋しいです。せっかくみんなと仲良くなれたのに。

思えばいつもそうでした。今回の郵便局で長期で働くのは三度目ですが、毎回仕事を失う事に対する後悔はないものの、その土地土地で仲良くなった人達と会えなくなるのが堪らなく淋しいのでした。

mixiに写真をアップしてくれているので、チアキの様子がよく分かり、いつも微笑ましく見ています。頑張っているね。自分の進むべき道にまっすぐ突き進むチアキに、若さと爽やかさを感じさせて貰っています。やっぱり青春とはかけがえのないものだな、と写真の中のチアキを見て思ったりします。

この二週間はほとんど酒を飲んでいないので、その代わりというわけではないですが、集中的に本を読んだりDVDを見たりしています。少し体調が悪いほうが、難しい内容の本は頭に入るようなのですが、読んでいるのが結局、今回の不況の解説だったり、いかに日本の近代化が稚拙だったかの論説だったり、太平洋戦争時の軍部の愚かさだったりするので、一向に気が晴れません。DVDもつい戦争物やシリアスな物を借りて来て見てしまうので、これまた鬱をますますこじらせるようなことになっているのです。自分で「馬鹿だなぁ」と思いますが、なんともしようがありません。

「外に飲みに行きたいなぁ」とも思うのですが、なんとなし思いきりが悪く、コンビニ弁当ばかり食べています。残念な事に薬のせいで食欲は旺盛で、痩せる気配はありません。

あぁ、久しぶりのメールでつい喋り過ぎてしまいました。ごめんなさい。この二週間、メールも電話も一切せず、ブログもほとんど更新していなかったものですから、喋りだすと止まらなくなってしまいました。

しかし今年の夏は夏らしい日がなかったですね。今夜は五山の送り火ですが、この行事が終わると夏も終わりという気がします。祇園祭から送り火までが「夏」という感じですかね。今年は一回も泳ぎに行けなかった、それどころか海も見なかった、残念です。

チアキは実習頑張って、充実した夏にして下さい。


追伸:もう少し元気になったら、ホームヘルパーの資格でも取ってみようかと思っているのですが、またアドバイスなど頂けると有り難いです。よろしくお願いします。

では、また会える日を楽しみにしています。
# by uts_home | 2009-08-16 18:10 | 未分類
国棄て宣言
仕事終わり、いつまでも梅雨空の晴れない京都は堀川塩小路の焼肉屋で同僚達と飲んだ。私の今の収入では焼肉なぞ食える身分ではないのだが、たまには肉だって食いたい。

我が身の恥を殊更に言い募るようで恐縮しきりだが、今の私は非正規雇用の35歳、今月の給料は72000円である。ワーキングプアなんて生易しい言葉では足りない、『赤貧』の日々である。正直タバコ銭にだって事欠いている。どこに女の子を引っ掛けるための軍資金があるというのか。もちろん今宵も淋しい夜を終電に乗って駆け抜けるのである。この闇夜を突き抜けたら、どんな景色が待っているというのか。

過去にややこしいいきさつはあったが、『世に倦む日日』は欠かすことなく読んでいる。すべてにおいて首肯するわけではもちろんないが、四年前と変わらぬ精力的な筆致には、今も頭が下がる思いでいる。
今日のエントリでは民主党のマニュフェストから『格差』の文字が消えたとあった。これは由々しき問題である。私のようなワーキングプアを突き抜けた赤貧の民にとっては、希望を奥歯からねこそぎ抜かれたようなものである。今の日本社会で『格差』以上に重要な政治課題などあるのか。

日々、非正規雇用の同僚達と働いている。頭を傾げることが多い世の中だが、「なんでこんなに優秀な人材がこんな報酬なのか」と、喉の詰まる思いがする。日本の若くて優秀な人材は、チャンスも与えられず棄てられている。『棄民』である。国が私達を棄てるなら、私達も国を棄てるまでである。今度の選挙結果如何に関わらず、国棄ての心の準備だけはしておこうと思う。

毎日、四条烏丸界隈を郵便物を集めながらテクテク歩いて思うのは、『殺すなかれ』、このことだけである。単調で成果の見えない郵便物集めをしながら、「殺されることあっても殺すことなかれ」この一念だけで歩いている。逆説的かもしれないが、今は「殺さない」ことの矜持だけで生きている。正直、いっぱいいっぱいである。
はっきり言って、「希望」は1ミリも見えない。それでも生きていかねばならない。窮余の策で私は歴史に答を求めた。宗教に、仏教に救いを求めた。「般若心経」を朝夕に唱える毎日だが、それで問題が解決するとは到底思えない。やっぱり政治の力が必要なのである。その政治の、次の政権を担おうかという政党が、『格差』を問題にしない。これこそ欺瞞ではないか。国民を幸せにする気など毛頭ないのではないか。

赤貧の民である素楽は問いたい。どうして経団連との数年ぶりの政策協議に踏み切って、それをそのまま持って帰ってきてしまったのか。労働者を断固守ると何故言えないのか。そんなことをチンタラ表舞台やら裏舞台やらで演ってるうちに、こっちはもう「国棄て」始めるんだかんな。あわてんなよ、バカどもが。

今宵のYouTubeは、懐かしいとこ行きましょう。岡林信康で『私たちの望むものは』。お聴きください。

# by uts_home | 2009-07-29 01:00 | コラム
チェット・ベイカーという堕天使
腹ペコの体を抱え電車に乗って庵に帰ると、同時進行でしたい物事が多くて困る。まずは「労働」でかいた汗をシャワーで洗い流したいし、風呂上がりにビールは飲みたいし、腹は減っているし飯は食いたいし、疲れを癒すジャズをゆったりと聴きたいし、そうはいうもののニュースも見たい。
というわけでまずはビールを一杯空けてから、おもむろにご飯をかき込み、腹の虫が治まってから本格的に飲むことになる。こんなことをしていたら太るのも当たり前である。そして今夜は久しぶりにモダン・ジャズの資料的DVDをかけながら、イカの刺身なぞつついてビールを飲んでいたのだが、どうにも「報道ステーション」の様子が気にかかり、麗しき音楽の時間も即中断である。ニュースとは無粋なヤツである。
チェット・ベイカーという堕天使_f0051075_042847.jpg

官製ワーキングプアの問題を特集していたが、ひどいものである。一気に酒がまずくなる。実情はだいたい世間を見ていればわかることだが、この体制で事業を継続していくことのマイナス面というのは、当の担当者レベルでは如何ともし難いことなのであろう。懐かしい『合成の誤謬』の典型である。原理原則をはき違えるからこういう問題が起こる。「だれのために、何のために、どうやって、」戦前の関東軍の愚挙を笑えない事態が日本中の自治体で起こっているということだ。こういうことが積もり積もって、いつか決壊した時には、もう万全の態勢を敷いている戦時経済体制に有無を言わさず組み込まれてゆくのだろう。

あぁ、いやだいやだと思いながら、布団の上に寝そべって、辺見庸がチェット・ベイカーについて書いた短編を読み直す。チェットの堕ちきった、麻薬に取りつかれたその何の反省も悔恨もないプレイが、痛みを癒すわけでなく、痛みを忘れさせてくれる、という箇所が気に入っていて、読み終えると聴きたくなり、またぞろ起きてきてパソコンを起動し、YouTubeで聴くことにする。睡眠薬は随分前に飲んだが、チェット・ベイカー聴くのに烏龍茶はないだろうってんで、安ウイスキーに氷を浮かべて、しばしの邂逅、まったき無為な時間。魂にも緩めてもいい時間帯ってのがあるのさ。みんなが生産性や効率のことばかり言っていたら、やっぱり息が詰まるじゃないか。それでなくてもバンバンな閉塞感に追いまくられて一息つくことも出来やしないというのに。そんな時は、なんのメッセージもない、このとんでもないジャンキー野郎のチェット・ベイカーのプレイに耳を傾けて、魂を軽くするのさ、タンポポの綿毛のように。何も語らないってことは、時として癒しにもなる。無為に過ごす時間は通り過ぎる時間がすべて等質なものだと錯覚させてくれる。この錯覚から目覚めたくはないのだけれど、ジャンキーでない私はそうもいかなくて困ったものだ。しかしこの演奏は素晴らしい。辺見庸は良さが分かるまでに60年かかったと書いていた。私も素晴らしいとは言いながら、なんらその本質はわかっていないのだろうな。

では今宵のYouTubeはチェット・ベイカーで『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』。どうぞごゆっくりお聴きください。

# by uts_home | 2009-07-28 00:46 | コラム
辺見庸という逃避
衆議院解散があって、皆既日食に沸いて、そういうことどもとは微塵の交わりもなく私の人夫仕事の日は暮れ、その憂さを串かつを生ビールで胃袋に押し込みながら晴らし、終電間際の列車に酔い醒めの悄然とした心地で乗り込む。「あぁ、このままの毎日ではいけない」と思いながら、いつも思いながら、結局は睡眠薬の助けを借りて昏々と眠り込む以外にプライベートらしいプライベートもなく、また日が明けたら何の生産性も遣り甲斐もない賃仕事に向かわざるをえない。実験場の白いマウスになったような心境で、この生というものを振り返ってみたりもするのだけれど、マウスは所詮マウスでしかない。「ドブネズミのように美しくなりたい」とザ・ブルーハーツは歌ったが、私は薬の副作用でブクブクに膨れて、もう美しいなんてもんじゃない奇怪な姿態を世間に晒しているだけのデクノボーである。こんな毎日に火をつけるためには、今のままでは多分あまりにブンガクが不足しているのだろう。昨日寝床についてからそう思いついた。

話題になっている村上春樹の『1Q84』を買おうかと、梅雨の晴れ間の休日、近所のスーパーの3階に入っている本屋へ向かう。見事に平積みされた『1Q84』を手に取ってパラパラと頁を繰ってみるものの、あまり読みたい気が起らない。そういえば私が村上春樹を読んだのは『国境の西、太陽の東』一冊きりで、どんな話だったかもさっぱり忘れているが、それほど肌に合わなかった記憶だけがある。だから何故彼がベストセラー作家なのかということが今もわからないままである。そしてずっと筆が止まったままの私自身の拙い小説風の試みに弾みをつけるべく、評価が高く売れる作家の文章にあやかりたいという思いもあって『1Q84』を読んでみようとも思ったのだが、3600円の支出はやはり今の私には重く、書棚をグルグルと回りながら決心をつけようとするも上手くいかず。3600円くらいパチンコに負けたと思えばどうということもないのかもしれないが、生憎ギャンブルというものに寸分も素養を持ち合わせていない私には、そういう決心の仕方が身に付いていない。
書棚を回っているうちに、辺見庸という文字が目についた。まだ私が持っていない『独航記』と『美と破局』が運良くあったので、『1Q84』はやめにしてこの2冊を買うことにする。これで私は辺見庸の著作を16冊所持することになる。
辺見庸という逃避_f0051075_16441777.jpg

辺見庸を読み始めたのは、T.N.君と一緒にこの『Under the Sun』の作業をしていた時で、彼には随分いろいろな書籍や音楽を薦めて貰ったが、当時刊行されたばかりの辺見庸の『自分自身への審問』もその中の一冊だった。恥ずかしながら私はその時まで辺見庸という人を知らなかった。薦められて随分日が経ってから、本屋で気まぐれに『自分自身への審問』を手に取り、読んでみた。これはなかなか誰にでも書けるものではないな、と思い、彼の著作を本屋で見かける度に購入するようになった。
面白い文章もあれば不快になる文章もあるこの人特有の筆の運びは、万人向けのものではないかもしれない。しかし非常に大事なことを言っている。病に倒れた後はより一層切実に、人間存在の闇に焦点を当てた思索が深まり、この時代にあっては他に縋るものもない私は、つい辺見の文章に耽溺してしまう。しかしこれも、辺見の文章を読むことも、ひょっとしたら体の良い逃避でしかないのかもしれないという朧な自覚はある。多分それくらいのことは辺見も承知の事なのだと思う。「だったら、だったら私はどうやって闘えばいいんですか!」と絶叫をあげてしまいそうになる夜ばかり続く。どうにかこうにか薬で興奮を抑え込み、機械的な眠りを眠る。もうどうせなら絶望の作法を教わったほうが話が早いのかもしれない。近頃仏教にかまけている私の本心は実はそのあたりにあるのではないか。「絶望の作法を身に付ける」という意味において。

辺見は安易な希望など語らない。辺見は人生における大事なこと、沈黙すること、を知っている。辺見の命がいつまで続くのかはわからない。もちろん私の命だっていつまで続くのだかわからない。みんなが生きているのはそういう「生」だ。ナマモノなのだ。取り扱いにはやはり慎重を期すべきだ。爆弾を落として破壊していいようなモノではない。

私は辺見の良い読者ではないと思う。だが、彼の著述は歴史的にもおおいに意味があることくらいはわかっているつもりだ。これからも新しい文章を読めることを楽しみにしている。

今日のYouTubeは、京都のクラブで辺見が講演会を行った時に会場に流されたという、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(CCR)の『雨を見たかい?』です。日産セレナのCMソングにもなったこの曲ですが、実は痛烈な反戦歌であるということ。そういうものまで取りこんでしまう資本の強欲さというものに辟易してしまいます。芸術も消費の対象でしかなくなったこの後期資本主義経済社会において、「正義」とは一体なんなのでしょうか?

# by uts_home | 2009-07-23 16:39 | コラム
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