続・絵が下手くそなのは発達障害のせい?
※今回の記事は2015年11月2日に投稿した記事を加筆再編集したものです。
実は今回の記事は8/17に記事を書いたものの、拍手もコメントもゼロで、ものの見事に反響の無かった記事のリベンジである。
上の絵を見ればわかると思うが、発達障害者は自分も含めて死ぬほど絵が下手くそである。
ごくまれに絵が上手い者もいるが、大半は自分も含めて絵が下手くそである。
表情が描けなくて、デッサンが微妙に歪んでいて、何よりもまっすぐな線を引けないというのは致命的である。
発達障害者は微細な運動機能障害があると聞くが、自分もその運動機能に障害があるとしか思えない。
そういえば、自分と絵柄が似てるのは男ばかりだが、発達障害者の8割が男である。
進撃の巨人の作者も絵が下手くそだが、あそこまで下手くそだと、発達障害か何かではないかと思ってしまう。
上が定型発達者の描いた絵で、下が発達障害の自分が描いた絵である。どちらが上手いかは一目瞭然である。
上の絵を描いたのはponchと同じギャラリーにいた、自分よりひとまわり以上年下のイラストレーターだが、十万円の絵がポンと売れている人気作家で、化物語のエンドカードも描いている。
本人も和服が似合う楚々とした近寄りがたい(というかこちらが避けられてる)美人で、ツイッターのフォロワーも5千人以上いる。
フォロワーが千人に満たない自分とは雲泥の差だが、自分が彼女に勝てるのは歳の数と腹のぜい肉だけである(そんなものに勝ってどうするんだよ)
作業所の会報に描いた、島風のコスプレをした無駄に巨乳のシュレ猫たん。
会報がカラーだからノーギャラでカラーで描かされたのに、公共施設に置く会報にパンツはいかんと、パンツを猫耳に文章手直しされたぉwwwうぇっうぇっうぇっwww
作業所のおじさんからは、深夜の萌えアニメみたいといわれたぉwwwぶひいぃwww
自分のように絵の才能の無い人間でも努力すればある程度は上手くはなるが、才能の無い人間がいくら努力しても、絵の才能があって努力した人間には敵わない。
日本人がいくら努力しても、シュワちゃんのようにムキムキマッチョにはなれないようなものである。生まれついての骨格がちがうのだ。
画力を骨格や筋肉量に例えると、絵が上手い人はシュワちゃんのようなムキムキマッチョで、自分みたいな下手くそはのび太みたいなガリガリのモヤシである。
正直いくら描いても上手くならないと、いい加減描くのイヤになるし、お高くとまった美人の超絶上手い絵なんか視界にも入れたくないので、何度描くの止めようと思ったかわからない。
それでも描いてたのは、ギャラリーのおっさんに頭小突き回されて描かされていたからである。(´・ω・`)ノ(´;ω;`)ペシッ
現在はギャラリーからは足抜けして一介の温泉絵描きに成り下がってしまったが、ツイッターで長年ファンだったマンガ家の先生に相互フォローしてもらえたので、このときだけは絵を描いていてよかったと思う。
最近は自分が通う作業所からも絵の仕事をもらうようになったので、細々と描いてるが、未だに絵が下手くそなのは治っていない。正直しんどい。
自分も画力がシュワちゃんとかロニコーみたいなムキムキマッチョの地上最強の神絵師になりたいぉ(´;ω;`)ブワッ
発達障害者の描いた絵は不気味なほど特徴が似通ってるが、発達障害者だけのアウトサイダーアート展とかやったら、微妙にデッサンの歪んだ不気味な絵ばかりで、展示会場はかなり異様な雰囲気になるにちがいない。
常人には理解不能の思いっきり需要のない、発達障害者だけの不気味で異様なアウトサイダーアート展をやるのは、密かな自分の夢でもある。
近年ではアウトサイダーアートは差別的だからエイブルアートと呼んでるらしいが、エイブルアートなんて生温い芋喰って屁をこいたようなクソゲーみたいな呼び方はまっぴらごめんだ。
エイブルアートなんて芋喰って屁をこいたようなクソゲーみたいな呼び方よりもアウトサイダーアートの方が断然カッコいいに決まってる。
クソゲーといえば、最近自分がハマってるにゃんこ大戦争もクソゲー呼ばわりされてたが、人手不足で作画に手をかけられず、誰でも描けそうな子供の落書きみたいなキャラデザになったクソゲーが、4700万ダウンロードされる大ヒットになったのだから世の中わからないものである。
こういってはなんだが、作画に手をかけたゲームよりも、にゃんこ大戦争みたいな作画が単純化されたゲームの方がヒットしてるように思える。
自分は真の芸術は画壇の枠からはみ出した画壇の外にあると思っている。
画壇から遠く離れた、ブリザード吹きすさぶ極北の荒野で孤独を耐え忍ぶことのできる者だけが真の芸術を極めることができるのだ。
ぬるま湯に浸かった生温いなれ合いの画壇に飾られるようなお行儀のいい絵なんていわば全部ニセモノだよー。
今年開催されたあいちトリエンナーレも芸術か否かで物議を醸したが、自分の目から見れば、公費でお膳立てしてもらって開催されたあいちトリエンナーレも、ぬるま湯に浸かった生温いなれ合いの画壇に飾られた似非芸術である。アウトサイダーアートですらない。
あしたのジョーの力石は「拳闘は芸術だ」といってたが、あいちトリエンナーレを芸術だというのなら、いやがらせのビラも街中のケンカも芸術になってしまう。そんなバカな話あるか。
真の芸術語りたいなら私費でやれよ、公費でやるな。
それでは今日もおやすみっこ(つ=^ω^=)つニャン
一度はシュレ猫たんのパンツを見てみたいッッと思った方はポチッとお願い(つ=^ω^=)つニャンッッ
実は今回の記事は8/17に記事を書いたものの、拍手もコメントもゼロで、ものの見事に反響の無かった記事のリベンジである。
上の絵を見ればわかると思うが、発達障害者は自分も含めて死ぬほど絵が下手くそである。
ごくまれに絵が上手い者もいるが、大半は自分も含めて絵が下手くそである。
表情が描けなくて、デッサンが微妙に歪んでいて、何よりもまっすぐな線を引けないというのは致命的である。
発達障害者は微細な運動機能障害があると聞くが、自分もその運動機能に障害があるとしか思えない。
そういえば、自分と絵柄が似てるのは男ばかりだが、発達障害者の8割が男である。
進撃の巨人の作者も絵が下手くそだが、あそこまで下手くそだと、発達障害か何かではないかと思ってしまう。
上が定型発達者の描いた絵で、下が発達障害の自分が描いた絵である。どちらが上手いかは一目瞭然である。
上の絵を描いたのはponchと同じギャラリーにいた、自分よりひとまわり以上年下のイラストレーターだが、十万円の絵がポンと売れている人気作家で、化物語のエンドカードも描いている。
本人も和服が似合う楚々とした近寄りがたい(というかこちらが避けられてる)美人で、ツイッターのフォロワーも5千人以上いる。
フォロワーが千人に満たない自分とは雲泥の差だが、自分が彼女に勝てるのは歳の数と腹のぜい肉だけである(そんなものに勝ってどうするんだよ)
作業所の会報に描いた、島風のコスプレをした無駄に巨乳のシュレ猫たん。
会報がカラーだからノーギャラでカラーで描かされたのに、公共施設に置く会報にパンツはいかんと、パンツを猫耳に文章手直しされたぉwwwうぇっうぇっうぇっwww
作業所のおじさんからは、深夜の萌えアニメみたいといわれたぉwwwぶひいぃwww
自分のように絵の才能の無い人間でも努力すればある程度は上手くはなるが、才能の無い人間がいくら努力しても、絵の才能があって努力した人間には敵わない。
日本人がいくら努力しても、シュワちゃんのようにムキムキマッチョにはなれないようなものである。生まれついての骨格がちがうのだ。
画力を骨格や筋肉量に例えると、絵が上手い人はシュワちゃんのようなムキムキマッチョで、自分みたいな下手くそはのび太みたいなガリガリのモヤシである。
正直いくら描いても上手くならないと、いい加減描くのイヤになるし、お高くとまった美人の超絶上手い絵なんか視界にも入れたくないので、何度描くの止めようと思ったかわからない。
それでも描いてたのは、ギャラリーのおっさんに頭小突き回されて描かされていたからである。(´・ω・`)ノ(´;ω;`)ペシッ
現在はギャラリーからは足抜けして一介の温泉絵描きに成り下がってしまったが、ツイッターで長年ファンだったマンガ家の先生に相互フォローしてもらえたので、このときだけは絵を描いていてよかったと思う。
最近は自分が通う作業所からも絵の仕事をもらうようになったので、細々と描いてるが、未だに絵が下手くそなのは治っていない。正直しんどい。
自分も画力がシュワちゃんとかロニコーみたいなムキムキマッチョの地上最強の神絵師になりたいぉ(´;ω;`)ブワッ
発達障害者の描いた絵は不気味なほど特徴が似通ってるが、発達障害者だけのアウトサイダーアート展とかやったら、微妙にデッサンの歪んだ不気味な絵ばかりで、展示会場はかなり異様な雰囲気になるにちがいない。
常人には理解不能の思いっきり需要のない、発達障害者だけの不気味で異様なアウトサイダーアート展をやるのは、密かな自分の夢でもある。
近年ではアウトサイダーアートは差別的だからエイブルアートと呼んでるらしいが、エイブルアートなんて生温い芋喰って屁をこいたようなクソゲーみたいな呼び方はまっぴらごめんだ。
エイブルアートなんて芋喰って屁をこいたようなクソゲーみたいな呼び方よりもアウトサイダーアートの方が断然カッコいいに決まってる。
クソゲーといえば、最近自分がハマってるにゃんこ大戦争もクソゲー呼ばわりされてたが、人手不足で作画に手をかけられず、誰でも描けそうな子供の落書きみたいなキャラデザになったクソゲーが、4700万ダウンロードされる大ヒットになったのだから世の中わからないものである。
こういってはなんだが、作画に手をかけたゲームよりも、にゃんこ大戦争みたいな作画が単純化されたゲームの方がヒットしてるように思える。
自分は真の芸術は画壇の枠からはみ出した画壇の外にあると思っている。
画壇から遠く離れた、ブリザード吹きすさぶ極北の荒野で孤独を耐え忍ぶことのできる者だけが真の芸術を極めることができるのだ。
ぬるま湯に浸かった生温いなれ合いの画壇に飾られるようなお行儀のいい絵なんていわば全部ニセモノだよー。
今年開催されたあいちトリエンナーレも芸術か否かで物議を醸したが、自分の目から見れば、公費でお膳立てしてもらって開催されたあいちトリエンナーレも、ぬるま湯に浸かった生温いなれ合いの画壇に飾られた似非芸術である。アウトサイダーアートですらない。
あしたのジョーの力石は「拳闘は芸術だ」といってたが、あいちトリエンナーレを芸術だというのなら、いやがらせのビラも街中のケンカも芸術になってしまう。そんなバカな話あるか。
真の芸術語りたいなら私費でやれよ、公費でやるな。
それでは今日もおやすみっこ(つ=^ω^=)つニャン
一度はシュレ猫たんのパンツを見てみたいッッと思った方はポチッとお願い(つ=^ω^=)つニャンッッ