すみっこの映画を観に行ったにゃ(=・ω・=)ノ
※今回の記事にはネタバレが含まれます。
先日やっとすみっこの映画を観に行った。
先週の土曜はすみっこの映画を観に新宿くんだりまで行ったのに、土日の当日券が完売してて観れなかったので、しょうがなく月曜の当日券とグッズとプログラムを買って、後日改めて観に行った。
すみっこの前評判はこぞって泣ける映画といわれていた。
かくいう自分もすみっこくらいで泣いてたまるかと思ったが、映画のスクリーンで可愛いすみっこが動いているのを観て思わず感涙してしまった。
映画のすみっこでは、すみっこたちが喫茶店の地下室で見つけた絵本に吸い込まれて絵本の世界に入ってしまうが、そこで灰色のひよこと出会う。
灰色のひよこは自分は誰なのかどこから来たのかもわからない、いつもひとりぼっちのひよこである。
すみっこたちはアラビアンナイトの主人公になったり、マッチ売りの少女になったり、赤ずきんちゃんになったり、桃太郎になったり、人魚姫になったりしながら灰色のひよこの家を探す。
いろいろな物語を行き来してる間に、灰色のひよこはみにくいあひるの子ではないかという結論になって、白鳥たちの前に灰色のひよこを連れていく。
そのとき偶然触った仕掛けから灰色のひよこと同じ色のひよこが出てきて、白鳥になって仲間と飛び去っていった。
灰色のひよこはみにくいあひるの子ではなかった。
灰色のひよこはすみっこの仲間でもなければ、絵本のキャラクターでもなかった。
なにをしてもなにかちがう
どこにいてもここじゃない
自分はなに?なかまはどこ?
前回の記事で取り上げたすみっこの絵本のぺんぎん?の話の一節だが、灰色のひよこほどこの独白が似合うキャラもいないだろう。
灰色のひよこの正体はあえて伏せておくが、灰色のひよことはまさに孤独のメタファーではないかと思う。
みにくいアヒルの子は後に美しい白鳥に成長するが、灰色のひよこは白鳥ではなかった。
自分は誰なのかどこから来たのかもわからない、いつもひとりぼっちだけど特別な存在でもない。
自分の目から見た灰色のひよこは、社会に適応できず特別な才能も何にも持たない発達障害者、自分そのものである。
今回のすみっこの映画を観た感想としては、互いに相手を思いやることはできても、住んでる世界がちがうというのはどうしようもないという無常観である。
自分もなかよくなりたいと思った神絵師からてんで相手にされなかったという悔しい思いをしたことがあるが、おプロさまの神絵師と、ギャラ1万の絵の仕事が年2回しかないヘタレ絵描きでは住んでる世界がちがうからしょうがないよねーと思った。
元の世界に戻ってきたすみっこの側に、灰色のひよこはもういない。
映画が終わった後の自分の側に、すみっこはもういない。
絵柄は子供向けの可愛いファンシーな映画だが、努力ではどうにもならない現実の無常を感じてしまった。
現実の厳しさを再認識させられたという点においては、前世紀に観て多いに失望させられた旧劇エヴァを上回っているのではないかと思う。
映画の上映時間は65分で映画としては短いが、一時間とは思えないほど、密度の高い内容になっている。
総合評価は文句なしの傑作だが、唯一の難点を挙げると、すみっこは可愛いのにイノッチのナレーションが可愛くなかったことくらいだろうか(´・ω・`)
欲をいえば、次回作があるなら、すみっこの四コママンガをそのまま映像にしたような、ほのぼの映画をオムニバス形式で見てみたいと思う。
おまけ
土曜に映画館行ったときに買ったすみっこのグッズ。
月曜に改めて映画観に行った行ったときは全部売り切れだったので、土曜に行っておいてよかったにゃ(=・ω・=)
映画の帰りに久しぶりに食べた油そば。おいしいぉ(^q^)
やっぱ映画を観た後は美味しいものを食べるのに限りますね。
それでは今日もおやすみっこ(つ=^ω^=)つニャン
やっぱ住んでる世界がちがうのはどうしようもないよねッッと思った方はポチッとお願い(つ=^ω^=)つニャンッッ
先日やっとすみっこの映画を観に行った。
先週の土曜はすみっこの映画を観に新宿くんだりまで行ったのに、土日の当日券が完売してて観れなかったので、しょうがなく月曜の当日券とグッズとプログラムを買って、後日改めて観に行った。
すみっこの前評判はこぞって泣ける映画といわれていた。
かくいう自分もすみっこくらいで泣いてたまるかと思ったが、映画のスクリーンで可愛いすみっこが動いているのを観て思わず感涙してしまった。
映画のすみっこでは、すみっこたちが喫茶店の地下室で見つけた絵本に吸い込まれて絵本の世界に入ってしまうが、そこで灰色のひよこと出会う。
灰色のひよこは自分は誰なのかどこから来たのかもわからない、いつもひとりぼっちのひよこである。
すみっこたちはアラビアンナイトの主人公になったり、マッチ売りの少女になったり、赤ずきんちゃんになったり、桃太郎になったり、人魚姫になったりしながら灰色のひよこの家を探す。
いろいろな物語を行き来してる間に、灰色のひよこはみにくいあひるの子ではないかという結論になって、白鳥たちの前に灰色のひよこを連れていく。
そのとき偶然触った仕掛けから灰色のひよこと同じ色のひよこが出てきて、白鳥になって仲間と飛び去っていった。
灰色のひよこはみにくいあひるの子ではなかった。
灰色のひよこはすみっこの仲間でもなければ、絵本のキャラクターでもなかった。
なにをしてもなにかちがう
どこにいてもここじゃない
自分はなに?なかまはどこ?
前回の記事で取り上げたすみっこの絵本のぺんぎん?の話の一節だが、灰色のひよこほどこの独白が似合うキャラもいないだろう。
灰色のひよこの正体はあえて伏せておくが、灰色のひよことはまさに孤独のメタファーではないかと思う。
みにくいアヒルの子は後に美しい白鳥に成長するが、灰色のひよこは白鳥ではなかった。
自分は誰なのかどこから来たのかもわからない、いつもひとりぼっちだけど特別な存在でもない。
自分の目から見た灰色のひよこは、社会に適応できず特別な才能も何にも持たない発達障害者、自分そのものである。
今回のすみっこの映画を観た感想としては、互いに相手を思いやることはできても、住んでる世界がちがうというのはどうしようもないという無常観である。
自分もなかよくなりたいと思った神絵師からてんで相手にされなかったという悔しい思いをしたことがあるが、おプロさまの神絵師と、ギャラ1万の絵の仕事が年2回しかないヘタレ絵描きでは住んでる世界がちがうからしょうがないよねーと思った。
元の世界に戻ってきたすみっこの側に、灰色のひよこはもういない。
映画が終わった後の自分の側に、すみっこはもういない。
絵柄は子供向けの可愛いファンシーな映画だが、努力ではどうにもならない現実の無常を感じてしまった。
現実の厳しさを再認識させられたという点においては、前世紀に観て多いに失望させられた旧劇エヴァを上回っているのではないかと思う。
映画の上映時間は65分で映画としては短いが、一時間とは思えないほど、密度の高い内容になっている。
総合評価は文句なしの傑作だが、唯一の難点を挙げると、すみっこは可愛いのにイノッチのナレーションが可愛くなかったことくらいだろうか(´・ω・`)
欲をいえば、次回作があるなら、すみっこの四コママンガをそのまま映像にしたような、ほのぼの映画をオムニバス形式で見てみたいと思う。
おまけ
土曜に映画館行ったときに買ったすみっこのグッズ。
月曜に改めて映画観に行った行ったときは全部売り切れだったので、土曜に行っておいてよかったにゃ(=・ω・=)
映画の帰りに久しぶりに食べた油そば。おいしいぉ(^q^)
やっぱ映画を観た後は美味しいものを食べるのに限りますね。
それでは今日もおやすみっこ(つ=^ω^=)つニャン
やっぱ住んでる世界がちがうのはどうしようもないよねッッと思った方はポチッとお願い(つ=^ω^=)つニャンッッ